<犯罪研究1>

説教強盗

出席者=芹沢俊介・別役実・山崎哲
1993年度 第4回 子ども研究会にて(10月25日収録)

●「子ども研究会」は小児科医の毛利子来さんを中心に雑誌編集者らが集い、さまざまな分野の講師を招いて勉強会を開いている。今日のパネリストは評論家の芹沢俊介さん、劇作家の別役実さん、劇作家の山崎哲さんの3人。
 さて人間に対してWHO ARE YOU?と問いかけるのにはいろいろな方法があるだろうが、犯罪というのは最もエキサイティングな切り口のひとつだと思う。ふつう社会の裏側の出来事、人間にとってよけいなものと考えられている犯罪だが、それがぼくらを魅了して止まないのはなぜだろう。犯罪は宗教と同じように非日常の産物であり、聖と賤のダイナミズムを形成する。社会や時代の産物であると同時に、ぼくらの無意識の産物でもある。犯罪研究は、人間研究のもっとも鋭角的な一部分といえる。
 それに、いわゆる”いい話”がどこか嘘臭いのに対し、犯罪には人間のほんとうが出る。とくにこれから話される昭和初期の犯罪は、いかにも人間味にあふれた、物語としても上質のものばかりだ。


芹沢
それではまず、我々が犯罪について研究している意味について話しましょう。もう一年以上前から、三一書房の肝入りで「犯罪研究会」というのを始めました。メンバーはここにいる3人に朝倉喬司が加わった4人。昭和という時代を犯罪を通して見ていくというのが大きな目標です。もうひとつ別役さんのほうからしきりに出てくる言葉で、犯罪批評をどう作っていくか、というのも大きなテーマです。
 まず年表みたいなものを作ってみようと、どんな犯罪があったのか洗い出しをやりました。それぞれ資料を持ち寄って、半年近くかかりました。ネタは主に新聞です。個々の思い入れみたいなものを加えて昭和元年から1989年の宮崎事件まで、350件くらい拾ったでしょうか。千葉で起こった鬼熊事件、共同体のなかの女がからんだ殺人事件なんですが、これが最初です。今日取り上げる説教強盗、岩の坂貰い子殺し、古川義雄の放火巡礼。それに津山の三十人殺しというのが戦前。戦後は歌舞伎役者の仁左衞門一家殺し、そのへんから逆上って、やっと今、昭和30年くらいまで来たところです。
毛利
取り上げる基準というのは? 好みですか?
芹沢
好みといいましょうか、勘といいましょうか。4人がそれぞれ立っている場所とか、犯罪に対する好みみたいなものを反映していると思います。
別役
重要な犯罪といのは時代が残していくんです。記憶に残っていたり作品になっていたりというのはかなり重要な犯罪で、そうでないものは時代が消していく。
芹沢
逆に、消されてしまったもののなかにも重要なものがあるかもしれません。その350件のなかからそれぞれがピックアップして、それを中心に話し合うことによって時代を炙りだしたい。昭和16〜20年というのは犯罪が非常に少ないわけですが、戦争中だからそうなったということではなくて、犯罪が少なかったというところから、戦争してたんだ、というのが見えて来る、そういう方法をとってきました。
 今日お話するのは戦前を代表する犯罪ばっかりです。これに鬼熊、阿部定、津山、玉の井バラバラ、これくらいを加えれば、戦前は押さえられちゃう。このなかで説教強盗は本になったり割合と知られているのですが、岩の坂、川俣初太郎となると、それほど論じられていない。古川義雄もすごい事件なんですが、「庶民生活資料」のなかに古川さんの挑戦状が何通か収録されているくらいで、正面から論じられてこなかった。逆に岡山の山の中であった津山30人殺し、これは非常にたくさんの作家が書いています。松本清張『闇を走る猟銃』、横溝正史『八つ墓村』、西村望『丑三つの村』と大衆小説作家が渾身の力を込めて取り上げています。それには理由があるのですが、ここでは取り上げられていないものをやろうということで選びました。
 それじゃあまず山崎さんに「説教強盗」についてしゃべってもらいましょう。


