僕はそのとき中国南部の都市から別の都市へ移動していた。 旅行会社に頼んだところ、大型バスと小型バス、乗り合いタクシーを乗り継ぐことになった。 ***** 小型バスを降りた僕の前に現れたのは、数年前のモデルと思われる三菱のパジェロだった。何世代か前とはいえ、パリ・ダカール・ラリーで何度も優勝した名車だ。 しかし気になるのはその車体につけられたいくつもの擦り傷、ヘコミ傷だった。 後部トランクに荷物を載せるときに気付いたが、バンパーはガムテープで止められていた。 小型バスを降りた時点でこの先の客は僕一人になったらしい。 僕は少し迷ったあとで、このパジェロの助手席に乗った。 さて、中国では昨今、経済発展が著しい。 国民一人当たりの生産高も所得も激増し、かつて自転車天国と言われた国も現在では多くの国民がクルマを所有する。 加えて、経済発展を支える一つの産業として物流があげられる。 鉄道網も発展してはいるが広大な国土からすればまだまだ貧弱で、道路を使った陸上輸送には及ばない。 だが、中国の道路事情は激増する需要に比して圧倒的に整備が遅れている。 不幸なことに、僕がそのパジェロに乗ったのは夕方の渋滞が始まった頃だった。 パジェロが進む道路はトラックとバスで長い渋滞の列を作っていた。 運転手は30代半ばと思われる角刈りの男性だった。 少しウド鈴木に似ていたのでここでは便宜的にウドと呼ぶことにする。 ウドは少々いらだっていた。 だから僕はその後の展開を少しは予想していた。 しかしそれはかなりの過小評価だった。 遅々として進まない渋滞の列に我慢できなくなった彼はハンドルを左に切った。 日本とは逆で、中国はアメリカ同様の左ハンドル右側通行である。 パジェロは反対車線で逆走を始めたのだ。 ウドはアクセルを踏み込んだ。 キックダウンで時速60キロまで加速した。 対向車線も空いているとはいえ、何台かのクルマは通る。 正面から対向車が来た! 急ブレーキで本線に割り込むのだろうか。 いや、トラックもバスも1メートルも間隔を空けずに詰めて列を作っている。 入れる場所は? と僕が心配するのをよそに、ウドはさらに左にハンドルを切った。 パジェロは反対車線の、さらに向こう側の歩道を走っていた。 「この光景、いつだったか見たことがある・・・」 奇妙なデ・ジャヴに襲われたがそれはよくよく考えてみるとリュック・ベッソン監督のワンシーンだった。 前述した通り、中国ではクルマの登録台数はうなぎのぼりになっている。 しかしやはりその一方で従来のように自転車の荷台に大量の荷物を載せて運搬する人が消えたわけではない。 歩道を走るパジェロの少し先では高齢の老人が自転車の荷台に自分の背丈よりも高くビールケースを積んで立ち漕ぎをしていた。 ウドはブレーキを踏まなかった。 その代わりクラクションを鳴らした。 通常、パジェロのクラクションは「プ、プー」といった程度だ。 しかしこれは違った。 パオーン、パオーンとけたたましく老人を脅かしていた。 老人は道の端に寄った。 ガツン! だがワイドサイズのパジェロのドアミラーが老人のビールケースにあたったようだった。 パジェロが傷だらけである理由はこれだったのかもしれない。 振り返って見てみると、いくつか積んであったビールケースはすべてひっくり返り、ビンが散乱していた。 一般に、中国仏教国だと思われているかもしれないが、他方で儒教国である側面も強い。 儒教とは孔子が春秋戦国時代に説いた思想で、老人を尊敬することも重要なことだと教えている。 が、少なくともウドにその気はこれっぽっちもなかった。 驚いた僕が彼のほうを見てみると、ウドは半目で薄笑いを浮かべていた。 |