それまでじっとおじいさんは聞いていました。 お地蔵さんがしゃべりきって満足したのを見ると、やおら立ち上がって、 おじいさん: 「黙って聞いてりゃ調子に乗ってべらべらと!地蔵ごときがエラそうにワシに指図すんな! オマエらは黙ってありがとうございます、と頭下げとったらええんじゃ!施しを受けた分際でエラそうに何をぶつくさ文句言うてんねや!」 猟銃にはもう弾が入っていませんでした。 おじいさんは90歳を超えているとは思えない身のこなしでお地蔵さんを担ぎ上げるとそのままパワーボムの体勢をとりました。 お地蔵さん: 「なんとー!」 お地蔵さんはカウント2.5秒でネックスプリングの要領でおじいさんのカラダを弾き返すと、 お地蔵さん: 「ジゾウ・ダイナミック!ダイナミック、ダイナミック!!」 石の手刀でチョップの嵐です。 おじいさんはそのチョップの応酬に耐え切ると、今度は、 おじいさん: 「空中地獄車!!」 お地蔵さん: 「ストーン・サンダーボルト!!」 そして。 それぞれの奥義を出し切った2人は向かい合って、 おじいさん: 「なかなかやるな、ジゾウのくせに」 お地蔵さん: 「フ、オマエもな、ジジィのくせに」 すると、おじいさんの額がぱっくり割れて、おじいさんはゆっくりと前のめりに倒れていきました。 ピシ。 そしてお地蔵さんの額に入ったヒビも全身に行き渡り、最後には粉々に砕けていきました。 ボーン、ボーン、ボーン・・・ 遠くから鐘の音が聞こえてきます。 それは新しい年の到来を告げる除夜の鐘でした。 雪は一向に止む気配はなく、しんしんと降り積もるのでした。 |
【解説】 情けは人のためならず。という諺。 本来の意味は「情けをかけるのは、それが巡り巡って自分に戻ってくることを期待するから」というもの。 間違った用法としては、「その人のためにならないから、情けはかけないほうがよい」というもの。 別の間違った用法としては、「情けをかけるのは、そんな自分に満足するためであって、他人のためにするのではない」というものがあるのではないだろうか。 つまり、諺の正しい解釈はともかくとして、情けはどうあるべきか、の解釈には3通りはあるのではないかといえる。 また、逆にこの諺に真っ向から反対することも可能だ。 すなわち、情けは人のためにせよ。 ある種キリスト教的な自己犠牲の精神に基づく発想だ。 これはそれなりに美しいのだが、ただし、かける情けが「押し付け」になるきらいもある。 例えば。 Orient =東方 という言葉がある。また類義語にOrientation = 導き という言葉もある。 これは、「(欧州から見て)東方の国々は文化レベルや宗教レベルが低い、ゆえに導いてやらねばならん」という独善的な発想が背景にあることを裏付けている。 「情け」に関する上の4つの解釈はいずれも正しく、同時に間違っているのではないか。 少なくとも僕にはこれら4つの解釈にはそれなりの正当性と不当性が同時に見受けられるのだ。 今回はそんなようなお話。 あなたの「情け」はどんなものですか? |