モロッコの町で
〜マイケルという男〜



 






その時僕はモロッコのアガディールという町にいた。

モロッコはカサブランカを最大の都市とする北東アフリカの国だ。

スペインの真南にあって、ジブラルタルを渡ればすぐそこにカサブランカがある。

アガディールはそんな都市部から離れた、だいぶ南に位置する大西洋沿いの町である。

ひっそりとしたリゾート地になっていて、カサブランカのような喧騒を嫌うヨーロッパ人がここで静かなバカンスを楽しむ、というようになっているらしい。

だからデパート、大型のショッピングモールなどといったものはなく、せいぜいホテル周辺のみやげ物屋くらいしか近代的な店はなかった。

地元の人たちは中世から残る「市場(いちば)」で買い物をする。

周囲には岩で造られた砦。

中は迷路のように入り組んでいる。

これらはすべて盗賊から町を守るために意図的に造られたものだ。

この中では屋台、あるいはゴザの上に商品を並べてモノが売られている。

ここで売られている商品の中には、テレビのリモコン(テレビなし)やボロボロになった服など、とても売り物にはならないようなものまで並んでいる。

少なくともフリーマーケットですらお目にかかれない品物ばかりだ。

こういったものを眺めるのが好きで、僕は途上国に行くと必ず珍しいモノを探しにマーケットへ向かう。

市場の入り口にはかつて盗賊からの侵入を阻止した重厚な門がある。

かつては外から来た者には閉ざされていた門なのかもしれないが、今では逆に観光客を呼び寄せようと必死だ。

途上国の多くは、やはり財政政策・金融政策がうまくいっていない。

インフレーションや為替の変動は人々の生活に重くのしかかるものなのだ。

だからここの人たちも、現地通貨よりも安定しているドルや円を求めているのかもしれない。

*****



「あなたは、ニポーン人ですか」



僕がゴザの上に並んだ片方だけの靴を眺めている時に背後から日本語で声をかけてきたのは、ヒゲを生やしたモロッコ人だった。

モロッコはイスラム教の国で、顔にカミソリをあてることは宗教として禁じられている。

ヒゲは「切る」ものなのだ。

それはともかくとして、途上国で日本人に対して日本語で話しかけてくる人にまともに付き合うとロクなことはない。

: 「はあ・・・」

警戒した顔の僕に向かって

「マイケル・ジャクソン好きカ?」

: 「まあ。普通に・・・」

「ワタシもマイケルジャクソン好きです。ワタシのことはマイケル、と呼んでクダサーイ」

マイケル・ジャクソンが好きだから、自分のことを「マイケル」と呼べ、というモロッコ人のおじさんだった。

40数年生きてきたその顔には深い皺が刻まれ、これまでの人生の苦労を物語っている。

口ヒゲの先端には、少し前に食べたと思われる食事のケチャップらしきものが付着していた。



どこをどう見たらマイケル・ジャクソンなのですか?



熱狂的なファンがいたら刺されているに違いない。

: 「えーと、それじゃお達者で」

早々に退散しようとすると

マイケル: 「チョト待ってくだサーイ。フレンド、フレンド!」

フレンド=Friend: お互いのことをよく知り、情緒的共有を得られる人間のこと。知人。仲間。

僕はあなたがマイケルジャクソンのファンである、ということしか知りません。

: 「なんでしょう?」

マイケル: 「ワタシはあやしい者ではアリマセーン」

自ら「あやしい者ではない」と言う人間が、あやしくなかった試しはない。

: 「分かりました。あやしくないんですね、それじゃ…」

その場を離れようとしたのだが、マイケルは僕の服のそでをつかんで離さなかった。

事は穏便に運びたい。

そして、その時僕は一人だったので、ヒマだった。

少し付き合うことにした。




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