犬を飼いなさい

山崎
まず事件を簡単に説明しましょう。いきなり汚れということでしゃべってみたいのですが、時代背景としては満州で某重大事件、関東軍による張作林爆殺が起こり、国内では各県警本部に特高が配置された時期です。説教強盗があんなに大きな事件として騒がれたわけが分かる気がします。国体が純化される時期で国がひとつになっていた。そこへ説教強盗というふざけたヤツがあらわれた。それが許せない、一種の汚れとして映っていたと思います。どこがふざけていたかというと、強盗が説教をされなければいけない立場にあるのに、強盗が押し入った家の人間に説教するというまったく立場が逆転している点です。命名したのは当時朝日新聞の記者でのちに作家になった三角寛というひと。
 大正15年7月30日に池袋の家に押し入ったのが最初で、逮捕されたのが昭和4年の2月23日です。犯人は妻木松吉。29歳。左官屋さんです。当時不況で仕事がなかったらしいですけどね。その手口は、寝室に押し入って、夫婦が寝ている枕元で気づいたとたんに金品を要求して、ぼちぼち説教を始めるっていうスタイルなんです。犯人が戦後、小沢昭一さんと対談をしていますけれど、最初はそんなことは考えてなかったらしい。見つかったら居直って大声で脅すようなことをやっていたのですが、それだけじゃうまく盗めない。それじゃあどんなテクニックがあれば家にあるものを全部自分のものにできるか、と考えた方法だそうです。
 最初に小道具として煙草を使う。真っ暗な寝室に忍び込んで、枕元で煙草に火をつける。そのうち旦那さんなり奥さんが目を覚ます。びっくりするというんですね。想像すると分かりますけど、ただ座っているだけじゃなくて、真っ暗ななかに火がついていると、怪しげなイメージが増幅するようです。大火だとまた、まずい。人間の心理の掴み方がうまいなあという気がします。
 そうすると大体、旦那さんというのは縮み上がるといいます。で、お客様だ、お茶を出せみたいな対応をする。奥さんのほうが肝が座っていたという話です。彼のやり方というのは、ここにちょっとセリフが引用してありますけど、
「のっぴきならない理由で金が必要になり、夜中お眠いところに参上いたしました。寝ているところはなはだすみませんが、お金を恵んでいただけませんか。旦那様が動いてはいけませんよ、奥さんが怪我をなすっちゃいけません」
 ちょっと講談調なんですけど(笑)。
芹沢
わりあいと静かな声でいうんで、相手はまた怖くなっちゃうみたい。
山崎
それからよく犬のことをいっています。お宅は戸締りがよくない。だって自分がこうやって入ってこれるくらいだから(笑)。庭が暗いのはよくない。庭に犬を飼いなさい。それも良い犬ではだめだ。良い犬はひとになつきやすい。できればそのへんの野良犬、雑種がいい。誰彼かまわず吠えるから。
 で、夜が開けてきて、貰えるものは貰った、説教はすんだ、
「そろそろ夜が明けます。あっしが失礼しやしたら、すぐに警察にお届けになったほうがいいでしょう。お断りしておきますが、電話線は切ってあります。ここから二丁目の交番が近いでしょう。では、さようなら」
 という具合です。


