エッセィ

ちるさくらさきよまれなるあとかきに
のこれるあおはなつかしきあか

/☆Go Back☆/

 賢明なる読者諸君には、今、一連の物語の消化をまえにして、慎んで注意を喚起したい。諸君は、一目不可思議に観察される装飾のミスリーディングに満ち満ちた現代社会を生き、極間近の見通しだけに依存して、徐々に塗り替えられつつある過去を振り返る猶予も与えられないまま、驚くべき些末で無味乾燥の人工物、しかも意図的で再生の利かないこの架空の物語を手にした運命を、きっと呪わしく自覚することだろう。

 しかし、作者は読者諸君に問う。

 物語を読むそれ以前のこの段階で、諸君は、既に次なる質問に答える、あらゆる自由を与えられているのだ。
 すなわち、

 諸君はどこから来たのか。
 諸君はどこへ行くのか。
 諸君は何者なのか。

 これらの問いに答える自由こそ、人類に与えられた最高かつ最後の権利である。
 この権利施行の重厚さに比較して、文字記号に還元可能な物語りに暗示あるいは提示される命題のいかに細やかなことか。さらに、そこに慎ましくも集積する命題のほとんど自明ともいえる解答へと導く意図のいかに浅はかなことか。それは、か細き杖を大地に突きつけ、地球の宇宙における運行に影響せんとする行為に等しいと断言しても決して過剰ではない。
 しかし、ここで、さらに一つの観測点を示唆し、諸君の頭脳内部にそれを設定することが許容されるならば、次の命題がやがてクローズアップされることを予見できる。

 杖を地面に突きつけることで、地球の軌道は変わるのか。
 その変化の大小を誰が評価できよう。

 我々の大地が不動でなかったように、我々もまた不動ではない。運命は、我々に訪れるのではなく、我々がそこを通過しているに過ぎない。この相対の転換を受理するならば、右に上げた三つの命題の答を想起させる次のような読み換えが容易に可能となろう。
 すなわち、

 作者はどこからも来ない。
 作者はどこへも行かない。
 作者は私である。

 聡明なる読者諸君は、この単純な言葉の変換の中にこそ、ミステリィの真実にして究極無比のアンサを発見することだろう。
 ただし、当然ながら、ここで「究極」の意味するところは、永劫の袋小路である。読者はいかにしても自由であり、作者はいずれ不自由となる。何故なら、読者はいずれ作者となりえるが、作者は永遠に読者には戻れないからだ。

 風はどちらから吹いても、諸君に向かって吹くだろう。
 だが、風の始まりと、風の終わりに立つ者はいない。

 さて、モードを切り換えよう。

 「すべてがFになる」が刊行された昨年の四月、長編五連作のあとに、短編を書かないか、というお誘いがあった。「F」の時点で次回作として予告されていた長編四作は、既に完成していたので、五月の連休にこの短編十一作を書き上げた。タイトルはもちろん、kissing under the mistletoeの洒落であり、内容はミステリィというよりは、ファンタジィかコメディ、あるいは冗長で空振りのレトリックの類かもしれない。ひいき目に見ても、その連鎖の縺れであって、解きほぐす努力を放棄した代物だ。だから、一つだけ読むと誤解されそうなので(といって誤解されることも理解されることも基本的に同価値であるが)、短編集として一冊にとりまとめて発表させていただければ、とお願いした(取りまとめるとは、良くいったもので、つまりは解きほぐせないだけの道理なのだ)。
 インターネットのホームページやその他あちらこちらで、「犀川・萌絵のシリーズではない」と繰り返してきたが、二人が出てこない、とは一度も言わなかった。その点が些細ではあるが、レジスタンスといって差し支えないメイントリックだった。
 次に予告されている、長編五連作も既に完成している。そこで今回は明言しておくことにする。

 次の五連作は、犀川・萌絵シリーズです。
 そして、噂のドクターMもいずれ登場するでしょう。

 期待は乞いません。

 これまでの一連の拙作は、すべて、妻ささきすばる氏、講談社の宇山秀雄氏、同じく唐木厚氏の三名に読まれることを動機に書かれたものであることを明記したい。また、本書のために、旧友・山田章博氏のお手を煩わせ、拙い内容に不釣り合いとも思われる素敵なイラストの秀作をいただいた。どんな感謝の言葉も宇宙的に不足であると感じつつ、ここに記すことで深謝の意を表し、ご返礼の最初の一片に代えさせていただきたい。

 最後に(あるいは最初に)、いつか問われることになるだろう運命の問いに答えておくのも一興かと思う。先が見えなくても、そこに道があると想定した方が、とりあえず人は歩きやすいからだ。また、そうすることで、新しい何かが得られると期待しているわけではないものの、極狭い範囲に限定された至極の自由を、一瞬でも垣間見ることを、せめて切望している。
 現時点の答とは、すなわち、

 ミステリィはどこからも来ない。
 ミステリィはどこへも行かない。
 ミステリィは、あなたです。

 

森博嗣 1997年6月(短編集「まどろみ消去」の幻のあとがき)
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