馬頭観世音菩薩 | 四国霊場で馬頭観世音菩薩を本尊とするお寺は七十番だけです。 観音さまと言っても、おっかない顔をしているので『明王じゃないの』と言いたくなります。十一面観音菩薩でも 向かって右三面は恐い顔をしているので、恐い形相も慈悲の方便でしょう。母も恐い時があるのと同じでしょう。 像容は三面八臂で三眼が特徴です。馬頭とは言いますが、頭上に小さな馬をかざしている以外あまり馬とのかかわりを感じません。本山寺の境内には実物そっくりの馬像があります。 古くから畜生道を司る菩薩として、家畜の守護神として信仰されていますが、昨今は競馬関係者も信仰しているのではないでしょうか。 四国霊場だけでなく、日本百観音霊場でも馬頭観世音菩薩を本尊とするお寺は僅かに二寺だけです。 西国29番松尾寺と秩父28番橋立堂です。 松尾寺で下付された『西国巡礼慈悲の道』の徒歩巡礼礼讃記事の中に印象的な一節があるのでご紹介致します。 ・・・歩みは彫刻の"のみ#にもたとえられましょう。一歩の歩みは我が心に一歩の仏を彫ります。二歩歩めば二歩の仏、一日五万歩の歩みは、五万歩の仏を生むのです。正に"歩々仏々#、歩くことは深い信仰を育てることは間違いありません。・・・ |
七宝山神恵院 | 六十八番は歴史の変遷を感じさせるお寺です。 ご本尊は阿弥陀如来ですが、上図はお地蔵さまのような僧形八幡神の像容です。また、山号もガイドブックなどでは七宝山となっているのに上図では琴弾山となっています。私がお手本にしている『四国八十八所写仏巡礼』(安達原玄著)は大阪法楽寺に現存する仏画を編集解説したもので古い形をとどめています。 昔と今の境目は、明治新政府による神仏分離令で廃仏毀釈(仏法を廃し、釈迦の教えを棄却すること)が始まった時です。 昔の六十八番札所は琴弾八幡宮でしたが、神仏分離によりご本尊は六十九番七宝山観音寺に移転することになりました。従って観音寺では六十八番と六十九番の納経を一ヶ所で受けられます。巡拝経験者は何か得をしたような気持ちになる場所です。 八幡宮は神でもあり仏でもあります。ご神体として僧形八幡神、阿弥陀如来像を安置する場所でした。 廃仏毀釈後は札所の場所も寺院名も参拝者に下付される御影も本尊の名称も変化してしまいました。 |
虚空蔵菩薩 | 虚空蔵菩薩は智慧と福徳が大空のように尽きることがない、無尽蔵であるという意味から名づけられています。 空に対する一方の地蔵菩薩が広く信仰されているのに比べるとあまり知られていないようです。虚空蔵菩薩を本尊とする室戸岬の最御崎寺の近くの洞窟で空海が修行していたとき、目の前に広がるのは空と海だけだった。それ以来、教海を改め空海にしたそうです。 像容は左手に福徳智の詰まった宝珠を載せた蓮華、右手には宝剣を持つのが特徴です。 三十三回忌を司ります。求聞持法や十三詣りのご本尊としても有名です。 |
宝珠蓮華 | 福徳智の詰まった宝珠を載せた蓮華 |
十三詣り | 男女十三歳の、3月13日前後に虚空蔵菩薩を参拝し,厄除け祈願し福徳を願う風習である。智慧詣りとも言い、春の季語になっている。 |
阿しゅく如来 | 阿しゅく如来はあまりお目にかからない仏様ですが、金剛界曼荼羅で大日如来の周りに描かれている四仏の一つ東方妙喜国の教主です。東は金剛界曼荼羅では下、胎蔵界曼荼羅では上、日常の地図では右に描かれるので大変紛らわしいです。 阿しゅくは揺るぎ無い・動じないなどの意味があるそうです。些細なことに腹を立てたり、すぐに諦めて目標を貫徹出来ない我々が願を掛けるのに格好の仏様です。 像容は釈迦如来と酷似しているが、左手で衣服の端を持っているのが特徴です。これは悪魔を退散させる強い意志を表しています。 七回忌を司ります。 |
薬師如来 |
