異文化間における相互理解は重要だ。 文化とは、「特定の環境下における一定の行動様式」と定義される。 日本の場合、どちらかというとスリムな女性の方が美しいとされる。 しかしトンガでは太っていれば太っているほど好ましいとされている。 日本の場合、トイレにはトイレットペーパーが常備されている。 しかし中東以西には紙ではなくて水瓶が常備されている。 普段は気にかけないものの、世界中で行動様式はさまざまなのだ。 そうした世界各国は、昨今急激にその国家間の距離を狭くしている。 飛行機の技術発展や空港の新設、情報処理技術の発達により、安く・速く・カンタンに海外と行き来できるようになったのである。 ここで重要になるのが、異文化間の相互理解だ。 そもそも価値観が異なっている、という前提をもっていないと、異文化のあらゆる側面に驚愕し、怯え、マイナスの印象を受けてしまうことになる。 ひいてはそれが民族的な対立に及ぶことさえある。 留学の意義というのは語学の習得にのみあるのではなく、むしろ異なった価値観、基準値、文化をカラダで感じることのほうにあるのかもしれない。 ***** 高校2年の夏、僕はアメリカのアイオワへ行った。ホームステイだ。 陸上部の合宿を休んでの初めての海外だった。 向こうの家族は、父親、母親、息子、娘。 息子は大学生。娘は僕と同じ年齢だったが当時ドイツへ留学中だった。 当然、出国前には向こうの家族へ何回か手紙を書いた。 内容は自己紹介に近いモノで、例えば学校での生活や趣味、あるいはよく観るテレビ番組・映画のことなんかである。 生活習慣の違いについても重要だ。 互いの行動様式をあらかじめ知っておけば、不要な衝突は避けられるからだ。
というような手紙をまだ見ぬアメリカの家族へ書いて送ったのだった。 ***** アイオワの片田舎。 見渡す限りのトウモロコシ畑・大豆畑。 地平線がはるかかなたにある。 時速160キロで疾走しても、次の町が見えてこないような、そんな小さな町。 灼熱の太陽が降り注ぐその真下、そのとき僕は熱疲労と脱水症状で死にそうになりながら、ジョージおじさんの家へ向かって走っていた。 本当に死にそうだった。 「17歳日本人高校生、アイオワでジョギング中に死亡」という見出しが脳裏をよぎったくらいだ。 ホストファミリーの弟家族は20キロほど離れたところで農家をしている。それがジョージおじさんだ。 大学生のホストブラザーは、高校のとき、ほぼ毎日このコースを往復していたのだという。その距離40キロ。 毎日がフルマラソン。 「走るのが趣味」という健康的な主張をしてしまったために軽くすすめられたのがこのコースで、結局断ることができずに二日おきにトレーニングをすることになってしまった。 すでにジョージおじさんに連絡済だったのである。 二日おきとはいえ、往復でフルマラソンだ。 ここはタイガーマスクが修行した虎の穴か? ちなみにこの地方の人間はみな、デカい。 父親は身長190センチ。母親は170センチ。 大学生の息子も190センチでおそらく体重も90キロ近くありそうだった。 日本人の平均身長/体重の僕はまるでコビトだ。 12歳の小学生と同じ身長だったのには、少しショックだった。 そういった体格差を考えていなかったのである。 そう、食事だ。 毎日の食事の量は必ず、ダイエット中だという母親よりも多めの量となっていた。 これも間違いなく僕が書いた手紙の内容に忠実だ。 ただ、基本となる一人分の量に対する認識が異なっていた。 肉500グラム、ジャガイモ5個、パン3つ、サラダたくさん。 日本でいうところの、およそ3人分くらいだろうか。 食えねぇよ。 そして皆優しいので自分の皿からいくつかの肉・野菜を僕の皿にくれたりもするのである。 死んじゃう!死んじゃう! ブラッドピット主演の『セブン』という映画をご存知だろうか。 しかし、あらかじめ書かれた手紙を信じているホストマザーは、僕がダイエット中の自分よりも少食だと心配そうに尋ねるのである。 「あら、カラダの調子悪いの?」 この優しい言葉に心配をかけたくなくて、そして当時の英語力では釈明しようもなくて、僕は必死に食べるしかなかった。 むしろそれでカラダの調子が悪くなったとしても仕方のないことだったろう。 毎日が下痢だった。 二日おきのフルマラソン。 過剰摂取ともいえる栄養。 そして6週間のホームステイはこれといった問題もなく、無事に終了した。 帰国後、僕の陸上のタイムは確実に速くなっていた。
|