僕は今、ホストクラブにバイトしにいっている。 ホスト系の水商売といっても3000円飲み放題というホストパブ、おミズのお姉さん対象のナイトパブといろいろあるのだが、一番ステイタスと支払いチェックの金額が高いのがクラブと名のつくホストクラブであるように思う。 ホストクラブ。 ここは人生の半分を過ぎた有閑な淑女が集まる場所である。 ワインやブランデーのグラスを傾けながら、タバコの煙をくゆらし、そしてホストとソシアルダンスを踊る。 京都祇園に集まる淑女は和服の似合うしとやかな女性なのだ。 ***** いらっしゃいませ。 いらっしゃいませ。 ・・・。 お客さまがお見えになると、一列にならんだホストが微笑みとともに一礼をし、出迎える。 いらっしゃ〜い(桂三枝のマネ)、とは間違っても言ってはいけないのである。 しかし、口ヒゲをたくわえた常務だけは別格のようであった。 常務は桂三枝のモノマネが好きなのである。 ところで僕は他のホストの人と違って、時給制なので指名してくれるお客さんがいなくても安心して働くことができる。 本来ホストとは歩合制であるのが普通で、お客さんの来ないホストは日給2000円のスタートとなるのだ。 そして指名されたホストがメインのホストとなって、お客さんの来ていないホストはヘルプとなって水割りを作ったり、おしゃべりに疲れたメインの代わりにダンスを踊ったり、しゃべったりするのである。 僕がその日テーブルについたお客さまは、桜井主任を指名で来店された40歳前後の太めの女性であった。 僕がお客さまの水割りを作っている時、 客「暑いわねえ」 僕「そうですね、今日は最高気温38度もあったらしいですよ」 客「ああ、暑い暑い、こうも太ってるとゼイニクがかゆくてかゆくて」 ・・・・・・。 お客さまは一回のご来店でだいたい4〜5万円ほどのお支払いをされる。 つまり、それ以上の満足感や夢をこちら側に求めているということであり、絶対に失礼があってはいけないし、すべてお客さまの良いようにするのが僕らの努めなのである。 だからたとえそのお客さまが持っていたセンスでスカートの中を扇いでいても、止めることはできないのである。 僕「このお店の中は一応クーラーが最大にしてあるんですけど・・・。結構しばらくすると涼しくなると思いますよ。涼しすぎると風邪ひいてしまいますし」 客「ウフフ、かわいいわねえ。寒くなったらアタシの胸であったまる?グフフフ」 余計寒くなる、とは口が裂けても言えないのがホストクラブなのである。 僕「ハハハ・・・」 そして会話はすすむ。 僕「夏っていえばアバンチュールの季節ですよね。僕も彼女いたらな〜、素敵な夏になるかもしれないんですけどね〜」 客「アタシと海にでも行く? グフフフ」 アバンチュール。 フランス語である。英語でいうところのアドベンチャー、「冒険」という意味の言葉だ。 夏のアバンチュールとはつまり、夏なんだから少しくらい大胆になって冒険しちゃおう、という意味なのであって、 オバンとチューするという言葉とはまったく意味が違う。 それはそれである意味危険な冒険なのかもしれないが、僕としてはそういう冒険はできる限り回避したいのだ。 さらに会話は続く。 僕「もうすぐ琵琶湖とかで花火大会とかあるじゃないですか。いえ、このあいだも祇園祭とかあったんですけどね、女の人の浴衣姿っていいですよね。なんか、カワイサ1.3倍って感じで。」 それを聞いていた桜井主任が、お客さまに向かって、 桜井「今年、新しい浴衣、You、買った(笑)?」 僕は日本語という言葉を尊敬して使っている。 大和時代から今日にかけて、日々無数の人々が積み重ねてきたコミュニケーションの蓄積。 それら過去から現在にいたるすべての日本人、まさに古今東西すべての人々が作り上げてきた日本という国独自の文化がその中に生命として息づいているのである。 神様、この日本語への冒涜は許されるのですか? しかし、その一方で無視しえない事実として、ヒエラルキーの存在がある。 どんな小さな社会や組織にも階層となった人のつながりがある。 この階層を無視した言動や行動は許されないものなのである。 僕「主任、いまの最高っすよ、吉本レベルッスよ」 僕の心は涙を流していた。 もし吉本関係の人がそばにいたら市中引き回しの刑に処されるのは明白であるくらいの賛辞であった。 僕はその日の帰宅後、しばらく白い壁を見つめて正座をしていた。 なんか間違った人生に足を踏み入れてしまった気がしたのである。 脳ミソもとろけそうな暑い夏の日の出来事であった。 教訓「ホスト稼業はむしろカンタンなのか?」 |