みにくいアヒルの子
〜白鳥は白鳥でいられるの?〜



 


その子供は算数と理科が苦手でした。

いえ、正確にいうと算数も理科も得意だったのですが得意すぎたのです。

テストの問題を見ると直感的に答えがわかってしまい、その過程を説明することができず、点数をもらうことができなかったのです。

小学校、中学校と彼の成績は数学、理科に限らずすべて点数は悪いものでした。

最終的な答えはわかっても、その直感を説明できなかったのです。

彼はそのせいでみんなからバカにされ、いじめられました。

「やーい、やーい、うすらバーカ、成績悪い超おバカさん!」

「平均点70点で15点なんてどんな頭してるんだよ、おちこぼれ〜」

もちろん家でも親に叱られました。

「なんでおまえはそんなに出来ないんだ!」

彼は悲しくなりました。

*****

しかしそんな彼も大学を受験するころにはめきめきと能力を発揮し始めたのです。

彼のはるか高度な神がかり的な能力にようやく文章説明力がついたということなのでしょうか。

難なく東京大学に進学した彼はそこで金融工学を専攻することになりました。

大学4年間の彼の研究は教授陣も目を見張るもので、常に周囲に驚きを与えました。

ここにきてやっと彼は自分の持つ能力を理解し、自信をもったのです。

しかしやはりいくつかの論文は直感が突出し、説明力に不足するもので、何人かの教授には理解することができませんでした。

「大筋のプロットは理解できるし、結論も理解できる。しかしこの説明は不十分だ」

彼の理論のよって立つ枠組みは現状の常識を大きく逸脱するものだったのです。

「この考えは間違ってないはずだ。だってオレは天才なのだから」

彼はまた少し悲しくなりました。

それでも彼には自信がありました。

いつかは認められるはずだ。

そう、子供のころ周囲から認められなかったのは周囲がオレについてこれなかっただけのことなのだ。

*****

大学を卒業した彼は日本のとある一流銀行に就職しました。

大学時代に専攻した金融工学の知識を総動員して新たに銀行業務の主流となるハイテク金融商品の開発に取り組むことになったのです。

オレはここでかつてない金融商品を開発するんだ!

彼の目には希望と野望の光が宿っていました。

そうです。

白鳥としての自覚を持った彼には自信がみなぎり、怖いものはもうありません。

彼は必死に開発に取り組み、いくつかの商品を開発しました。

彼にしてみたら小手調べ程度のモノでしたが、銀行内では高く評価されました。

本店内での立場も急上昇していきました。

そして彼の後を追うように成績をあげていた同期の青年もいました。

その青年は彼ほど天才的な直感はありませんでしたが、地道に研究を続けやはりいくつかの高い評価を得る商品を開発していました。

彼にしてみたら天才的な直感のないその青年など「普通の人」でしかなく、いわば白鳥の自分に対してせいぜいアヒル程度でしかないな、という認識しかありませんでした。

ある日のこと。

金融商品の開発部に一つの指令が下りました。

いくつかの条件が付加された下でリスク最小、利益最大というハイテク金融商品を開発せよ、との命令でした。

彼とその青年はまったく別のコンセプトに基づいて開発をすすめました。

その結果、ほぼ同時期に二つの新商品が開発されました。

その次の日の重役会議。

「どうだね、この二つの商品。どちらも素晴らしくイイ出来ではあるんだが…」

「そうですね。でもこちらのほうが確実にリスク最小ですし、確実に利益は最大値をとるようです。まあ、結果的に、ですが…」

「ふむ。そっちのほうはどうだ?リスクの最小化は確実ではないのか?」

「いえ、これまでの商品に比べれば充分な数値です。でもこちらに比べればやはり劣るというか…」

「なるほど。しかし…。これを他の銀行が許すと思うか…?」

彼の開発した金融商品は与えられた条件を充分に満たし、その上で画期的な機能を持つものになっていました。

しかしそれは一種型破りな商品であり、他銀行との横並びを基本姿勢とするその銀行の商品としては扱えないものとなってしまっていたのです。

彼の商品を採用することは「普通」であることを標榜するその銀行の方針として不可能だったのです。

結局、採用されたのは「普通の人」が開発した商品になりました。

彼はその後いくつかの「普通の商品」の開発に携わりましたが、それに耐えられず、しばらくした後に総務部へと異動させられました。

今、彼は窓際で道行く「普通の人々」を眺め、新聞を読み、郵便局へ郵便物を運ぶ毎日を送っています。

顔はやつれ、目に光はありません。

彼がストレス性の胃ガンで余命半年と宣告されるのは数日後のことでした。



教訓『アヒルばかりの世界で白鳥は空を飛べるのか?』


【解説】

他のアヒルと体つきが違う、声が違う、とバカにされたアヒルの子。

しかしいずれ時がたつと美しい白鳥になり大空にはばたいて飛んでいきます。

その白鳥をバカにしていたアヒルは空を飛ぶことができずにただ呆然と見ているだけでした…。

さて。

しかしこの横並びの社会、異物を排除しようとする傾向がある社会の中で特異な能力を持った人はその素晴らしい能力を発揮して生きていくことができるのでしょうか。

もちろん白鳥はアヒルにはなれません。

ムリをするときっとこの主人公のように体をおかしくするでしょう。

白鳥は白鳥らしく。

かといってアヒル社会の中ではやはり白鳥は自由に大空を飛ぶことはできないのではないでしょうか。

特に閉鎖的、保守的、旧態依然とした中に生まれた革新性というのはそう簡単に存在を認められることはありません。

アンデルセンの物語の中では最終的に、アヒルたち自身の「心のみにくさ」や、井戸の中の蛙に値する「微力さ」が強調されています。

しかし現実の社会においてはそういったアヒルたちの「劣等性」、「連帯性」こそが白鳥のもつ「革新性」にも勝るのではないでしょうか。

まあ、そんな救いのない世界でもないとは思いますが。

みなさんの周りではいかがですか?

 

 
英国居酒屋
お遊びページ
大人のための童話集