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Occasional Thoughts Around Books

by MORI Hiroshi
Aug. 1999


現代ハードボイルドの頂点


 さて、6カ月連載の機会を頂き、最初は国内ミステリィをご紹介。そのあとは、とたんに横道に逸れ、数学、そして科学、蒸気機関車、飛行機へと確信犯的道草を敢行したが、最後は華麗にミステリィ、しかもハードボイルドで決めてみよう。

 森は今から3年まえには、ただの国家公務員だった(実は今も変わらない)。「ただの」というのは、「無料の」「ぺいぺいの」という意味ではなくて、「純粋な」という意味である。若い頃から小説などにほとんど興味はなく、まして自分で小説を書くことなど考えもしなかった。それが、38歳のときに、家族に対する細やかな見栄で、キーボードに向かい、それが、この道に入ったきっかけである。と書いたが、「この道」ってなんだろう? 今でも自分を「小説家」だとか「作家」だとは認識していないし、小説が「趣味」だとさえ思っていない。しかし、客観的に見れば、森はミステリィ作家なのである。特に、確定申告のときにそう思う。

 ハードボイルドと呼ばれるジャンルがあるらしい。森が知っているのは、ハメット、チャンドラ、マクドナルドくらいで、非常に好きなフィーリングなのだが、どうも、これに相当する国内の小説にお目にかかったことがない。きっと、お目にかかりたくないから、無意識に避けているのだろう。松田優作やショーケンが出ているドラマや映画(古いぞ)も、ちょっと馴染まない。ヨーロッパでも駄目、ホンコンでも駄目。当然ながら、日本では駄目駄目なのだ。

 ハードボイルドの定義は簡単である。場所がアメリカで、私立探偵の男性が主人公の小説である。したがって、日本にはハードボイルドはない(ディズニーランド内ならありえるかもしれないが)。亜流として可能だとしたら、ハーフボイルドになる。ソフトでは違う。断然違う。ハードになりきれないハーフなのであって、ソフトではない。なんか、コンピュータの話をしているみたいだなあ。

 さて、洋画が好きでたまに見にいく。一方、邦画はどうも面白くない。お金がかかっていない、とういうだけの分析とも違う。何が違うのかというと、登場人物たちの台詞が違う。洋画では、もの凄い洒落た会話に出会える。おそらく、お金のかかったコピィだろう(あれ、結局は金の差か)。

 ハードボイルドというのは、一言の格好良い台詞を主人公の探偵に吐かせるために、すべての世界を動かす小説のことで、メカニズムは歌舞伎に近い。いやあ、目茶苦茶ええな! と信者じゃなかった読者がじーんと(くうっと、でも可)なるのである。この恍惚が、最近どうも味わえないと思っていたら、出ました出ました、という「マンヲジシタ」の登場が、デイヴィッド・ハンドラー

 主人公のホーギーは、しかし、私立探偵ではない。ただのゴースト・ライタだ。「ただの」というのは、「ぺいぺいの」ではなくて、「純粋な」という意味であって、まさに、この純粋な好奇心が、謎を解く。

 けれど、謎を解くことは、必ずしも正義ではない。この矛盾の中で、ホーギーは悩み、そして、実にさりげなく、洒落た台詞を吐くのである。まさに、その台詞のために舞台は用意され、時間は流れている。この一見ソフトなハーフボイルドこそ、現代のハードボイルドの頂点だと思われる。何故なら、これ以上にハードになると、古くさいもんね!

 ホーギーは、当然ながら、自分を「探偵」だと認識していないだろう。仕事に対する細やかな見栄で彼は行動し、この道のプロだとは思ってはいても、「この道」ってなんだろう、と常に回顧する。もちろん彼は「趣味」だとさえ思っていない。しかし、客観的に見て、彼は「探偵」であり「作家」なのだ。

 主観から客観へ瞬時に飛翔するダイナミクスこそ、読者を眩暈させるハードボイルドの核心的「技」であり、そこにこぼれ落ちる言葉を僕らは拾う。そう、「ただ」の読者として拾い続けるのみ。

 祈ろう、ただの読者に幸あれ!



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