11月某日
〜 苦 労 〜







パリでは就労ビザが必要になる。

結局この就労ビザの取得にえらく時間がかかるらしく、実際にN.Y.を離れるのは2005年の2月くらいになりそうだった。

戸籍謄本、住民票の正本を取り寄せる必要があった。

いや、それ以前にNYからそのままパリに異動になることも伝えなくてはならない。

: 「あ、もしもし母さん。実は来年このままニューヨークからパリに異動になってそこで1年くらい働くことになるんだけど嫁探しじゃないから。えっと、余ってるユーロとかある?」

: 「あらまあ、お父さーん、お父さーん・・・

話を最後まで聞けよ

: 「もしもし、おう、今度はパリか。会社のカネで世界一周旅行かー。父さん、鼻が高いぞ」

旅行じゃないし自慢するところが間違っている。

: 「仕事なんだよ、旅行じゃないんだって」

: 「父さん、みやげはビーフジャーキがいいなあ」

それはフランスの名物ではない。

: 「・・・。わかったわかった。買って帰るよ、再来年だけど」

: 「で、何か必要なものあるのか?あ、フランス行くならフランスパンとか送ろうか?

: 「・・・え?」

フランスに行く人間にフランスパンを送る目的は何なんだ?

: 「フランスパンはパリで買うよ、そうじゃなくてビザ取るのに住民票と戸籍謄本が必要で、丸の内の会社に送ってほしいんだ。それに余ってるユーロがあったら一緒に送ってくれると助かる。あと、シティの口座にいくらか入れておいて」

: 「住民票と、戸籍謄本と、ユーロね・・・。はいはい」

: 「あとそうだな、ついでに“イソジン”がうちにあったはずだからそれはこっちに送ってほしい」

今、ようやく日本の薬事行政は変革を始めたところである。

複雑な規制。

レベルの低い治験。

その結果として新薬の開発が進まない。アメリカに10年は遅れている。

患者はよりよい新薬を求めているにもかかわらず、である。

父は20年来の新薬開発の経験をもって、海外の進んだ新薬をいち早く国内に導入すべく、アドバイザーとして独立起業した。

一方で、日本の医薬品市場は製薬企業にとってはとても魅力的だ。

高齢化。進まない医薬分業。浸透しないジェネリック薬。コスト意識の薄い医師たち。価格競争のない薬価制度。

加えて、市場を支配しているのはまともな新薬を開発できない国内製薬会社たち。

複雑な開発規制さえクリアできれば海外企業にはおいしい市場となる。

いくつかの外資系ファーマ企業は父に新薬の開発アドバイスを依頼していた。

依頼がいくつか重なっていたのだろう、父は疲れていたようだった。

: 「え?“インド人”?」

インド人送ってどうするんだよ

そもそもうちにいないだろ

カレーでも作らせるのか?

と思ったが、それらはともかくとしてこれ以上宗教的にややこしくしないでほしい。

隣人はイスラム教徒なのだ。

: 「イソジンだよ、うがい薬、こっちで見つからないんだ。」

: 「わかったわかった。あ、そうそう、父さんな、パリに親友がいるんだ。」

: 「ほう」

: 「え〜っと、名前何だった?

: 「・・・し、知らない(超困惑)

僕に聞かれても、とか覚えてないのかよ、とかいうよりやはり父は疲れているようだった。


・・・。

電話を切ったあと、軽い疲労感に襲われた。

しかしこれからまたA上司に電話をしなくてはいけない。

今後の手続きについて確認すべきことがある。

: 「もしもし、あ、おはようございます。えっと、ハァ(ため息)、これからの手続きなんですが・・・、ハァ(ため息)」

A上司: 「どうした?声が疲れてるぞ? 大変なのかね?」

: 「いろいろと、まあ、大変です」

確かに新規の投資アイデアを考えたり、企業訪問でCEOやCFOに会うのは緊張の連続でもある。

: 「投資アイデアが生まれない時とかは大変ですねぇ」

A上司: 「そういうときはだな、深呼吸をするといい」

: 「深呼吸、ですか?」

A上司: 「そうだ。吸って吸って、ゆっくり吐く。ヒッ、ヒッ、フー、だ。

: 「ヒッ、ヒッ、フー、ですか・・・」

確かに何かが生まれそうではあるが、別のモノが生まれる気がしてならない。



ニューヨークは冬の季節に入ろうとしていた。

外では清冽な空気の向こうに摩天楼の光が煌いていた。






英国居酒屋

NY2004 摩天楼は何色だ?