国にとっての汚れ

毛利
別に愉快犯ではなくて、ちゃんと巻き上げるものは巻き上げるんですね。
山崎
そうですね。ただ何回かやっているうちにある種の愉快犯みたいな感じになってきているような気がします。で、大きな意味での汚れっていうのは国にとってふざけた犯罪というのははなはだよろしくない、ということ。少し小さい意味では、関東大震災のあとですから、ある程度新しい形の都市住宅ができていたんではないか。
芹沢
震災があって東京がかなりやられますね。当時東京は15区だったのが、いっきに30区まで膨れ上がるわけです。彼が出没したのは新興地ですね。警察の管区でいいますと、杉並、高田、戸塚、池袋、板橋、中野、この6警察署管内に集中している。
別役
今でいう、新興住宅地。
山崎
そうすると、なんとなくこういう新興住宅地が出来上がったときに、住んでいる人間にとっては強盗そのものが汚れですよね。
 もっと細かいところで、彼は強姦も何件かやっているんです。強姦された娘さんがそのことでお嫁に行けなかったということがあって、出所したあともずいぶん気にしてる。それから面白いのは医者のところに入るんですが、奥さんがあんまりきれいなんでもよおしちゃって強姦しようとする。そうすると奥さんがやれるもんならやってみなさいって居直っちゃう。そうすると彼も感心したのかなんなのか、やらないわけです。そこへ旦那さんが出てきて、やったのかやらないのかという話になる。そのときやってません、という。すると旦那は「どうもありがとう」とお礼を述べちゃう(笑)。これはなかなか面白いとこだなあと思うんです。
 そうすると汚れというのが、国にとっての汚れという大きなところから人間のからだにとっての汚れ意識まで、かなり入り込んでるな、というのが面白い。彼が汚れというのを意識していたかどうかは分かりませんが、彼は刑務所のなかで生まれているんです。そのことに気がつくのは、大正8年でしたか米騒動で、彼は遊びのつもりでワーワー騒いだ。パクられて甲府刑務所に入れられて、たまたま刑務所のなかに足を運んでくる妙なおじさんから、「お前はこの刑務所のなかで生まれたんだ」と聞かされた。お母さんである女囚は不倫なんですが、好きな男ができてお手伝いに通っているうちに子どもができちゃった。その家のものを盗んで刑務所に入って、子どもが生まれた。それがお前だっていわれたらしいんです。彼はその話を聞いてショックだったという。18歳のときに、自分は生まれからして汚れた人間だと認識した。汚れという言葉は使ってませんが。そのときから自分は市民社会からするとよそもの、外部の者であるという意識が出来たんじゃないか。
 とすると、彼が新興住宅地に入っていくときに、なかば意識的になかば無意識に、外部の人間が内部に入っていくという感覚があったんじゃないか。そういう意識がむしろ説教強盗というふざけた、市民社会を相対化するものをもたらした。これが自分の生まれを意識していないひとだったら、ただの強盗に終わってしまったと思う。
 もうひとこと付け加えておきますと、朝日の三角寛さんが、この手口からして山家の人間じゃないかと判断したらしいんですね。警察もその線を追って、彼はガラス戸に指紋を残したことがきっかけで彼の家に警察が踏み込むんですが、掛け軸があった。「今日もまた、鬼と仏のふたり連れ」と自分で書いてね。
 彼は非常に家族思いで、22歳の奥さんがいて、長女が4歳、長男が2歳なんですが、仏というのはそういう家族思いのところを指している。鬼というのは自分が生まれたときからよそものであるという、ふたつのこころをうまく表しているなあと思うんですけど。
芹沢
山家という話がでましたけれど、妻木タカを母に甲府の監獄で生まれているんですが、野守の一族だといわれています。野守というのは万葉集に出てくる「野守は見ずや君が袖振る」というものですが、「市民じゃないひとたち」がやってたわけですね。それが山家とイコールではないんですが、妻木タカ、そして妻木松吉は生まれからしてそういう存在だったといわれています。それが山家につながっていったのは諸説がありまして、捕まりそうになったときに横っ飛びに逃げた。その歩幅を計ると、常人のジャンプ力じゃないっていうんです。
別役
それから家の土台の下を掘って入ったそのやり方も、理由になっている。ただ若干つくられた噂という気もします。彼は一般大衆には人気者でしたから、取り締まるほうは、帝都の治安が乱されていると大袈裟に考えている。鼠小僧とまではいかないけれど人気があったのと、警察の側のイライラとの得体の知れないせめぎあいで、山家であるとか、野守であるとか、非人間的なところがあるという話を作ったところがありますね。
毛利
ジャーナリズムは、面白おかしく取り上げたわけですね。
芹沢
まじめに取り組んでいるところもありましたけど、それがよけいおかしい。
毛利
そりゃあ、警察もいきり立つわねえ。


