サルでもわかる法律教室
〜彼女の罪と罰〜







大学の図書館にいると、司法試験に向けて勉強している学生が多い。

毎日のようにそこにいるので例え言葉を交わさなくてももはや常連だ。

いつも右隅の机に陣取っている体育会系の彼がいなかったりすると、「おや、今日は休みか?」と思ってみたり、必ず左端の机に座って勉強している神経質そうな彼女がいなかったら「おや、今日は風邪でもひいたのかな?」と思ってみたり。

言葉を交わしたことはそれこそ一回もなくても毎日定位置に座って勉強していると目についていつのまにか親近感を覚えてしまうものなのだ。

その日の昼頃、僕は外でサンドイッチを食べて缶コーヒーを飲んでいた。

するとそこに以前何回かしゃべったことのある図書館仲間2人がやってきた。

しゃべった、とはいえ学年も名前も知らない。

ここで、彼らの名前を内容にそくして、穏健派の彼を「弁護士」、もう一人の辛口な彼を「検事」としておこう。

すると僕はさしずめ「裁判官」といったところか。

いくら法律を勉強しているとはいえ、やはり男なのである。

いくら毎日つまらない本と向き合っているとはいえ、やはり男なのである。

会話の内容が女のコに関するものになってしまうことはやむを得ないことであった。

いつのまにか話のテーマはいつも図書館で窓際に座っている女のコの話に。

どうやら彼ら2人とは同じ授業をとっているクラスメイトらしい。

彼女はおせじにもかわいいとは言えなかったし、はなはだキレイとも言えない太っていてメガネをかけた地味なコだったのだ。

ここでは便宜的に彼女の名前を「A子」としておこう。

ところで刑法というのは罪刑法定主義に支配されている。

すなわち、条文で定められた構成要件に該当することがまず求められ、さらにそこに違法性、故意と責任が認められた場合にのみ罰が下されるのである。

加えていえばその条文のもつ刑と罰の内容にあたっても基本的人権を保障する憲法によって規律され、何重もの人権擁護のバリヤーがはられている。

人は人である限り、裁判によってのみ確定的な罰を受けるのである。

検事「ところでさ、A子って、あの顔が侮辱罪で死刑


侮辱罪(刑法231条)

事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は拘留または科料にする。


弁護士「死刑にはならないよ!」

検事「このあいだ、エレベーターで2階に上がったとき、ドアが開いたら向こう側にA子がエレベーター待ってたんだよ。ドアが開いた瞬間にあの顔だよ?心臓が止まるかと思ったよ。殺人未遂で死刑!


殺人罪(刑法199条)

人を殺したものは、死刑又は無期もしくは3年以上の懲役に処する。



未遂罪(刑法43条)

犯罪の実行に着手してこれを遂げなかったものはその刑を軽減することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を軽減し、または免除する。



弁護士「死刑にはならんって!」

検事「でも毎日あの顔なんだぞ?いつでも誰かを殺せるんだぞ?殺人予備罪で死刑!


殺人予備罪(刑法201条)

199条の罪を犯す目的でその予備をした者は2年以下の懲役に処する。


検事「もしあの顔で告白されたらアイツの家に火つけておれも死ぬよ、アイツは放火の教唆で死刑だ。


現住建造物等放火(刑法108条)

放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は死刑又は無期もしくは5年以上の懲役に処する。



教唆犯(刑法61条)

人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。



弁護士「おまえが死刑だよ!」

検事「でもさ〜、ほら、そこにいるだけでムカツクってヤツいない?かわいらしいデブは許せるけど、なんか生意気なデブってむかつくよね。そう、アイツはデブなんだよ、アイツがいると廊下が通れないんだよ、往来妨害で死刑!でなかったら20万おれに払え!」



往来妨害罪(刑法124条)

陸路、水路または橋を損壊し、または閉塞して往来の妨害を生じさせた者は、2年以下の懲役または20万円以下の罰金に処する。



弁護士「払わないよ(笑)」

検事「でもなんかアイツって臭わない?香水みたいなイイにおいじゃなくて、なんか特有のにおいっていうか・・・。もし同じエレベーターに乗っちゃったら死ぬよな。だから死刑!」


ガス漏出罪(刑法118条)

ガス、電気又は蒸気を漏出させ、流出させ、又は遮断し、よって人の生命、身体、又は財産に危険を生じさせた者は3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。



弁護士「それは気にしすぎだろう(笑)」

僕はここまで黙って聞いていたのだが、同じ志をともにする仲間としてひとつ言ってやらねばなるまい。

刑法はやはり基本的人権を根幹に据える憲法の規律を受けるものであって、それの濫用は人権を容易に傷つけるものになる。

戦時中の特別高等警察しかり、治安維持法しかり。

基本的人権を重視する立場から言えば、刑法の適用には充分以上の注意をし、必要以上の人権制限は必ず回避しなければならない。

彼らの会話は、僕の精神を興奮させた。

たしかにあの顔は犯罪だ

弁護士「ほう?」

「ただし、彼女も充分にその罪は償っていると思うが?事実二十数年間、おそらく彼氏はいないだろう。それは立派に罪を償っているとはいえないか?」

検事「なるほど。」

と、そのとき図書館からA子が出てきた。

仲良さそうに男と手をつないで。

逃走罪で死刑!


逃走罪(刑法96条)

裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは1年以下の懲役に処する。



検事「まさか男がいたとは・・・」

弁護士「おれたちの負けだな・・・」

そこで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

図書館に戻るところで僕は気がついた。

むしろ僕らが名誉毀損。

名誉毀損罪(刑法230条)

公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損したものは、その事実の有無に関わらず3年以下の懲役もしくは禁固又は50万円以下の罰金に処する。




教訓「現実は条文どおりには行かない」




 
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