その男、ショーン



 



ショーン・モルガン。

彼もまたボストンの名門大学を卒業した超優秀な青年だ。

アメリカ屈指の証券会社からの誘いを断ってこの銀行に入ってきたという。

きっと近い将来にはウォール街でも名を馳せる有名バンカーになっているだろう。

初顔合わせの折。

ショーン: 「金融の世界は魔宮みたいなものさ。モンスターがたくさんいて、そのモンスターを倒そうとしてるといつのまにか自分もそのモンスターになってる、みたいな」

この言葉は彼の聡明さを表しているのではないだろうか。

*****

ある日の朝。

ニューヨークは北海道と同じくらいの緯度の高さなので夏とはいえ、かなり涼しい。

一日の始まりにふさわしい爽やかな朝だった。

: 「Hi, morning. (おはよ〜)」

すでに何人かが来ていた。

研修中のここでの生活は朝9時から始まる授業がすべてだ。

いわば塾の集中講座を聞くようなもので、これが6月から10月まで毎日続く。

出勤して働く、というより登校して勉強する、という表現のほうが正しいかもしれない。

毎朝8時くらいにここに来てすることは、前の日の授業で何をしたかをざっと眺め、その日の授業で何をするかをざっと確認することだ。

パソコンを立ち上げてその日の経済のニュースを読んでもいい。

なんにせよ、ここはウォール街なのだ。

毎時毎秒が戦争だといっても過言ではない。



ショーン: 「Man--o ?」(マ●コ?)

シャハーン: 「No, Om--ko」(違うよ、おマ●コだ)

シャハーンは朝っぱらから放送禁止用語をショーンに教え込んでいた。



爽やかな朝の始まりは一瞬で終わった。

そしてここが日本人女性のいるオフィスだったらセクハラで辞職させられているに違いない。

シャハーン: 「You have to say "O" , or its gonna be impolite」(『お』を付けないと相手に失礼なんだ)

シャハーンは日本語を少し知っているらしい。

ていねい語では単語の頭に「お」を付けたり、文章の終わりに「〜です」「〜ます」を付ける。

しかし、「お」をつけるとかつけないとか、そういう次元の問題ではない。



シャハーン: 「right?」 (そうだろ?)

: 「・・・Yeah,」 (まあ、)

そのときショーンが立ち上がって僕に人差し指を向け、厳しい顔つきで、

ショーン: 「Oma--o, Oma--o, Oma--o」(オゥマ●コ、オゥマ●コ、オゥマ●コ



何度言われても、僕はソレではない。



そして、「お」をつけてもつけなくても失礼な言葉には違いないのだ。

ショーンはうれしそうに何度も小さくつぶやきながら、教科書の端にローマ字でメモしていた。

そのときの彼はウォール街のバンカーではなく、ただの中学生男子だった。

ショーン: 「I dont like hairy Oma--o」(毛深いオゥマ●コは嫌いなんだよね)



だから何なんだ?



僕は笑顔で

: 「・・・OK」(・・・そう)

と答えるしかなかった。

ショーン: 「what do you say in Japanese, "ass hole"」(なあ、「アスホール」って日本語で何ていうんだ?)

Ass Hole.

ダイ・ハード3ではブルース・ウィリス扮するジョン・マクレーン刑事がよく使っている。

これは「バカ!」とか「アホ!」とかそれに類する言葉だ。

しかし辞書的にはAss=尻、Hole=穴、だ。

: 「Ko-mon・・・?」(肛門、かな)

ショーンとシャハーンはお互いを指さして、

ショーンシャハーン: 「Ko-mon!」(こうもん!)

ん?と少し首をかしげたあと、

ショーン: 「O ko-mon, O ko-mon」(おこうもん!おこうもん!

と僕に向かって言った。


この際、「お」はどうでもいいんだよ・・・。


僕は、静かな微笑みを浮かべて親指を立ててみせるしか為すすべがなかった。


ショーン・モルガン。

将来はウォール街で有名な銀行家になるはずの男だった。





教訓「日本という国の誤解はこうやって生まれる」





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