<特集>ティク・ナット・ハンとの出会い



BODY BLOW OF SANGHA BUILDING

高田勝弘さん(風洋舎代表)に聞く


 ティク・ナット・ハンの重要な教えのひとつであるサンガ・ビルディングのことについて話してくれたのは風洋舎という編集プロダクションの代表高田勝弘さん。『ビーイング・ピース』『ティク・ナット・ハンの般若心経』(荘神社)などの編集者として、日本でももっとも早い時期にティク・ナット・ハンを紹介してきたひと。めるくまーる社で営業活動をしていてこともあり、「ギート」の名前で親しまれるサヌヤーシン(和尚ことバグワン・シュリ・ラジニーシの弟子)でもある。


ひとりひとりが全体をつくる

WAY 今日お伺いしたいのはティク・ナット・ハンの来日に向けてみんながどう動いているか、人間の話を書きたいんですね。全体をサンガ・ビルディングの話で書きたいと思うんです。
高田 そのサンガ・ビルディングという言葉、招聘委員会に参加させていただいて一番衝撃をうけたことですね。具体的には、子どもを瞑想の邪魔になるといって排除したりしない。参加者の人数制限しない、ということ。日本で実現するのは難しいんだけど、島田啓介さんがプラム・ヴィレッジから帰ってきて、この話をしたときに、全員が衝撃を受けました。ぼく自身も忘れていたことをゼン・スティックされたという感じがしますね。
WAY ゼン・スティックって警策のこと?
高田 警策の一撃を受けたようなもんでしょう。だって予算はこれこれで何人来れば採算がとれるという、そういうノリだけじゃないんだけど、あるていどは実際的に考えてきた。それがサンガ・ビルディングという言葉を聞いたとき、頭じゃなくて胸に直接入りましたからね。ドスンと。
 サンガ・ビルディングの説明として、島田さんが言ったんですよ。リトリートのときに実際に体験したのは、ご飯をつくるとか食器を洗うとか、そういうさまざまな雑事をともに行う、ともに過ごす。場合によっては洗っているときに講話が始まっていることもあるだろう。それでもオーケーだという。そこに本質的なことがあるんじゃないかと感じました。ようするにひとりひとりが全体を作っていくという、ね。


ふたりの境界が消える体験

WAY こういう精神世界の集まりにしても、おうおうにして自分の利益に走りがちですよね。
高田 もちろんお金を払って話を聞きにいくというのはあるんだけど、自分のためというのが先に立ちますよね。島田さんと話をしていて、『マインドフルの奇跡』という本で訳をとりまとめている仙田典子さんと3人でずっと話をしていたんです。そのなかで島田さんはこう言う。自分の思いよりも神の思いを先に立てる。彼はキリスト者だから神というんだけど、ぼくとしてはそれはティク・ナット・ハンのサンガ・ビルディングの本質だ、と思って納得したんです。
 そのとき高田勝弘が島田啓介であり、島田啓介が高田勝弘であるということが起こった。ふたりの境界が消えた。それは相互に確認したんですけどね
 翻訳に問題があって、解決するまでやろうと、話し合いは5時間6時間かかった。はっと思ったのはこれがサンガ・ビルディングなんじゃないか。今、招聘に向かって時間がどんどん迫っている。それ自体がサンガ・ビルディングの過程の積み重ねなんです。それが招聘委員会でやっていることのプレゼントだと気がついたんです。
WAY サンガと言ったときに、今までの考えでは教団とか、カタチが先になっていました。今のお話だと違いますね。
高田 いわゆる聖者たちが言っていたことはそのことだと思いますね。サンガというと共同体とかコミューンとか言われますよね。それが組織の弊害が起こらないように運営されていく。これはトランスパーソナル心理学でも言われているじゃないですか。意識の状態、今、ここの状態。それはつかまえにくいことだったと思うんです。『ビーイング・ピース』の巻末に13の戒律がありましたよね。あれはたんに戒律じゃないんじゃないか。それによって運営されたときに組織化の弊害は免れると思うんです。
 組織の弊害というのは株式会社でも仏教教団でも、経済原理、こころの原理の差こそあれ、同じだと思うんです。ひとりひとりがほかのひととの境を取り払う。あるいはその境がぼくらが抱えている問題を解決する糸口になるということに気づく時期じゃないか。それがサンガ・ビルディングというコンセプトで教えていただいたことですね。