薬師如来は病気を癒してくれる仏様として古くから信仰されている。四国八十八ヶ所のご本尊でも薬師如来が圧倒的に多い。(薬師如来は24寺、千手観音菩薩・十一面観音菩薩が各12寺) 像容は釈迦如来と酷似しているが、薬壷の有無が見分けの大きなポイントになる。わかりにくく不確実な場合もあるが、釈迦如来が中指を少し前に出しているのに対し、薬師如来は第四指を少し前に出しています。薬指の由来は,ここから来ていると思います。『眼は口ほどにものを言う』といいますが、仏様は『手は口ほどにものを言う』面を持っており手話の元祖と思っています。 脇侍には日光、月光の両菩薩が、眷属には十二神将を従えているのが特徴である。十二という数字は菩薩当時に十二の大願を掛け修行したことに因んでいると思います。 仏の国は確か何万とあるそうですが、阿弥陀如来の治める西方極楽浄土と、薬師如来が治める東方浄瑠璃が我々には馴染みがあります。 七七日(四十九日)を司ります。死の瞬間(死有)から次の生を受ける瞬間(生有)までの期間を中陰(中有)と呼び、七日毎に経を読み、死者の冥福を祈る習慣があり、七七日を満中陰と言います。 |
薬壷 | 薬師如来は病気を癒す象徴として,薬入れを左手または両手で持っている。釈迦如来と見分ける重要なポイントである。 |
肉髻 | 仏の三十二相の一つである頂髻相で頭上の肉が隆起して髻のように見える。これを肉髻という。 |
肉髻珠 | 如来の特徴として、肉髻の中央に赤い珠があり、これをいう。 |
釈迦如来 | 釈迦如来は仏教の開祖、ゴーダマ、シッダールタをモデルにしており、歴史上に実在した唯一の如来である。それだけに入胎、出胎、誕生、出家、苦行、悟り、転法輪、涅槃など生涯の多くの場面が仏画や仏像になっている。 麻耶夫人の右腋下から帝釈天により取り出された釈迦は、誰の助けを借りることなく七歩進み,右手を上げて『天上天下唯我独尊』と獅子吼し、歩いた跡には七茎の蓮花が生じた・・・・・・これは釈迦誕生にまつわる有名な話ですが、誕生仏にはいろいろな像容がありあり興味深い。右手でなく、左手を上げていたり、指を1本立てるものから2本、3本、全て開いたものとある。 この意味がわかると面白いのだが・・・ |
施無畏印 | 右手の五指をそろえてのばしたまま肩の高さにあげ、たなごころを前に向けた印で、仏の威力や方便で衆生の種々の畏怖を取り去って救う功徳がある。 無畏とは、真理を悟ったものに備わる何の不安もない、畏れなき自信です。この自信を施してくださるのです。 |
与願印 | 左手の五指をそろえて伸ばしたまま、たなごころを前に向け左膝に軽く置く(立像では下に向けて垂らす)印で、人々に慈悲をそそぐ意味を持っている。掌を開いて前に向ける姿は「安心しなさい」と語りかけているような安らぎを与えます。 |
偏袒右肩 | 袈裟を右脇下から左の肩に掛ける着方で右肩をあらわにする。右肩の一部に背中の袈裟を引き上げて掛けているものも含める。これに対し両肩を覆う着方を通肩という。 |
大日如来 | 大日如来は空海が唐から持ち帰った密教の中心仏で、金胎両界の二尊があります。 二尊の違いはよく理解していませんが、外観上は印相で識別できます。金剛界大日如来は忍者のような智拳印、 胎蔵界大日如来は禅定印を結びます。 仏さまも如来や菩薩,明王,天と増えてくると仏の中の仏として、大日如来が教理上から生まれました。 私はこれまで,大日はなんとなく太陽を表していると思っていましたが、太陽の日にたとえながらも 『お日さまより偉大』を意味しているようです。何がお日さまより偉大か? 太陽は陰を作りますが、大日如来の慈悲は陰日なたなく,衆生を遍く照らします。 大日如来が仏の中の仏であることが仏像の姿,形にも現れています。 如来は出家姿が原則ですが,大日如来だけは宝冠や瓔珞などの装飾品を身につけています。 また、全ての御姿は坐像で描かれ、決して立像は見かけません。 未年、申年の守り本尊であり、十三回忌を司る本尊です。 |
