僕は現在、とある家で家庭教師もしている。 東京に比べ京都ではまだまだ進学塾の発展が遅れていて、個人指導や家庭教師に頼る部分がかなりあるのだ。 僕が今通っている家は少しばかり上流階級に属する家庭だ。 受け持っているのは私立に通う小学5年生(♂)、太郎君(仮名)。 中学受験の塾にも通いつつ、そのフォローを僕がしているというカタチだ。 どうやら同志社中学を目指していて彼もマジメに勉強しているらしいのだが、かわいそうだがその学力では到底ムリそうな気もする。 太郎君は、元気はあるものの、多少バカだった。 僕は社会と国語を指導し、毎回2時間、一切の休憩なくギリギリの集中力を引き出して教えている。 それのせいだろうか、後半になってくると彼も疲れてきて脳の回転が悪くなるようだった。 ある日の指導で、1時間以上経過して疲れてきてからのこと。 僕: 「はい、じゃあ次の四字熟語の問題10問を5分間で。スタート」 もう中学受験においてはお約束のものであるが、
太郎君: 「・・・豚肉絶食?」 貴様はイスラム教徒か? そういわれてみると濃い系の顔立ちをしていた。 しかし彼は至ってマジメにそう答えているのであった。 彼のおおらかな性格をよく表わすこととして、もう一つ言及しないといけないことがある。 その家には一匹の犬が放し飼いにされている。 血統書はないものの、申請すればとれるのだとか。 確かに雑種には見えなかった。 どうやら近所の家で生まれた子犬をもらってきたらしいのだが。 ある日の指導開始前。 僕: 「へ〜、犬飼いはじめたんだ。名前は?」 太郎君: 「マルチ。これ、マルチーズだから」 . . . . . . . . . . . . 間違いなくその犬はシーズだった。 僕: 「・・・ふーん」 第二次大戦後に構築されたパラダイム、冷戦体制というのは資本主義VS社会主義という図式の中に世界中の国家を取り込んだ。 このことは“民族”紛争を抑制するという一つの効果を生んだ。 すなわち、旧ソ連を例にとればその中にある数十もの民族は冷戦構造によって一つにまとめられていたのである。 旧ソ連が崩壊してから、民族紛争が活発化したことを見ればそれは明らかだろう。 自己の属性に対する意識、アイデンティティというのは現代においては非常にナイーブな問題になってきているのである。 イギリスの中の北アイルランドに住む人に向かってイギリス人と呼ぶことはできない。 なぜなら彼らは自らを「アイルランド人」だと考えているからである。 スペイン国内で独立自治を求めているバスク地区の人をスペイン人と呼ぶことはできない。 なぜなら彼らはスペインとは一線を画した「バスク人」であると自負しているからである。 彼らの自己属性意識、つまり自分が何モノであるのか、ということを外部から強引に押し付けることは彼らに対するはなはだしい人権侵害であって許されることではない。 ましてガングロであったとしても日本人に対して「よ!セネガル人!!」と呼びかけることはケンカを売っているにも等しい。 そのシーズはマルチーズという犬種を押し付けられていた。 僕: 「なあ、そのマルチはなんか芸とかするの?」 太郎君: 「なんもせえへん。 あ、でも、一つ面白いことある!!」 僕: 「なになに?見せてよ」 太郎君は、キャンキャン鳴いているマルチのカラダを押さえつけてそれにまたがり、自分の股間をマルチの頭に持っていった。 そして、ブブブブブブブ、と放屁をした。 おならとは消化過程で発生する大腸菌の活動などによって作り出される二酸化炭素(炭酸ガス),水素ガス,メタンガスが主となる。 ゆえに本来は無臭のはずなのであるが、肉料理や一部の野菜、あるいは調理方法によってはとてつもない悪臭となる。 おまえは何を食ってんだ? そして犬は昔から「鼻で考える動物」と言われ、犬の臭覚力は人間の3,000倍から10,000倍と言い、特定のにおい(脂肪酸等の臭い)では、人間の100万倍以上とも言われている。 それゆえ犬は犬種を問わず警察犬・軍用犬として育成されてその高い能力を発揮するのである。 今、太郎君の放った有機メタンガスは強い毒性をともなってマルチの鼻を直撃した。 ニヤニヤしている太郎君。 あぜんとしている僕。 毒ガス攻撃を受けてマルチはクゥ〜ンと鳴き、ヨタヨタと歩き、壁に頭をぶつけて止まった。 オマエは日本動物愛護協会に殺されるぞ。 時が将軍・徳川吉綱の時代であれば生類憐れみの令によって獄門さらし首は確実だった。 僕: 「・・・。」 太郎君: 「おならかけるとこういう歩き方になるねん(笑)」 それは当然だろう。 今、マルチは自分の属性とは違う名前を与えられ、そして虐待を受けていた。 日本人に向かって「おまえは黒人だ!」と洗脳し、毒ガス室へ送るのと似ている。 その日の国語と社会は、いつになく厳しい授業となった。 視界の端でマルチがヨタヨタ歩いているのが見えたからだった。 今度から太郎君のことはジョン、とでも呼ぶことにしようか。 |