ジキル博士とハイド氏



私は深い闇の森のなかで迷子になってしまったようだ。そしてこの深い森の中からはどうあがいても抜け出すことができないような気がする。深くて、深くて、漆黒の闇の中、私は手探りであてもなく出口を捜し続けているかのように思う。

私は最近、自分が恐くなる。いや、正確にいえば、私の中にいるもう一人の自分に恐怖している。自分の中にもう一人の自分がいる。そして「そいつ」は確実に「私」の領域を侵蝕しているッ! だんだんと私が小さくなっていき、「そいつ」が大きくなっていることを私は感じているのだ。

私は生来臆病なほうで、どちらかというと内向的であるように思う。他人としゃべるときでも、かなり親しい間柄であっても緊張するし、一人でいるときのほうが心が落ち着くのだ。昔っから一人で遊ぶことのほうが多かった。

私が自分のなかにいるもう一人の自分に気がついたのは、小学校のころだった。私は誕生日に買ってもらったおもちゃで一人で公園で遊んでいた。それは合体変形する超合金のおもちゃで、とてもうれしかったのを覚えている。当時にしてみたら結構な値段のするもので、比較的お金持ちの子供しか手に入らなかったものだ。

私の家はそんなにお金持ちではなかったが、父と母はそんなことを顔に出さず、誕生日に買ってくれたのだった。子供心にもその愛情はとてもうれしく感じられた。私が公園の砂場で遊んでいると、そこに年上の子供が数人やってきた。同じ小学校の二つ上の学年だ。私は直感で不安を覚えた。そして数分後、その不安は現実のものとなった。

「いいもので遊んでんじゃん」

そういって、彼らは私のおもちゃを取り上げたのだった。私は言い返すこともできずに、薄ら笑いを浮かべて、心配そうな視線をそのおもちゃに与えるだけだった。彼らはそんな私に心配をよそに、乱雑な遊びかたを始めた。それはおもちゃを激しく痛めつけて、私をからかうことが目的だったように思う。「撃墜されましたーっ!」そういって彼らのうちの一人がニタニタ笑いながらおもちゃを地面に叩きつけた。

そのときだ。どっかで聞いたような声が、低く聞こえた。

「…ふざけんな」

誰かが助けに来てくれたのかと思って辺りを見回そうとした。しかし、その声は、驚くべきことに私の口から発せられたものだったのだ。そのあとのことはまったく覚えていない。ただ、気がついてみると、顔や腹を押さえてうずくまる彼らがそこにいて、私の拳が傷ついていたのだった。正直な話、このときは私はもう一人の自分に、感謝した。

高校に上がってから、私は化学部に入った。元来、机の上で一人で研究することは好きだったのだ。そこのクラブには一つ上の先輩に、後輩使いの荒い先輩がいた。彼はジュースを買ってくるのだとか、そういったことまで後輩を走らせる人だった。

もちろん人望などはなかったが、それでも上下関係ゆえに、私たちはいやいやながらも命令を聞くことにしていた。ある日、私が顕微鏡を覗いていると、その先輩がクラブで使う材料を買いにお使いに行ってくるように命じた。ちょうどそのときは私一人しか後輩がいなかったのだ。
しかし、もうすでに下校時刻に近く、行って帰ってくるころには学校が閉門されていることは確実だった。私はその旨を言い、次の日に行きます、といった。

しかし、反抗したことに腹をたてたのか、彼は唾を吐いて「おれに逆らうな」と激しく私をビンタした。私は、なぜここまでされなくてはならないのか、という不条理感に襲われた。

そして、長い数秒間ののち、「…なめんな」という低い声が自分の口から聞こえた。それは久しぶりに聞いた、もう一人の自分の声だった。私がもう一人の自分から、自分を取り戻したのは、部員数人に取り押さえられて、身動きが取れなくなったときだった。そのとき手には血がついた顕微鏡を持っていた。

それ以来、私はできるだけ危険には近づかないように生きてきた。そしてある程度は自我をコントロールして、「そいつ」が現われないようにすることもできるようになった。

しかし、それに反して「そいつ」は私がキレるとき以外でも自由に現われるようになった。そうなのだ。キレるときの出現は抑えられるようになった反面、自由に「そいつ」が私を凌駕するようになったのだ。結果的には悪いほうに進んでいるのかもしれない。

高校、大学のあいだを通じて、私は時折記憶を失うことがあった。短いときで数分、長いときで数日、記憶がばっさり飛んでいるのだ。間違いなく「そいつ」が現われている時間だろう。

必ずしも「そいつ」が何か問題を起こす、ということはないらしい。しかし、友人らに言わせると、たまに私は「別人」のようになるということだった。どうやら「そいつ」にもある程度の社交性、人格、教養というものが備わっているらしい。

そして、現在でも記憶が飛ぶことが多い。しかもその間隔は確実に狭まってきている。「そいつ」が私を侵蝕してきているのだ。私は自分の人生、自我というものにはそれほど執着はない。いっそ、もう二度と私が現われないのなら、完全に「そいつ」が自我を支配するのなら、それでもかまわない。そう思ってさえいる。

しかし、私が「そいつ」を恐怖するのは、「そいつ」が好戦的であるからでも、豪快な酒飲みであるからでもない。ケンカや飲酒程度のレベルで私はもはや驚かない。そしてそれらが後に残す後遺症といってもそんなに大したことではないのだ。この趣味に比べれば…。もしハンコを押すようなことになったらどうするのだ?

「あ、起きたの♪ 今からサラダ作るね」

初めて聞く甲高い女性の声だ。今朝は何日だ? やはり一日飛んでいるようだ。キッチンから、裸にエプロンをつけただけの中年の女性が出てきた。

やはり毎度のごとく顔は「大屋政子」に似ていた。

この女、なぜルーズソックスを履いているのだろう?




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