自分の喜びが他人の喜びになる

WAY 境がないというのは、どういう感じなんですか。
高田 それは感覚なんで、言葉で表現しずらいんですが、自分のなかの仏性、あるいは神性を先に立てるというのが、境が無くなったきっかけですね。島田さんが「自分がこうやりたいというよりも、神様の思いを先に立ててやっている」と言ったとき、ほんとうにそうなんだなあと思った。そのとき起こったんですね。
 自分の思いでやっていれば、自分はこれだけやったとか、ひとから褒められたいとか、他人と比較が必ず入るんです。今でもじゅうぶんある。でもそこにはまってしまっては……。そこに気がついたらすごくせいせいしたんです。島田さんとは抱き合っちゃいましたよ。いやあーて。
WAY それは自己犠牲とは違いますね。
高田 そう。自己犠牲だって、自分のなかのなにかを抑えてやっているんだというエゴの働きですもんね。ぼくは自己犠牲をやるつもりはさらさらないです。自分のよろこびをやっていきたい。ただ自分のよろこびが他人の苦しみだったり、不快感を及ぼすようなことはやりたくない。しばしばそういう過ちは起こしていますけど。
 自分のなかにそういう相対的な比較というのがないかどうか。とりわけ仕事においては、そのなかで自分がどういう状態なのか気づく。世の中のことなんでも自分の回りに起こったことは自分に跳ね返ってくるんだということ。それをつねにこころに置いておくべきなんじゃないか。これは和尚の教えなんですけどね。いいことでも悪いことでも自分を見る鏡なんだ。それが身に染みてきたんでしょうね。


仏教用語を使わずに仏教を説く

WAY 『ビーイング・ピース』はティク・ナット・ハンの日本における最初の本。どういう経緯で出されたんでしょう。
高田 4、5年前、津村喬さんがカリォルニアの観気旅行というのをやったときに向こうに留学していた中野さんが、ツアーのアレンジをしてくれたんです。そのときにティク・ナット・ハンのリトリートに参加したことがあって、津村さんも翻訳したものを読んだようです。
 津村さんが帰国して関西気功協会の機関紙「脈脈」に紹介した。それを読んで、へえー、ベトナムにも禅があったんだと思って。その後中野さんが留学から帰ってきてお会いしたときに、棚橋さんの訳を見せてもらうと、いいんです。これが。それで企画を出してみたんです。
WAY いいなあと思われたのはどの部分ですか。
高田 ぼくの場合はある決定的な要素があるんです。ベトナム戦争のころはぼくは学生運動をやっていまして、ベトナムのお坊さんがガソリンをかぶって焼身自殺をしたでしょう。あの自殺の意味が分からなかったんです。それがティク・ナット・ハンの紹介を読むと、そのころ彼がリーダーとして絶対中立を保って、南からも北からもスパイだと思われて仲間もずいぶん殺されたと知った。その過程のなかでつくりあげられた彼の教えにびっくりしたんです。
 ティク・ナット・ハンの仏教用語を使わずに、やさしい言葉のなかに強い意志を感じました。それとすさまじい詩がありますよね。「ほんとうの名前で呼んでください」という。あれはもう、ぼくは泣けないんですよね。涙を、カタルシスを越えた覚醒を感じましたね。
WAY 第一印象から、すごいと思った。
高田 ぼくの場合は和尚から学ばせていただいたものを再びカウンターされたというか。ボディブローですね。涙というのは胸じゃないですか。それをはずしてお腹にどーんときた。泣くもなにもないわけです。きわめて日本的かもしれないけど、お腹に入っちゃった。あとであわてて頭が理解しようとするけど、腹に入っちゃったらどうしようもないわけです。
WAY でもティク・ナット・ハンという名前は日本ではほとんど知られていないわけですよね。いきなり本を出すのはけっこう冒険じゃなかったんですか。
高田 ぜんぜん大変だと思わなかったですね。壮神社の社長の恩蔵さんと信頼関係ができて、高田さんがだいじょうぶだというものならやりましょうと、企画書を見てストレートにオーケーしていただいたんです。
 本を作る過程も、気持ちのいいものでした。素直に気持ち良くなるには自分の思い入れだけじゃなくて、本のなかの言葉にしても、それがしんどいものでも自分自身、受け止めて見つめ返すということがないといけない。そういうリスクを抱えることがなかったらほんとうのよろこびはないんじゃないか。
 訳は棚橋さんと中野さんたちが勉強会をやったときに提供されたものなんです。いわば、準備万端ととのっていた。偶然ではないと思います。大きな流れがあって中野さんが行ったときにはすでに苗になっていた。ブッダの教えが苗になって来たんだと思います。その苗に水をやり、そこにティク・ナット・ハンが来る。文学的な表現ですが、そんなふうに思っています。


