その日、僕は誰もいないビーチの波打際でロッキングチェアに腰掛けて本を読んでいた。 こういうゆったりとした時間はもう二度ととれないかもしれない。 足元を波がさらい、白い砂だけを残して海に戻っていく。 空には青い色のなかに光の塊のような太陽だけが浮かんでいた。 海はエメラルドグリーンを呈していて時折魚が跳びはねる。 部屋に備えてあったアガサクリスティの推理小説は、この景色の中でゆっくりと読まれるに限る。 僕がそうした貴重な時間をしばらく過ごしていると、一人の白人の中年の男がやってきた。 彼はとても太っていた。 推定100貫。キロという単位より貫目のほうがなんとなくマッチする気がした。 ロッキングチェアを小脇に抱えて、隣に座ってもいいか、と聞いてきたのだ。 別に断る理由もなかったし、こういうコミュニケーションも旅には欠かせない。 男はとても陽気だった。 聞くとイギリスから夫婦で来たのだと言う。 奥さんは今おみやげを買いに行っているらしい。 それからしばらく僕と彼はお互いの旅行の話などをした。 確かにこの青い空と碧い海、そして天高く存る太陽の日差しはイギリスには100年待っても訪れることのないシロモノだ。 毎年、夏になるとイギリス人は太陽を求めてバカンスを楽しむ。 彼らは毎年この島を訪れるのだという。 男は脂肪のつきまくった腹をなでながら、少し泳いでくる、と言った。 このビーチには波打際まで人間を怖れない色とりどりの魚が泳いでくるのだ。 サンゴの周りを泳ぐそういった魚たちを自分の目で観るのは感動的でさえある。 男は思い切り飛び込んだ。 そのときに大量の水飛沫が上がって僕の読んでいた本とか持ってきたバッグとかを水浸しにしたのだが、それはあえて黙っておくことにした。 男は一生懸命クロールして沖に出ようとしていた。 その姿はまるでトラに追いかけられて河に逃げ込むカバのようでもあり、漁船に囲まれながらもなんとか逃げようとする白い鯨のようでもあった。 とにかくすべてがダイナミックなポールおじさん。 しばらく様子を見ていると、どうやら満足するくらいの距離には到達したらしい。 今度は平泳ぎだ。 そして海に潜った。 海の中にはサンゴ礁と戯れる魚たちがいるはずだ。 もし僕がサカナなら「トドや、トドがおる!食われてしまう」とビビって逃げるところだが、あまり人間を怖れていないそこの幸せな熱帯魚は手の届くところを泳いでいるはずだった。 僕は本に目を戻した。 5行、10行、1ページほど読んだところで海面を見てみたが、浮き上がってきた気配がない。 ポールおじさん、し、死んじゃったの?! それから30秒、1分と待ったとき、ようやく白い巨体が浮かび上がってきた。 数十億年前、地球上にはまだ陸上で生活する生物は存在していなかった。 すべての生命はまだ母なる海の胎内だったのである。 無機物を有機物が果てしない混交を繰り返し、最初の生命ともいえる細胞体が生まれた。 それは魚類へと進化し、骨格を得た。 魚類は口から海水を取り込み、エラで排出する。 その口をエラのあいだで海水に溶け込んだ酸素を吸収するのである。 その後、進化した魚類は前ヒレを前足代わりにして陸上へとはい上がることが出来るようになった。 水中、陸上の両方で生活できる生物、両生類の誕生である。 ポールおじさん、あんた両生類か? 彼はまたしばらく水中に潜り、再び死んだのか?と思わせるくらい長時間たってから水面に姿を現した。 それを何回か繰り返した後、でぶんでぶんと肉を揺らしながらやっとチェアに戻ってきた。 キレイだったよ。 彼はそういってイスに腰掛けたが、僕は彼の耳の裏にエラがあるのでないか、とそればかり気になってしまっていた。 だが、ほんとにそれがあったらますます怖いので、結局確認はできなかった。 日本に帰った今、もっとも気になるのはそのことである。 |