被害者座談会

山崎
この事件には副産物がありまして、二代目、三代目が出てくる。そのへんの大衆の情報の消化の仕方というのが面白い。戦時中で、偽物は許さない、国民を一枚岩にしようとしている時代ですから。二世というのは有名人ばっかり狙うらしいんですけど。下田歌子さんだとか、小説家の三宅康子さんだとか。
芹沢
被害者座談会というのをやってる(笑)。これが実に生き生きと話してましてね。新渡部稲造を筆頭に、小説家、逓信省電気試験所所長、東京市電気局病院副医院長、青山高等師範教諭、早稲田のたぶん教授。そういうひとたちが東京朝日新聞に出てきて愉快な座談会をやっているわけです。私は犬を飼えといわれたとか、寝室まで入り込まれたとか。ほとんどの有名人のところは偽物なんですけど。妻木さんは65件やるんですが、全部成功してる。何度も足を運んで調べた上で押し入っているから。
 しかし物盗りのあと、長談義していくっていうのはそれまでなかったんでしょうか。
別役
ただね、夜、荷物を持ってうろうろしていると、当時は咎められたんです。だから強盗に入ると朝までどこかで隠れているんです。それを家のなかでたまたま家のひとと話をしていたんだろう、という説がひとつあります。
 ところで彼の場合、強姦がいくつかある意外は、ほぼ物盗りなんです。が、件数が多いのにほとんど成功しているのと、犯罪者としてはトリックスター的なところがあって当局の癇に触ったために、捕まったら無期懲役になるんですね。釈放されたのが昭和23年。だから戦中は延々と獄中で過ごした。そのへんに治安当局の怒りと、民衆の側がもてはやしたというギャップを感じるところでもあるんです。
芹沢
朝日が千円の懸賞を掛けている。密告でも三百円出すと。千円というと記者ひとりの年収だといいますから、今でいうと一千万円くらいですか。
毛利
ぼくはこの説教強盗が捕まったころに生まれましたから、子どものころはよく親に聞かされていましたね。当時はね、だいたい昭和7年くらいまではモダンボーイとかモダンガールとかが流行っていて、男も女も洒落ていて、かなりデカダンというかモダニズムが盛んでした。それが7年くらいから急速にそういうのがどんどん消えていきました。だから、そういうアモラルなものを面白がる風潮があったと思うんです。
芹沢
子どもが遊びに出てなかなか帰らないと、「説教が来るよ」って。
毛利
いわれたいわれた。赤マント、青マントというのも怖かったね。華麗に赤マントを着ていて、子どもを食うとかね。
別役
雰囲気としては江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』とか『人間椅子』とか、あのへんの市民感覚に近い。ちょうどモダンな都市生活が生まれはじめて、個人のプライヴァシーが理念としては出来上がっているんだけど、戸締りとかはまだ過渡期みたいなね。個人のプライヴァシーが保障されるほど、そういう内部の肉感的なものにたいする興味が出てくる。それと似通った衝動というのが説教強盗には感じられます。個人の家に入り込んで、ただ物を盗るんじゃなくて、もっと肉感的なところにぐさっと一発関心を示さずにいられない。そのへんが都市の市民生活のすきまに入り込んだ怪盗という感じがします。


前近代的な
ものの排除

芹沢
入られたひとたちが犯人の特徴を述べているんだけど、年齢は24、5歳。当たってるんですね。それと、小男。これも当たっている。五尺一寸くらいしかないんですから。覆面、煙草臭い、懐中電灯、短刀のような凶器、和服のときが多い。便所の窓から足から入ってくる。これもちょっとあやしいんだけど。そういういくつかの特徴が上がっています。6つの警察署管内を股に掛けてますから、それぞれの署のメンツをかけて相当激しい功名争いがあったようです。
毛利
当時は内務省? 警視庁は?
芹沢
出来たころですか。
別役
ただ実際はね、ほとんど捕り物のレベルです。この事件は一応、科学的捜査法が出てきた最初といわれているんです。でも、これはインチキなんです。板橋の米屋に忍び込んだときに、ガラス戸を破って指紋をつけちゃった。最終的にはそれを手掛かりに捕まる。前科のときの指紋と一致しているというので捕まったんですが、これもかなりあやしい。実際は昔の捕物帳と大して違わない捜査が行われていたようです。
山崎
それと、少しずれるんですが、江戸川乱歩の話が出たんだけど、昭和7年に玉の井バラバラ殺人というのが起こっています。これも猟奇殺人とものすごく騒がれるんだけど、殺したあとに死体をバラバラにして玉の井のほうと東大の倉庫に捨てちゃうんです。今、別役さんの話を聞いていて思ったのは、そういう猟奇的なもの、前近代的なものを都市生活のなかでどう排除していったらいいのか、というのが説教強盗とかある種の政治的ないかがわしさにかなり大きく影響しているんじゃないか。市民生活を営むためには前近代的な感情をどういうふうに排除してしまうか。生活感覚として、ちょうどそういうことがおこなわれた時期だったのかなあ、と思います。
毛利
法制度が整備されかけているころといのは、犯罪者も逆に、そういう法に挑戦してやるというようなモチーフも働くんじゃないですか。警察制度の近代化と関係もあるのでは。
芹沢
でも、当時は連絡も電話でやっていましたから、広域に動かれるととても追いかけられなかったし、ちょっと離れたところで同じような犯罪が起きても一本の線で結ぶことができなかったんです。これはあとで出てくる放火の古川さんのような、昭和10年代になっても変わりません。で、犯人が教えてくれるんですよ。教えてくれないと、一本の線でつながらない(笑)。
別役
だから、地域の対人関係のなかから、誰か怪しいものはいないか、とやる。流入人口が多くなって、無宿者というのが多くなると、手に負えなくなるんです。そういう無宿者がたまる場所というのがあって、そこへ行くといいんですけど。得体の知れない無宿者というのが散在するようになると、どうにもならなくなる。で、たまたま指紋が役に立ったというので治安当局のほうは画期的だというふうに考えたんでしょう。


