プノンペンで、ある日







僕はその日、砂誇り舞い上がるプノンペンの最大のマーケット、セントラルマーケットとその周辺をブラブラと散歩していた。

別に買いたいモノがあったわけではないのだが、店舗の軒先などをのぞくと面白いモノがたくさんあって思わず笑みがこぼれてしまう。

例えば、PanasonicとSonyのコピーブランドで"Panasony"とかAIWAのコピーでAIMAとか。

とりあえず日本的な匂いのする商品が売れるらしく、ヤマトとかジャパンといった名前のメイド・イン・タイランドも多い。

プノンペンはパチモノ天国。

しかも「日本モノ」が売れるらしい。

そんなことはさておき。

僕がマーケットの物乞いと言い寄ってくるバイタクを蹴散らしながら散歩していると物売りもやってきた。

身長が150センチくらいのガッツ石松に似た男だった。

男はひと月ほど風呂に入ってないようなすえた臭いと、肥だめのような口臭を発しながら僕の前に立ちふさがった。

「だんな、花買ってくださいよ、へへへ」

片手にたくさんの花を抱えているが、それはどう見ても近所の川辺で摘んできたと思える雑草のようだった。

「花? いらないよ」

「買ってくださいよ、だんな」

そんな雑草を僕にどうしろというのだ?

「だっていらないもん」

「きれいなきれいな花でっせ」

さっさとそこからどかないと殺すぞ、コラ。

「とにかくそこどいてくれよ」

「彼女とかにどうだい?」

もしプノンペンに彼女がいたとしてもそんな雑草を渡したら誰でもその場で別れるだろう。

「一人で旅行してるんだ、いないよ」

「じゃあ、女紹介しようか。10ドルでオーケーだ」

プノンペンでは男性外国人が一日最低50回は聞く言葉だ。

女はどうだい?

だがわざわざ10ドルもだして気分の悪い思いをする必要もあるまい。

「10数えるまえにそこどかないと殺す」

「ヘイ、ミスター、日本人だろ? 日本人の女もいるぞ」

カンボジアに10ドル程度(約1000円)でカラダ売ってる日本人の女のコがいる?!

どんなブスでもデブでもそれなりに需要がある日本ならカラダで稼ぐ場所は困らないだろう。

なにゆえ10ドルで? しかもこんなカンボジアで?

少し躊躇したのを読み取られたらしく、

「ヘイ、ミスター。近いから連れてくよ」

まあ、そうなった身の上話を聞くだけでもいいかもしれない。

10ドルは取材料だ。

男は近くに停めてあったシクロのかごに雑草を無造作につっこむと、シートに座るように言った。

シクロとはCYCLO、つまり自転車のことである。

二人掛けのシートを前に備え、後部でオッサンがペダルを漕ぐというそういう乗り物。

バイクタクシーとならんでプノンペンの公共的移動手段だ。

正面衝突するような交通事故では客が真っ先に死ぬという危険極まりない乗り物だが、今のところ規制の対象になる気配はない。

ところでおっさん、あんたの商売は花屋なのか?シクロなのか?それとも女の斡旋なのか?

「近いなら往復で3000リエルでいいだろ?」

「オーノー、ミスター。それじゃ飢え死にしちまう。2ドルにしてくれよ」

客を一人取り逃がした程度で飢え死にはしないし、したところでその客の責任ではないはずだ。

「1ドルだ」

「オーケー、オーケー」

こうしてシクロは走り出したのだが、もうもうと立ち上る砂埃であっという間に全身がオレンジ色に染まる。

ふと後ろを振り返ってみると、男は少し照れくさそうな表情で身をかがめ、僕の陰に隠れて砂埃を避けていた。

江戸時代の日本。

そこには、お金で人の恨みを晴らしてくれる仕事人という人たちがいたらしい。

もし僕が彼らに連絡がとれたなら迷わずこのおっさんを殺してくれるように頼んだであろう。

求む、中村主水さん!

しばらくした後、プノンペンの外れの位置の舗装されていない路地にシクロは入り、そしてさらに細かい路地に入っていった。

ここプノンペンでは外国人は珍しい。

全身ハダカの子供が野グソをしながら僕を見ていた。

もしこのままヤバいところに連れていかれたとしても、このおっさんを2、3発殴ったあと近くのバイクタクシーに乗れば大丈夫だろう。

いざとなればバイクタクシーを奪うだけだ。

そんな心配をよそに、シクロはとある家の前でとまった。

家の中にはオバサンが一人と、性病で悪くなった顔色を厚い化粧でごまかしている女が数人いた。

カンボジア人はみな鼻の穴が横に広がっていて奇妙だ。

ファイブダラー、ファイブダラーといって身をすり寄せてくる。

しかし彼女たちが知っている英語は哀しいことにこの単語だけに違いない。

どうもこの中には日本人はいなさそうだった。

おっさんがオバサンに何か話しかけ、そしてオバサンが店の奥に消えた。

「今来るよ、ジャストモーメントね」

僕はとりあえず彼女たちが寄ってこない安全地帯に腰を下ろし、ペットボトルの水を乗んで待つことにした。

その日本人の女の人はいったいどういう経緯でカンボジアの売春婦などに身を墜としてしまったのか。

それを想像するだけでドキドキ感は加速していく。

きっと小説よりもハードでエキサイティングなストーリーに違いない。

もしかしたら日本からの人身売買ルートに乗って連れ去られたのかもしれないし、旅先で不運にも誘拐されたのかもしれない。

いずれにしても危険な香りのする話には違いない。

ものすごくカワイイ女のコだったら助けてあげたい。

内山理名に似たコと手に手を取ってバイクで逃走!

追っ手を振り切りながらそのまま日本領事館に逃げ込む。

事情を説明して帰国手続きをとってもらい、そして日本のマスコミは異国での人命救助に大騒ぎ。

まるで映画のようなハッピーエンド。

しかしマフィアやヤクザの邪魔なくそれができるだろうか。

奥から二人分の足音が近づいてきた。

時はきたれり。

・・・・・。

オバサンに連れてこられた女は「あき竹城」に似ていた。

「ドモ、ハジメマシテ。ユウカ、トイイマス。ドゾ、ヨロシク」

横にひらべったい鼻と巨大な鼻の穴は間違っても日本人のものではなく、分厚いクチビルは明らかにカンボジア人であることを示していた。

僕は男を見て言った。

「帰るぞ」

その日の帰りぎわ、男に渡したお金は2500リエルだった。

何か文句を言っていたようだったが、静かな怒りを抱いた僕の耳には入らなかった。

どこか遠くで鳥が鳴いていた。

プノンペンの夜はそれ以外聞こえない、静かな夜なのである。


教訓「真実は小説よりつまらない」



 
英国居酒屋
お遊びページ
僕が出会った奇妙な人々