シビックと中村氏

 中村氏と初代シビックの関係は複数の書籍で既に語られていますが、ことシビックだけに的を絞った記述があるのは「ホンダシビック 英雄の登場」三樹書房 1992年だけではないでしょうか。

 この本は複数の著者で構成されていてポール・フレール氏をはじめ小林彰太郎氏。 木澤博司氏による開発過程。 佐藤康仁と中野操一氏によるCVCC開発がまとめられているので、初代シビックのファンとして当時の同世代の他車を知るうえでも大変参考になる一冊になると思います。

 中村氏の項は中島時代からホンダへ入社したいきさつや、F1と空冷問題などからはじまり、水冷直列4気筒の小型車の開発の必要性が解説されています。特に興味を惹かれるのはシビックが発表されたのが1972年で、中村氏の構想から既に6年も経過していたというところでしょう。もし本田氏が中村氏の構想に、はやくから理解を示していれば1971年に発表された水冷ライフより先に開発できた可能性もあったかもしれません。

 しかし実際はそうらず1972年10月シビックより先に水冷のホンダ145が先にデビューしています。ちなみにその1450ccの水冷エンジンがシビックのエンジンの原型にあたるそうです。では肝心のシビックのエンジンはというと容積は二の次で大雑把に1000から1500ccと想定していて、まずはボディーの大きさとパッケージに主点を置き、次いで操縦性や乗り心地を直接左右するサスペンションの構成が最大の課題になっていたあたりが、俗に言われるまずはエンジンありきのイタリアや、シャーシーが先の英国との大きな違いに大変興味を覚え、むしろ合理的なフランス寄りに見えますね。

 販売数で成功したとはいえ軽のN360ではいつまでもトヨタや日産に匹敵する自動車生産会社にはなれない。そして事実上失敗に終わった空冷エンジンの後継にあたる大衆車が当時のホンダにとって必須だったのしょう。

 何故なら日産サニーは2代目に入っていて、初代FFチェリーが既に発売されていました。そして同じくトヨタのカローラも2代目に入りスターレットも水冷化が終わっています。それら他社が先行する水冷の乗用車を見てホンダとしてはこれらに対抗できる乗用車の開発が急務だったのでしょう。また海を渡ったアメリカではマスキー法が1970年に改定され今後規制が厳しくなり技術的にも空冷ではクリアできない現実も拍車をかけたのだと思います。

 当時、中村氏は既にデビューしていたオースティン・ミニについてホイール径の小ささ(最低地上高を指す?)から悪路走破性の問題を指摘していて、それも国内だけではなく当時のヨーロッパやアメリカの道路事情まで考慮している事からシビックの基本開発は既に海外輸出を睨んでいるのが伺えます。この本では全く触れらていませんが、おそらく海外市場の販路開拓を計画する藤沢氏と中村氏の間でシビックの開発に関しては基本的に話ができていたと想像するのは私だけでしょうか。

 シビックのエンジンマウントに関しては縦か横かの問題があったようですが、答えを出す前にイギリスに渡った中村氏は現地でAUDI100(縦置き)やFIAT128(横置き)を実際に運転して横置きを選んだようです。そのように試乗して得た結果をイギリスから日本の開発陣に的確に報告し、時にはデザインを含むパッケージに関して日本に帰った際にデザイン部門に直接かけあって実際の形に作り上げていったようです。

 イギリスから帰国し役員に就任してからもシビックの開発に直接参加し、いよいよ車名を決める会議で車名がシビック(CIVIC)に決まりますが、ここでもまた一つ興味深い記述があり、この時に既に「シティー」という呼び名が候補として上げられていたそうです。「モンキー」といい「シティー」といい後世に残る商品名は意外な時期に発案されていたことになります。

 1972年に発売されたシビックは73年にヨーロッパのカーオ・ブ・ザ・イヤーに日本車としては初めて3位に入賞後、同年1500ccのCVCCがマスキー法案をクリアし74年アメリカ輸入車部門で1位を獲得。国内でもモーターファン誌でも3年連続1位を記録しました。空冷か水冷かの大激論を交わし難産の末に生まれた感のあるシビックですが、国内ではまだ珍しかった2ボックス・スタイルを採用しファミリー・カーでありながらキビキビとした運動性能は当時の国産車の枠から脱却し海外でも大いに評価された結果になりました。

 その後、シビックはホンダの看板車であり続けもっとも売れた車種になりましたが「私としては、もっと原点を守るべきクルマであるべきだろうと」と中村氏を言わしめているように、年々肥大化し続け2005年には3ナンバーのセダンになり、2007年には同様に2000ccの4ドアタイプRが発売されました。初代シビックから35年クルマの技術は進歩し日本人の平均身長も伸びてきましたが、インフラ整備は相変わらずのままで狭い道路に大型化したファミリー・カーで渋滞する姿を見て中村氏は何と思うことだろうか。

 いや、すでに70年代後期に氏が既に予見していたとおりになっただけなのでしょうか。

 「シビックよ願わくば原点に立ち帰ってくださいよ、と声を大にして叫びたいところである」 中村 良夫氏 92年同誌より



CIVIC 【英雄の登場】 ポール・フレール、小林彰太郎、中村良夫、木澤博司、佐藤康仁・中野操一 著 三樹書房 1992年