汚れから
聖なるものへ

芹沢
このひとすごく律儀というか、働きに出るときは家族でご飯を食べて、さあ、これから夜業だといって出掛けていく(笑)。だから家族は誰も分かってないわけです。お父さんはお仕事に行くというかたちで送りだしていく。ふつうに振る舞っているわけですから、異常さを回りから察知されにくかったんでしょうね。
別役
そういう意味では無宿者ではなかった。生活形態としては、市民生活を維持していた。
芹沢
住んでいたのは巣鴨でしたっけ、サンシャインのあるあたり。その家を借りるときに、電車で知り合ったひとが、オレんとこ貸してやるよ、という感じで借りているんです。けっこう下層庶民の間の関係というのはあったんですね。
別役
それはね、よっぽど信用があったんですよ(笑)。当時家なんて、めったに借りれなかったんです。店子については大家さんに監督責任があったんですから。
芹沢
左官屋ということで、信用が高かったんでしょう。下層庶民のなかでは左官屋というとハイレベルなんですよ。
別役
職人というのは信用ありましたからね。だからプロの泥棒という要素と、現在でいえば電話魔みたいなね、若い女の子に対してちょっと猥褻なことをいってみたいという、なんとなくそこに釘一本刺したいというそういう衝動と、両方あったような気がするんだけどね。出来上がった帝都の中産階級に対するわだかまりが、それによって解消されていくというね。
芹沢
やっぱり関東大震災以来、急速に整備されていくんですね。彼が捕まってから、「説教強盗捕物帳」「説教強盗物語」みたいなものが新聞に連載される。映画も作られる。野守だっていうのもそんななかで明らかになっていく。汚れであるものが、犯罪をやることによって聖なるものに逆転しちゃう契機が生まれたのかな。
毛利
当時は金融恐慌やら東北は冷害で今の比じゃないくらいひどかったし、そういう社会不安が高まった時期。一方では、農村の疲弊を土台にして、都市文明が発展してきた。そういう時代だったんでしょうね。
山崎
ちなみに彼は出所したあとは、「防犯活動に多いに活躍した」ということです(笑)。芹沢さんがいったように、聖とまではいかないけどなんかひっくり返っちゃうというのがありますね。
芹沢
アメリカだとそれまだやっているんですね。錠前破りのベテランが更生して、こうすれば鍵は破られませんという講師になる。そういう自由度があります。日本はもう、きついですね。警察や市民が犯罪者を講師に呼ぶなんてことはないですね。
毛利
刑務所での20年間で、彼のマインドが変わったのかなあ。
別役
模範囚ですよ。模範囚で22年に仮釈放、23年に出所してますが、刑務所のなかでも律儀に努めていたようです。
毛利
むしろ市民社会のほうが、表ではモラルをいってて裏じゃ悪いことしてたり、てなのがあったのかな。
芹沢
でも、妻木さんが入っているあいだに、この犯罪形態というのは成立しえなくなっていますね。それが戦後の犯罪の特徴になっていく。市民社会にすきまがあったという犯罪ですけど、急速になくなっちゃうもんね。