弥勒菩薩 | 観音、文殊、普賢などの菩薩は、仏教の教えから生み出された理想の仏さまであるのに対し、弥勒菩薩は釈迦の弟子で実在した人物だそうです。だからこそ、お釈迦さまの後継者に指名されたのでしょう。でも、まだ兜率天で修行中です。弥勒菩薩の仏像に半跏思惟象が多いのは、人間界に降りた時、どのように衆生を救済しようかと考えているからと言われています。 仏教の話はスケールが大きいです。弥勒菩薩が人間界に降りて如来になるのは、お釈迦さまが亡くなってから56億7千万年後です。その間ずっと修行して、如来として、勤めるのは僅か6万年だそうです。 私が仏像に関心を持ったのは、国宝の第一号指定の広隆寺の弥勒菩薩像に出会ってからです。ミロのビーナスとロダンの考える人を合わせた以上の魅力を持っています。 パソコン購入の動機も。広隆寺の弥勒菩薩像を3Dで彫りたいと思ったからです。(現在はSHADEをギブアップしていますが、いずれ再挑戦を夢みています。) 禅宗では七福神の布袋さんを弥勒菩薩の化身と考え、弥勒菩薩と呼んでいます。 私には円満で福々しいお中のでた布袋さんを、とても弥勒菩薩と呼べません。 六七日を司る本尊です。 |
普賢菩薩 | 釈迦如来の脇侍として、文殊菩薩と一対になることが多い仏様です。文殊菩薩の獅子に対し、普賢菩薩は象に乗ることが多いです。文殊菩薩の智慧に対し、理知の理,即ち道理に従って行動する力を分担しています。ところで道理とは何でしょう? 人間として守らなければならない道とはわかっても、具体的に何なのか? 法律や規則がなくても守らなければならないものは何でしょう。 出生、性別、年齢、会社、職業は勿論国や地域で差があっては道理とは言えません。今はこれが道理だが、昔は違ったなどと言うのも道理とは言えません。 責任能力のない精神障害者や分別のない少年も守らなければならないのが道理だと思います。一切の例外なく時空を越えて普く適用される人間として守らなければならないものは何なのでしょう。 四七日を司り、辰年と巳年の守り本尊です。 |
蓮華座 | 蓮のことを何故、蓮華と言うのだろうか。仏教では曼荼羅華、曼珠沙華など華のつく花が目立つ。これらは天上界に咲く霊妙な花で、吉祥事が起こった時に、天から雨のように降り注ぐ天華と呼ばれる。 |
動物座 | 動物座の中でも、獅子や象、孔雀などは見る機会が多い。他にも牛、馬、猪、鵞鳥などの座もある。 |
六牙 | 六牙は六波羅蜜即ち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の実践修行を表わしています。 |
阿弥陀如来 | 阿弥陀如来は西方浄土の教主で、多くの菩薩・眷属に囲まれて衆生済度のため大いなる慈悲の光明にひかり輝いています。念仏を唱えれば臨終のとき、極楽から阿弥陀如来がお迎えに来て西方浄土に連れて逝ってくれると言うことで浄土教とともに広く信仰されています。生前の信仰と善行の度合いで9通りのお迎え方法があり、九品往生と言います。信仰度合いを上品・中品・下品、それぞれを善行度合いで上生・中生・下生と分け、この組み合わせで9通りになります。最上位の上品上生は如来・菩薩・比丘が管絃つきの総出演でお迎えにきますが、階位が下がるに連れ、菩薩がいなくなったり、阿弥陀如来だけになったり、ついには金の蓮華が現れるだけとさびしく、ひっそりとしてくるそうです。日常語になっている上品、下品は、この九品から派生したものと思います。 三周忌を司り、戌・亥年の守り本尊です。 ハシゴ状のくじ引きを、どうして阿弥陀くじと言うのでしょうか? |
