エッセィ

プラモデルとミステリィから

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 小学校の近くの商店街に本屋さんがあった。郵便局の隣で、家から一番近い本屋さんだ。とても狭くて中は暗い。文房具とプラモデル、それに煙草も売っていて、入口におばさんが座っている。

 僕はプラモデルを見るために、よくその店に出かけた。ずいぶん長い時間そこにいることができた。山積みになっている一角から箱を抜き出す。蓋を開けて中に入っている部品や組立て図をじっくりと見る。戦車やサンダーバードの類だったと思う。プラモデルが大好きだったから、それ以外のものにお小遣いを消費することはまずなかった。

 でも、たまにだけど、この暗い店の中で本を立ち読みした。どういった本を手に取るのかというと、ほとんど工作関係の雑誌ばかり。「子供の科学」を筆頭に「模型とラジオ」「Uコン技術」「ラジコン技術」それに「鉄道模型趣味」。「子供の科学」はときどき増刊号が出るのでそれが楽しみだった。「鉄道模型趣味」を発見したのは小学校四年生のときで、もう戦慄ものだった。確か二百円くらいだったと思う。このとき、僕は生まれて初めて自分のお金で本を買った。読んでみると、それは信じられない大人の世界で(これ、ちょっと誤解されそうだけど)、二百円のプラモデルよりずっと面白かった。

 それ以来三十年、これらの雑誌のうち廃刊になっていないものは、今でも毎月買っている。中二の息子より、僕は「子供の科学」の熱心な読者だ。

 実は、本だけはお小遣いから出さなくても買ってもらえたのだ。その点で僕は恵まれていた。当時、僕の家には、お米屋さんや酒屋さんみたいに、注文を取りに書店のおじさんが来ていた。その人に頼むと翌週には配達してくれる。お金は母が払うので心配ない。母は僕に本を読ませたがって、世界文学全集とか買ってくれたのだけど、工作に関係のない本を真剣に読む気にはなれなかった。作りもののお話なんて全然面白くない。小学校で指定されている図書は嫌々読んだけど、当然ながら面白いものは一つもなかった。あとで感想文とか書かなくちゃいけないし、そういう本には「押しつけがましい」という印象しかない。まあ、宿題は子供の仕事だと割り切って、わざとらしくオーバーに作文すると、褒められて賞状がもらえたりするんだけど、今思えば、社会の縮図だ。

 さて、中学生になって、ふと文庫を買ってみようかと思ったのだ。これは、魔がさしたとか、できごころというのに近い。地下鉄で通学するようになって、電車の中で本を読んでいる人たちが妙にカッコ良い。それが新鮮だった。みんな、一様に小さな本を読んでいる。そんな小さいやつを、僕は今まで読んだことがない。あれは大人の読む本なのだ、と認識していたのに、学生とかも読んでいる。とにかく血迷って、一冊だけ中学の校売で中身も見ずに買ってみた。

 それが、クイーンの「Xの悲劇」だった。

 求めれば、与えられるのだ。神様に感謝。

 タイトルで選んだ。ミステリィというものの存在さえ知らなかった。こんな幸運は一生に一度だろう。

 最初の数ページを読んで頭が痛くなった。わからない。意味が全然わからない。知らない単語は辞書で調べたのに、話が理解できない。そこで、学校の現国の先生に相談にいった。
「ここはどういう意味ですか?」
「最後まで読めばわかるんだよ」先生はそうおっしゃった。
 なんと不親切なストーリィか、と思ったけれど、先生を信じて最後まで読んで、びっくり。感動した。それからの僕は、本屋さんに本を買うために通うようになる。

 核戦争で世界が滅亡して、人類が僕一人になってしまっても、本屋さんが残っていれば、たぶん大丈夫だと思う。

 

(1997.8、「日販通信」に掲載)


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