良玄寺への探索

 まつりの開始まで時間があったので、本多忠勝公墓塔のある良玄寺を訪ねて見ることにしました。
迷った挙句、お城の近くの駐車場に車を止めたまま、歩いて行くことにしたのですが、結構距離がありそうです。折り畳み自転車を積んでくればよかったかな、との思いを立ちきるように街中へ繰り出しました。

 途中、十万石というおいしそうな最中を作っているところを発見!帰りに買うことを密かに決意(笑)
また、お神輿にも遭遇。みんな頑張れ〜。そして、役場の前で道を聞いてさらに前進!
それにしても遠いなぁ〜。それに、何だかまわりに人も歩いていないし・・・
そうしているうちに、橋を発見!相変わらず誰もいないし、この橋を渡ってしまったら、それこそ遭難してしまいそう、と思ったその時・・・「あっっ!橋の上に銅像がぁぁ〜」

橋の両端にそれぞれ違った銅像が・・・

どちらも格好良くて
甲乙つけがたいですが、
みなさんはどちらが
お好きですか?

この橋の下には
キャンプ場(?)らしきものがあります。

道に迷ってよかった(^o^)

 もと来た道を戻ると、ほどなく良玄寺を発見出来ました。

【良玄寺】浄土宗
天正18年(1590)10万石で大多喜城に入城した本多忠勝は、菩提寺としてここに良信寺を建立。
下総小金(現・松戸市)東漸寺の僧、了学を招き開山とし、寺領に百石を寄進しました。
関ヶ原の翌年の移封後は二男の忠朝が5万石で大多喜主になりましたが、
元和元年(1615)忠朝が大阪夏の陣で戦死すると、甥の政朝が後を継ぎ、
寺の名を忠朝の法名をとって「良玄寺」と改めました。
街中でのお祭りムードとはかけ離れた
静かな場所でした。

しっかりお参りさせていただきました。

このあたりからは、大多喜城もよく見えました。

【夷隅神社】
社伝によると、長久2年(1041)の再建後、天正15年(1587)里見氏の将、正木大善亮(時堯)再築と伝えられているそうです。
良玄寺から大多喜城へ戻る途中、偶然発見!
(と言うと、さも私達が偉大な発見をしたかの如く勘違いされてしまいそう)
いや、ただ単に予備知識がなかっただけ(^_^;)


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