頭光 | 光背を光の発せられる場所によって命名したもので、頭部から光を発している。帽子を阿弥陀に被るというのは、この頭光の形に由来します。 |
身光 | 全身を包み込む身光と頭光を合わせて一つになったものを拳身光と言い,その代表的な形が二重円光である。。 |
肉髻 | 頭が鏡餅のように二段になっており、肉が隆起して髻のようになっている上段を肉髻と言う。 |
上品上生印 | 阿弥陀如来の9種の印で最上位の形で、弥陀の定印と言われる。親指にくっつけている指が人差し指だと上品上生、中指だと中品上生、薬指だと下品上生となる。 |
衲衣 | 如来のモデルは出家時のシッダール太子で、身につけていたものは一枚の布即ち衲衣だけで、一切の装飾物や持物は持っていません。薬師如来など一部に持物を持つものもあります。 |
偏袒右肩 | 衲衣の着方として,両肩を隠すものと右肩を露わにするものがあります。前者を通肩、後者を偏袒右肩を呼びます。大岡裁きの遠山桜も右肩を露出しますが,関係あるのでしょうか? |
勢至菩薩 | 勢至菩薩は阿弥陀如来の脇侍として、観音菩薩とともに阿弥陀三尊として祀られることが多い。観音菩薩が慈悲の表れとして篤く信仰されているのに、智慧の表れである勢至菩薩は単独に祀られることはないようです。同じ智慧の表れでも、釈迦如来の脇侍である文殊菩薩の方が一般には知られているのはどうしてでしょうか?野球の村山投手や相撲の柏戸のように悲劇の主人公を連想させられます。 いずれにしても、人々の迷いを無くす智慧を与えてくれる菩薩です。私は三千院の正座して合掌する勢至菩薩は、どこにでも居そうな若者に見えて好きな仏像の一つです。 |
水瓶 | 観音菩薩が宝冠に化仏を付けるのに対し、勢至菩薩は水瓶を付ける。中には汚れを流す霊水が入っています。 |
合掌 | 両手の10本の指と掌を胸や頭の前で合わせる所作である。右手は清浄な仏であり、左手は現世の人である。この両者が一体になる姿を表わしています。両手のそれぞれが胸や頭の前に近づいてくる。決してどちらかの手が止まっていることはない。私たちが仏さまに近づいていくと、同時に仏さまが私たちに歩み寄ってくれる様を表現していると言えます。 |
観世音菩薩 | 阿弥陀浄土に住む多数の菩薩の中でも、特に信仰の厚いのが観音(観世音の略)菩薩である。本図は往生者を浄土からお迎えにきた来迎図である。 『観音』、音を観るとは妙な表現と感じますが、似たような熟語に『観光』、光を観るがあります。『観』は六十四卦の一つで、「自らを修めて人の範となり、 人々から仰ぎ見、慕われるようにならなければならない」と言う戒めの卦です。 易経では観光とは「国の光を観る、即ちその国の光である素晴らしい人物に面接する」こととあります。我流の解釈ですが、観音とは「如来を目指して修行中の菩薩が、世間で苦しみ助けを求める声、音をあげている人々に接する」ことと思います。 西国、坂東、秩父の観音霊場を九十九ヶ所でなく、百ヶ所にしたのは単に切が良いからではなく、観音さまが百ヶ日を司る仏さまだからでしょう。 『観音開き』とは厨子の戸を真似て、左右の扉を中央で合わせるようにしたもので、仏壇、倉、門など多用されている。ここで疑問がある。厨子には多くの仏像が祀られているなかで、なぜ、『釈迦開き』『菩薩開き』等でなく、『観音開き』になったのか? |
宝冠 | 文字通り宝石で飾られた冠で、菩薩や吉祥天などが被ります。 |
化仏 | 菩薩が修行の目的とする如来像で宝冠や掌に表わされる。我々が手拭いに必勝とか合格とか書いて鉢巻にするのは、化仏の影響かもしれません。 観音が観音たる証は宝冠に阿弥陀如来の化仏の有無である。 |
白毫 | 眉間にある右巻きの光を発する白い毛で、これを伸ばすと一丈五尺(約4.5m)になるそうです。、標準的な仏像は丈六ですから、ほぼ身長の長さと言うことになります。ここから発せられた光はレーザー光のように無限遠方まで届くそうです。 |
