カエルの王子さま

さる大会社の社長には三人の娘がいた。長女は今年一流企業に就職し、そろそろ婿捜しを始めようか、という年齢。次女は某お嬢様大学に在学してテニスサークルに夢中になっている。

そして、三人のなかでもとびきり容姿が美しかったのが三女のリエだった。

リエは渋谷にある私立女子校に通う高校2年生で、『渋谷最強の女子高生』を自負するほどの遊び人だった。

雑誌のモデル業はいうに及ばず、現役女子高生DJとして六本木のクラブでターンテーブルを回し、そしてラジオ・テレビにも進出しているほどの有名人だった。おそらく渋谷界隈の高校生のあいだで知らない人はいないだろうと思われるほどの活躍ぶりだった。

ある日、リエは渋谷駅の改札で、定期入れと財布の両方をなくしたことに気がついた。銀行に行けば貯金はあるし、パパに言えばいくらでもお小遣いはくれるのだけど、こういうときは何の役にもたたない。

200円程度の小銭が必要だったのだ。もうすでに銀行もATMも閉まってしまっているし、途方にくれてしまった。

「ああ〜ん。誰か電車代貸してよ〜」

誰にも聞かれるはずのないボリュームの独り言だった。しかし、背後からぼそぼそっとした声が聞こえた。

「お嬢ちゃん、お金貸そか。ぐへへへ」

見るとそこには、見るからに「オヤジ」のオーラを発していた男がいた。中途半端にハゲあがった40歳くらいの中年で、ベルトから肉があふれるくらい、太っていた。

今の季節、そう暑いわけでもないのに、なぜいつも脂ぎった汗を浮かべているのか、よく理解できない。鼻毛もよく伸びていて、この大気汚染激しい渋谷によく対応していた。

極めつけは、耳の穴から生えた黒い毛だった。この毛にはなんの意味があるのかよくわからない。

「え…でも…」

リエは一瞬躊躇したが、電車代くらいこのオヤジから借りペチしてもバチはあたらないと思いかえし、

「250円、貸してもらってもいい?」

と上目づかいで聞いてみた。敬語ではなく、親しみを込めてかわいらしさを強調するのがテだ。

「ええで。そのかわり、ひとつだけ言うこと聞いてくれるかいや」

援助交際どころかただの電車代程度なのに何をいってるのだろう。このオヤジは。でもここは適当に話を合わせておけばいい。

「うん。なんでもする」
「よう言ったな。おっしゃ。そんじゃ、嫁さんになってもらお
なかなか面白いジョークだった。

「は〜い。わかりました」

そしてリエは電車代をもらうと、ニセの携帯番号が書いてある名刺を渡して、微笑んだ。その電話番号は、以前ナンパしてきたチンピラのモノなのだ。こういうときのために、ウソの名刺を用意しておくことは、渋谷で遊ぶ際には必要なものだった。

「今度電話してね」

そしてリエは門限に遅れちゃう、といいながら、制服のミニスカートを翻して改札口に向かった。これでもう一生、このオヤジとは会うことはないはずだった。

次の日の夕方。リエは驚くべきものを発見した。それは渋谷駅の改札付近で挙動が不審な一人の男だった。それは紛れもなく昨日リエに電車代を貸してくれたオヤジだったのだが、出で立ちが異常だった。

巨大なバラの花束を抱え、白のタキシードにステッキを持っている。何か、かなり大きな勘違いをしているようだった。まるでテレビの安いコントを見ているようだった。

リエは、まさかそれが自分を相手にしたものだとは思わなかったが、近づくのが怖かったため、友達と遠巻きに見ていることにした。
が。しばらくもしないうちに発見された。こいつの目はどうなっているのだろう。ニタァ〜と笑いながら小走りに駆けてくる、腹の肉が上下に揺れる様が悲しい笑いを誘っていた。

「リエちゃん。ずっと待ってたんだよ」

「…」

リエは唖然とするしかなかった。何かとほうもない大きな間違いのなかに突き落とされた気分だった。

「…はい?」

疑問符だけが頭のなかを駆け巡っていた。

「これ、もうボクの名前とハンコはしてあるし」
そういってオヤジは『婚姻届』を取り出した。
 
人間、許容範囲を越えた現実に対しては、対処能力を大幅に失ってしまうものだ。このときのリエがそうだった。なぜ家までこのオヤジを連れてきてしまったのだろう。

今、目の前でうちのパパとこのオヤジが楽しそうに談笑しているのをぼ〜っと眺めながら、そんなことを思っていた。

「…実は、ボク、『加藤晴彦』なんです。」

オヤジは突然真顔になって、そう口走った。

どこが加藤晴彦やねん?!
心のなかでそうツッコミを入れていたが、もはや口にする元気もない。
オヤジは続けた。

「昔、悪い魔女にだまされて、『オヤジ』にされてしまったんです。でも、みかけにこだわらない真の愛を30年間受けつづければ、『20歳の加藤晴彦』に戻ることができるんです」

ほら、ボクの顔をよく見てください。オヤジはそう言って、『加藤晴彦』の写真を出した。こいつが原宿の生写真ショップで加藤晴彦の写真を買っている姿というのはどんなんだろう。

しかし、見比べても全然一致するところはなかった。それ以前に、直視して少し気分が悪くなったリエだった。

驚くべきことに、この話を信じた人間がいた。うちのパパは、涙目になってその話を聞いていた。…
次の日、リエとオヤジは結婚することになり、パパのおかげでいい家にも住むことができた。
 
30年の月日がたったある日のこと。その日の夕方帰宅したのは、出勤したオヤジとはかけ離れた美貌の少年だった。まさに20歳の『加藤晴彦』そのものだった。嬉々として彼は言った。

「悪い魔法が解けたよ!」

しかしその言葉をきいていたのは、子育てに疲れ、家計のやりくりに神経をけずり、近所の井戸端会議に精を出す一人のおばさんであった。

もはや『渋谷最強の女子高生』の面影はまったくといっていいほど失われていた。りえおばさんは、片足でもういっぽうの“ひざ下ストッキング”を器用に脱いで放り投げ、興味なさそうに言った。

「あんた、今日はインターネットしないで早く寝なよ」

でっかい尻をボリボリと掻きながら、寝転んでテレビとおせんべいだ。

毎日こんな生活してるから、太る一方で、いまでは体重は軽く70キロを越えてしまっていた。30年という年月は、うら若き乙女をただの太ったオバサンに変えるに充分過ぎるほどの長さだった。

どうやら、悲しいことにこっちの“悪い魔法”は死ぬまで解かれることはなさそうだった。

教訓「どんなカワイイ女子高生でもいずれはオバサンになるのだ」



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