ジジィに捧ぐ


他のコーナーでも紹介してあるとおり、僕は現在某国際的平和活動的ボランティア的財団から奨学金をもらってイギリスに留学をしている。

実はこの財団が社会的富豪的肩書き的ステイタス的に
すんごい財団なのだが、それは別の項で紹介することにしよう。

この奨学金が他のそれと違うのは、裏口のコネで審査に通るという点だけではない。

渡航した先、留学先において相談役兼身元保証人兼親代わり兼小姑兼カウンセラーという担当者がつくのだ。

これが珍しいとは思わないが、一人につき一人のカウンセラーがつく点は、
他の奨学金にはないような気がする。

困ったときに迅速に動いてくれるのはいいのだが、たまには困ったこともある。

まず、うちのカウンセラーは老人夫婦だ。

子供はすでに独立して、孫までいるという家庭。


どうやら
ヒマな上に寂しいらしい。

「次の週末は空いているかね」


「次の土曜日はうちで昼食でもどうだね」

「孫が遊びにきてるんだが、キミもどうかね」

「ウチのケーブルテレビで週末に面白い映画があるんだが、見に来るかね」

おれはレポートで忙しいっちゅうねん!

…でも、散々言ってくるので、しかたなく三回くらい泊まりに行った。

食事は、…まずかった。


そして、奨学金の正式名称に「国際親善」と名がついていることから
想像できるように、国際交流的な活動も義務づけられている。

しかしこれはまあ、タテマエのようなもので、実際にスピーチはしなくてもいいし、
一回もしていない人もいるのだ。

「あぁ。そうそう。来月の○日ね、〜のミーティングに出席してスピーチしてくれ」

カウンセラーなので、マネージャーのように僕の予定を決めていってくれる。

まるで仕事をとってくることが彼の喜びのようでもある。

こっちの生活はお構いなしらしい。

おれは宿題がたまってんねん!

…しかし気の弱い僕は、言い返すこともできずに、去年4つのスピーチをした。

試験と重なって、死にそうだった

次に、彼は時間にうるさい。

これが普通に時間を守る、ということなら問題ないのだが。

僕を迎えにきて、僕が時間どおりにその場所にいくと、

ワシはここで20分も待っていたんだ。何をしていたんだ?」と、こうだ。

早く来すぎたおまえが悪いんちゃうかい?!

他にも、僕が「明日の夕方、電話します」といって、次の晩8時くらいに電話すると、ムスっとした声で「3時間ほど電話の前で待っていた」という。

だったらテメェからかけてこい!

…でも、毎回訳もわからずに謝ってしまう僕がいた。
まだあるのだ。

彼は、
老人特有の悪い病気にかかっている。

「ワシは小さい頃、賢かったんだ。天才と呼ばれていた」

「ワシの父親もすごい人だった」
「ワシの息子も孫もすごいんだ」

「ワシは昔、潜水艦で世界を一周したんだ」

自分を含めた身の回りの人間を謙遜もせずに称えまくる、というのはイギリスでは珍しくはない。

しかし、同じことを100回以上も繰り返すのは、一部の老人だけだ。


もう何回も聞いたっちゅうねん!

…しかしそこでも毎度同じように頷いて感動してみせる自分がいた。

実はまだあるのだ。

彼は、世界一周をしたというわりにはあまり物事を知らないらしい。

以前、初めて泊まりに行った日の会話のなかで、

「ワシ、寿司好きやねん。作れるか?」

「でもワシ、イカはアカンねん」

んなもん作れるか、どあほう。イカなんぞ知らん。

どうやら日本食として寿司があまりにも有名なため、一般家庭でも毎日のように寿司を食べているものだと思っていたらしい。

そのうえ、「いや、あれには何年も修行がいるんですよ」というと、

「ワシ、ウソはいかんと思うぞ。あんなものに修行はいらん」


いるねん!


どうやら、コメに魚肉を乗せただけのものだと捉えているらしい。

…しかしそれを深く説明せずに、材料がないですから、といって突っ込んだ議論を避けた僕がいた。

そんなジジィとの関係もそう長くは続かなかった。

っていうより続けられなかった。

ある日、彼がメールで、「次のスピーチは3月○日だ。空けておくように」といってきたので、今回は勇気を振り絞って、「もういやだ!。スピーチはしない」とメールを送った。

…つもりだったが、「あの〜、その日はもうレポートの締め切り近くで…」という心持ち弱々しい感じのメールだったことは認めよう。

しかしそれでも気丈な彼の気分を損ねるには充分だったようで、それ以降、彼からの音沙汰はない。

もしかしてポックリ死んでしまったのだろうか?

彼の動向が気になる今日この頃である。

 

教訓「どんなに楽な奨学金でも困難はそれなりにある」


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