蓮台 | 往生者を浄土に運ぶ台で、蓮華を象っている。 |
地蔵菩薩 | 最近でこそ減ったが、かっては小学生の生活圏(遊びのテリトリー)に「お地蔵さん」は必ずいましたので、最も身近な仏さまです。道端やお寺などです。 「六地蔵」と言う地名が全国にあります。人間は亡くなると極楽や地獄に逝くと言います。先ず、地獄にいって生前の罪を償ってから極楽に向かいます。地獄の入り口では、あの怖い閻魔大王が、罪の深さを判断して、刑場を指定します。その刑場が六つ(六道)あり、夫々の刑場には、説法・救済してくれるお地蔵さまや観音さまがおります。墓地や火葬場の近くに六地蔵があった意味がなんとなくわかりせんか。 像容は左手は宝珠を持つことが多いが、右手は錫杖、経巻、経箱、施無畏の印など六地蔵ごとに違います。五七日を司る仏さまです。 |
円頂 | 菩薩でありながら、華美にドレスアップせず、現世のお坊さんの姿に近いので、身近に感じる仏さまです。最も特徴的なのが、剃髪した丸い頭でしょう。。 最近のお坊さんは まるい頭に墨染の衣など少なく、『円頂黒衣』は死語になったようです。 大学病院で茶髪のお医者さんに会いましたが、まだ茶髪のお坊さんには出会っていません。見かけた人は教えてください。 |
錫杖 | 地蔵さんは姿を変えて、六道を説法して回ります。それを象徴する杖です。 |
宝珠 | 普通は丸い玉が多いが、本図は火炎宝珠である。これを描きながら連想したのが、五輪の塔の最上部と橋の欄干や古い柱時計のギボシである。調べてみると、五輪は下から四角(地)、球(水)、屋根(火)、蓮台(風)、宝珠(空)を表わしているそうです。ギボシは擬宝珠(ギボウシ)から転じたものである。 |
踏み割り蓮華 | 坐像の仏さまは「見守ってくれている」、立像のは「助けに来てくれる、助けてくれる」と感じます。踏み割り蓮華の仏さまは、「急いで来てくれる、すぐ助けてくれる」との有りがたさを感じます。 一方で、坐像は「よく考えろ」、立像は「ぐずぐずせず行動しろ」、踏み割り像は「もっと積極的にしろ」と教えてくれているようです。 古い仏さまは座り、新しい仏さま、鎌倉時代以降は立っているのが多いと、どこかで読んだ気がします。当世は走っているか、バイクに乗った仏さまが造られても良いほど、仏さまは忙しい時代と思います。 |
雲 | 阿弥陀如来が浄土から雲に乗って死者を迎えにくる来迎図に不自然さは感じませんが、子供のころから、道端の見慣れたお地蔵さんが雲に乗っているのは、私にとっては妙な感じです。どうして雲に乗っているのだろうか? ワンタン(雲呑)の名称は,その形状に由来すると思うが、具は少なくて、雲を呑んだら、こんな感じかと思わせる名品を食したい。 |
文殊菩薩 | 「文殊の智慧、普賢の行願」として,釈迦如来の脇侍として祀られることが多く、馴染みのある仏さまです。「三人寄れば文殊の智慧」などは、よく知られた引用句ですし、受験生がお参りする双璧は、天神さまと文殊さまでしょう。 (修行が足りない私は、馬鹿は何人集まっても馬鹿と思うことがあります。できれば奇人、変人、凡人と個性のある人が集まったほうがいいでしょう。) 像容は右手には妨げとなる煩悩を断ち切る両刃の宝剣、左手には本図のように経巻を持つもの、経典を載せた蓮華を持つものがあります。智慧の仏さまを象徴しているのは経巻だけでなく、頭上の髻も智を表わしているそうです。髻は一つ、五つ、八つのものがあり,五つは五智の表現です。三七日を司る仏さまであり、卯年の守り本尊でもあります。獅子に乗る坐像が多いようです。 |