「存在の詩」の衝撃

WAY 高田さんはずっと和尚の教えを勉強されてきたわけですよね。それは学生時代からですか。
高田 ぼくは初めて知ったのは1978年。「存在の詩」という日本におけるラジニーシが知られるようになったきっかけの本を読んだんです。訳者のプラブッダの手書きの原稿ですけど。彼は非常にきれいな字を書くんですよね。その前からずっとぼくは、人間はなんで生きているんだろうということに悩んでいたんですね。物心ついてから。
 なんで楽しいことじゃなくて、悲惨で惨めなことが多いんだろう。なんでひとは嘘をつくんだろう、と思っていた。そのうち自分も嘘をつく。そうじゃなくちゃ生きられない。そういうことに疑問を持っていましたね。悶々とした日が続きました。でも回答がなかなか得られませんでした。
WAY じゃあ「存在の詩」は衝撃?
高田 でしたねえ。一行によってカウンターされましたよねえ。17年前ですか。もう50歳ですから、33歳くらいかなあ。
WAY そのころは編集の仕事をやっていたんですか。
高田 なにやってたかなあ。化粧品の企画……かなあ。いや、その前だ。そのころはギンギンにやって金を追いかけていましたねえ。ともだちと映画をつくりたかったんです。
 そのとき般若心経を写経しようと志して、100日写経を始めました。月の半分くらいは出張で各地を転々とするような状態のなか、それがひとつの救いになっていたんです。そのころから般若心経をやりたいなあと思っていたんですが、ティク・ナット・ハンの『般若心経』ですからねえ。これもまた偶然じゃないんだなあと思います。
WAY そのあとめるくまーるに入ったんでしたっけ。編集をやったんですか。
高田 4年いて、3年半は営業でした。で、編集にまわってくれと言われたときに十二指腸潰瘍になった。胃カメラを飲んだときに、辞めようと思ったんです。仕事、けっこうよろこんでやっていたんですが、やっぱり病気を契機に、今思えば、方向転換させてもらったんじゃないですか。胃カメラの11ミリか2ミリあるあの固いものを喉を越して食道から胃へと入れていく。ライトで照らして、ああでっかいのできてんなと医者が言っていたときに、丈夫に生んでいただいたからだをこんなに壊してしまったんだと思ったときに、辞めようと直観したんです。
 79年と80年に一月ずつプーナに行って、一回目にあとで振り返れば和尚の存在からの教えというか、自分自身の存在を生きなさい、仏教でいえば法を生きなさいということを身に沁みて教えられた。当時はサヌヤース、新しい弟子になるときに和尚、当時はバグワンが、ひとりひとりにサインをしてくれて、新しい名前と意味、生き方の指針みたいなものをダイレクトに話してくれたんです。バグワンにマラをかけてもらって、第三の目にタッチしてくれるんです。
 そのとき間近にしてびっくりしたのは、透けて見えるんです。そこにいて、指で触れてくるのを見ているのに、向こうの壁が透けてみえるんです。幻覚じゃなしに。こんな人間に会ったのは初めてだと思いました
WAY バグワンの教えとか思想とかじゃなくて、存在そのものに打たれた。
高田 ぼくはマインドでなにか考える前に、行動しちゃうタイプなんです。それでまわりにえらい迷惑をかけてきました。それを今、懺悔と祈りの日々。観念じゃなくて、行いでお返しする。両親からカミさん、妹にしても、いただいたものをどうお返しするのか。これはモノを返すものじゃないでしょう。それは自分がよろこびとして生きることだし、サンガ・ビルディングにもつながります。


セラピー中毒にさようなら

高田 ぼくは今、農をやらなくちゃいけないと考えているんです。農業じゃないですよ。昔に戻るという意味じゃなくて、どう大地と天のあいだにもどるか。天地人というでしょう。人とは人間のことじゃなくて、天と地のあいだにあるすべてのものなんだという話を聞いたんです。人間は意識をもってそれを調和させるものとしてあるんです。
 ティク・ナット・ハンが来て、苗がどういう状態か見にくるんです。彼はアメリカへ行ったときに「みなさんの仏教を見せてください」と言った。その言葉に代表されているなにかはとっても大切なものだと思っています。
WAY そうなるとひとを何人集めればいい、という問題じゃないんですね。
高田 だからこそ今回フランスに中野さんが行ったときに人数制限しないでくれ、ということを強調されたようです。そして努力をした結果どういうことが起こるかということはオーケーだと思うんです。来られた側が感じて分かることですから。ぼくは自分ができるパートでできることをやろうと思っています。
 かつてはね、自分も陥ってました。瞑想します、グループワークを受けます。一丁できあがりですよ、三泊四日で。この雰囲気を長く持続させなさい。ところがえてしてグルーピーになるんですよ。疲れたからグループ。疲れたからプーナ。それ、止めたんですよね。たまさかグループを受けることはあります。そのたびに有り難いことに自分のお腹にぐっとくるセラピストと出会うことができるんです。
 現実とのギャップはあります。でも起こることは鏡である。それを避けたいなあと思うのも鏡である。それにいつも気づいていること。そのとおりにはいきませんよ。でも気がついたときにすぐあやまる。
WAY ティク・ナット・ハンを知って、変わったという感じはあるんですか。
高田 やっぱり和尚の教えとはまた違う、今の教えでしょう。まあ和尚だなんだといったって、それはもっと普遍的な、神とか仏性とか法と言ってもいい、存在からの教え。それがひとを通じて来たわけで。それをもういちどティク・ナット・ハンから教えていただいた、そういうふうに感じていますね。
WAY 来日は楽しみですよね。
高田 彼にはっと会ったときになにが起こるか。その前に、本が出て手にとってくれた読者がどんな感想を持っていただけるか、楽しみですねえ。
WAY 今日は、有り難うございました。
高田 いえ、こちらこそ。話を聞いていただいて有り難う。


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