多分、違うと思う
 


 
 
他人にあげるプレゼントというのは昔から苦手だ。『どういうものが一番喜ばれるか』、『ほかとネタかぶりはしないか』ということを考えてしまうからである。

これはおみやげにも通じるもので、そういう困ったときにはたいがい、外れのないお菓子あたりにとどまってしまう。あるいは話の通じる相手であれば明らかに『わけのわからない』ものをあえて持っていき、相手のちょっと困った顔を楽しむ、ということがあるくらいだ。

そして、重量の関係から海外のおみやげをかさばるお菓子にするわけにもいかないので、もっぱらおみやげは『絵』になっている。絵葉書よりもちょっと大きいイラストや、水彩画チックなイラストが値段的にもいいし、なにより『もらってもはずれることがない』。つまり、実用性から遠いので、『コレ使ってくれよ』と強いることがないのである。

僕がこういう結論に達した背景には多分、小学生時代のあのことに由来しているのだと思う。今回は、『ひとにあげるもの』がテーマ。

 

 
あれは小学校の4年生か5年生くらいだったろうか。当時、担任だった先生はいかにも「子供が好き」といった感じの、熱血タイプであった。

子供に対しては熱く理想論を語り、決してドロドロとした現実は見せない、というタイプだ。

ある日、クラスの友達(女のコ)が一人、どこか別のところに引っ越してしまう、ということがあった。

そうなると当然、その女先生は、『みんなで送別会をしましょう』ということになる。

『向こうにいっても元気でね』とか『たまには手紙ちょうだいね』とかをテーマにして『お別れのうた』をそのコのために歌ったりするというアレだ。

ここまでは、まあいい。送り出されるほうも、ちょっとの照れはあるかもしれないが、最後にそうやって目立つところに立つのも悪くはない。

たとえものすごくやる気のない歌い方をするのがいたり、先生にいわれていやいややってるのがバレバレだったとしても、だ。

その『お別れ会』の前日、先生はこう言った。

『明日はヨウコちゃん(仮名)のお別れ会です。みなさん、“自分が持っている一番大切なもの”をヨウコちゃんにプレゼントしましょうね』

今とは違って、小学生にしてみたら、学校の先生のいう言葉にはほとんど神の言葉にも近い絶対性がある。学校の先生がこう言ったから、というのが日常の生活の上でも行動の理由になってしまうのだ。

だからみんな、当日はそれぞれの『自分が持っている一番大切なもの』を持ってきていた。

たしかにそれは、“プレゼントは気持ちのこもったものにすべき”という本質においては正しいだろう。

しかしここで注意しなくてはいけないのは、その『自分の持っている一番大切なもの』が自分の趣味趣向を反映している限り、必ずしも他人の趣味や好みに反映するとは限らないということである。

そしてヨウコちゃんは明らかに少女マンガを愛する普通の小学生の女のコであった。

今でこそこういえるが、しかし当時にしてみたらこの神にも近い絶対的な先生の言葉によって、やはり問答無用で『自分の持っている一番大切なもの』を持っていかざるを得なかった。

そして当日。

僕は、苦渋に満ちた顔をもって、いやいやながらも、それでもしかたなしに超豪華『キン肉マン消しゴム』セットを持っていった。

それは、ガチャガチャで出ることが少なかった『バッファローマン』と『ウォーズマン』を含むアイドル超人のコレクションであった。今でいえばペプシについてきたスターウォーズの人形のようなものだろうか。

しかしそれを受け取るときのヨウコちゃんの目は明らかにとまどっていた。

そして他にも『もらう本人・あげる本人の両方が嫌がっているにも関わらず強制執行されるプレゼント』が手から手へ移動していく。そのたびに、ヨウコちゃんの目は泳ぎっぱなしであった。

アライソ君がその女のコにプレゼントしたのは、『1/144フルアーマーガンダム』だった。それもまた、女のコへのプレゼントとしては明らかにハズレであろう。

「あ、キャノンも動くんだよ」とか「ビームライフルも持たせられるんだよ」とか説明しながらそれを動かすアライソ君は明らかに未練たらたらであった。プレゼントするほうが目に涙を浮かべるというのは結構珍しいケースではないだろうか。

そしてそのときもヨウコちゃんの顔は困惑ぎみであった。

ひとりひとりのプレゼントの手渡しが進行していくなかで、周囲の度肝を抜いたプレゼントが一つあった。

その会のあと、がまんできなくて聞いてみたのだが、彼いわく、

「僕、大切なものっていわれてもなにももってなかったんだ。だからおじいちゃんに聞いたら、コレを持っていきなさいって言われたんだ」

とのことだった。

彼がイトーヨーカドーのポリ袋に無造作に突っ込んで持ってきたソレは、それなりの重量を備えていた。たしかにある意味、価値はあるのかもしれない。

ぼ、盆栽!!


そのプレゼントには明らかに女先生もビビっていた。そして受け取る側のヨウコちゃんもビビってまともに応答できていなかった。

ある意味、試練のようなものだったのかもしれない。

これから引越しで荷物を減らさないといけないにも関わらず増えるプレゼント。そして、増える手間。

加えて小学5年生の女のコに盆栽を手入れできるとは到底思えなかったし、喜ぶはずがなかったのだ。

一般にいって、盆栽に長けている小学生女子は皆無であるといえよう。

ヨウコ「あ、ありがとう、大切にするね」

しかしその目は明らかに迷惑がっていた。あたりまえである。

そしてその言葉に対して、あげた本人は、

「ん? いやおじいちゃんのだから、別にどうでもいいよ」

といっていた。

ヨウコちゃんはあからさまに『んなもん押し付けるなよ』という顔をしていた。

僕はこのとき、何かが違うんではないか、と強く感じた。

そしてそれ以来、相手のことを考えたプレゼントをするようになった。

教訓「盆栽は小学生のプレゼントには向かない」




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