輪光 | 光背の一種。後光が差すとかオーラが出ているなど、いいますが、立派な人は本当に光を発していたんだと思います。(今は立派な人が少なくなったのではなく、周りが明る過ぎて見えないのです。)仏さまだけでなく、西洋のキリストもエンジェルも頭に光の輪が描かれています。 |
髻 | 髻は髪を集めて束ねたところ。髷は髻の上部を後方に折り曲げ、更に前方に曲げた部分。 出家するときは「髻を切る」と言います。力士が引退するときは「髷を切る」と言います。難しいですね。 |
宝冠 | 菩薩や一部の如来がつけている宝玉入りの冠。 |
経巻 | 文字通り、経文を記した巻物です。 |
宝剣 | 修行の妨げとなる煩悩を断ち切る剣です。 |
瓔珞 | ようらくと読み、胸飾り。菩薩像は釈尊がまだ、悟りを拓く前、王子だったころをモデルにしてますから、宝冠、瓔珞、臂釧、腕釧など多数のアクセサリーをつけています。 |
天衣 | 天女の衣のように、両肩に掛け、その両端を体の両側に垂らしているショールのようなもの。天衣無縫といいますから、縫い目はないのでしょうね? |
吉祥座 | 結跏趺座の一種で、右足を左足の上に乗せたあぐらの座り方です。左右の上下を逆にすると降魔座になります。 |
獅子座 | 同名の星座もありますが、ここは仏さまの台座、通称、乗り物の話です。 台座には蓮華座、須弥座、礼盤座、岩座、雲座、鳥獣座と色々ありますが、鳥獣座の一種です。なぜ文殊さまが獅子に乗っているかはわかりません。ご存知の方は教えてください。 |
不動明王 | 仏は常にやさしい姿でわれわれに接するわけではありません。ときには如来の教えに従わない救い難いものたちを恐ろしい姿で懲らしめ教化しなければならない。こうしたとき、如来の意に従った忿怒の形相の仏が現れる。、こうした仏たちを総称して明王と呼びます。不動明王は大日如来の化身で五大明王の中心に位置する主導格です。如来や菩薩ばかりの十三仏で唯一の明王で、初七日を司ります。また酉年生まれの守り本尊でもあります。従って酉年生まれの私は最初に不動明王を描きました。車が動かなくなると困るのですが、なぜか交通安全を祈願することが多いようです。 |
光背 |
光背は蓮華と光を美的に融合したものが多いが、明王は火焔光が基本です。激しく吹き上げる火焔で汚れを焼き清めると同時に私たちを擁護してくれます。 |
瑟瑟座 |
「秋風瑟々たる夜」等と使う「瑟々」は風が静かに寂しく吹くさまですが、これとは意味が違います。岩座を装飾化したと思われる瑟瑟座は不動明王のみが座る台座です。 |
弁髪 |
髪は梳いて整えるもの、カールするもの、本図のように先を束ねて左肩に垂らす(弁髪)のものがある。弁髪を綱の代わりにして、衆生を救い頭頂の蓮華の上に乗せると言われています。 |
宝剣 |
明王は武器を持つのが基本で、不動明王は右手に剣を持っています。悪しき者から私たちを守ってくれると同時に、未熟な私たちを脅し,威嚇しながら正義へ導いてくれます。 |
羂索 |
左手には分銅と環がついた羂索を持っていて、これで悪しきものを縛り上げるのでしょう。私は、困っている人たちを助けてくれる命綱と思いたいです。羂索が飴で、宝剣が鞭と解釈しています。 |
臂釧 |
明王の説明で「一面三目六臂」とか「三面六臂」のことばが使われます。面と目は別にして「臂」とは何かと疑問を抱いたものです。肩、腕,手を含めた広義の手だろうと思っていましたが間違っていると「0面0目」(面目ない?)なので辞書で調べたら肘でした。「釧」は「くしろ」と言い、貝、石、玉、金属などで作った輪状の装身具です。即ち臂につける飾り物です。プロ野球選手のユニフォームの臂部にある虎マーク(阪神の場合)も臂釧の名残でしょうか。 |
腕釧 |
腕につける装身具です。「臂釧」を参照して下さい。 |
足釧 | 足につける装身具です。「臂釧」を参照して下さい。 |