ダーティ
ヒーロー

別役
ほんとうのプロの犯罪者というのはバランスのとれた性格をしていると思うんです。彼は、ひと殺してないし、あんまり乱暴なこともしてない。小沢さんとの話なんか読んでも非常にバランスのとれたひとです。ですからふつうのひとではあっただろう。流れ者、ジプシーにとっては盗みは定職と同じ。そういうふうな泥棒なんだろう。
芹沢
だから、血筋が野守っていうと、ああそうか、という納得の仕方をしていたみたい。18歳くらいで前科一犯ですよね。大正7年18歳のときに山梨県巨麿郡の長者望月清二郎氏のところに雇われるんですが、買い物の金は誤魔化すけれども税金は誤魔化さないとか、妙な律儀さを持っているのが不思議ですね。米とか農作物なんかはちょろちょろ誤魔化すんだけど、銀行に預けてこいという金はきっちり払ってくる。そのあと牛乳屋さんに奉公にいって、金を貸せって包丁を突きつけて、そこで捕まっちゃうんです。そのわりに落ちついた人生を送っているというか、バランスがとれている。ふつうこれだともっと突っ走っちゃう気がするんです。ひとを殺しちゃうとか。やっぱり説教という方法を編み出したというのも、ひとつの救いになっているんでしょう。
山崎
刑務所のなかで囚人と看守とのあいだにいざこざが起こる。そういうのを全部まとめちゃうというんです。そういう、ひとの欲望を吸収する力が優れているみたい。
芹沢
出生から生い立ちから、このまま殺人を犯したり、死刑になるような犯罪に走ってもおかしくなかったのに。
別役
やっぱり時代のヒーローだった。庶民の大部分も犯罪者というのはかなり重要なヒーローになっていくことがあるんです。
芹沢
けっこう期待されたわけでしょう、うちに来てくれないかって(笑)。神戸や横浜、三島あたりにも二世が現れる。全国区です。被害者座談会なんかでも、みんな楽しそうに話すわけです。こういうひとは戦後はほとんど出てこない。
別役
府中の三億円事件とか、グリコ森永事件とか、戦後すぐだったら住友令嬢の誘拐とか、それくらいですね。戦前のいろんな事件を調べていくと、ダーティなんだけどヒーロー扱いされる。阿部定なんか、かなりひどいことしてるんだけど、愛されている。犯罪者のなかの愛すべき部分をすっと導くという余裕が戦前はあった。
芹沢
お父さんが北海道の病院を東京に移転したいと、日大生の道楽息子を莫大な保険金を掛けて殺しちゃう事件があります。保険金殺人の第1号です。お父さんは北海道にいて指令を出して、お母さんと妹で殺す。すぐにみんな捕まるんですが、妹が健気なのね。罪を全部背負おうとする。あのとき検事が、あなたがいくらひどいことをしても、悪者だとは信じられないという。そういう発想が当時はまだあったんでしょうね。玉の井バラバラのときも、賞金の3分の1を妹にあげる。あの妹は共犯だったんですかね。それに賞金をあげる今ならそんな殺人犯に情けをかけるというのは難しい。  つい最近両親が高校生を殺した事件に8万5千人の嘆願書が集まったというのは、気持ち悪いというのがあるんですが、このころはまだ健康的だったという感じがします。説教というのも、時代の健康さが残った感じ。
山崎
これも面白い話ですが、さっきの医者のところに出所した妻木さんが訪ねていくと、「ああよく来た。つらかったでしょう」となぐさめる。いいなあ。自分が被害者なんだけど、彼が登場することによって自分たちも活性化されるというか、自分たちの汚れも彼が引っ張っていってくれるという。そういう浄化作用が被害者も分かる。そういう健康な被害者と加害者の関係が成立している(笑)、そこはすごくいいなあと思います。
芹沢
やっぱりこの時代、夜は寝るものだ、というのがありますよね。そうじゃないと、夜明けを待って退散するというこのひとのスタイルが理解できない。そこはこの時代の光が少ない時代だったんじゃないか。 会員 家族は疑問を抱かないんですかね。
芹沢
夜業は毎日ではないですから。年に15件、残業が月に2回という感じで。それほど豊かな生活してるわけじゃないんです。それと彼、お酒飲めないんですよね。
別役
そういう感じですね。非常に律儀なひとだったんでしょう

(以下<犯罪研究2>


●「犬を飼ったほうがいい」という発言の真意はどこにあるのだろうか。単純に、罪の意識から防犯の必要性をアドバイスしているとは思えない。もしかしたら犯人は、なんでもいいから話がしたかったのではないか。コミュニケーションを求めていたのではないか。防犯の話だったら相手も安心して聞くだろう。それをきっかけに、犯人と被害者のあいだで何かが交流する瞬間を持ちたかったのではないか、などと考えてしまう。


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