エッセィ

本書くと読まれるだけでミステリィ
ただ半熟のディスカバリィ

/☆Go Back☆/

 昨年の夏から、ミステリィを六作書いた。それが、今年の春から、一冊ずつ本になる。知らない人たちが読んでいる。少し恥ずかしい。
 エッセィを書いてくれと電話がかかってきた。とても困る。エッセィなんて書いたことがないし、そもそもエッセィというものの目的がわからない。それが困った理由だ。
 目的のないものほど、困るものはない。けれど、しばしば、目的のないものほど魅力的だし、それに困るのも、嫌いではない。
 というわけで、同じフロアの犀川助教授の部屋を訪ねた。
「今、暇?」
「見ればわかるでしょう」犀川はディスプレイに向かって仕事をしている。忙しそうに見える。
「ちょっと、話があってね」
「何です? ちょっと、というのは? 何が、ちょっとなの?」
「いや、別に、ちょっと、には意味はない」
「で、何の話?」そう言って、犀川は煙草に火をつけた。
「ミステリィについてなんだけど」
「ミステリィ? ああ、小説のね」犀川は煙を吐きながら微笑んだ。「それなら、西之園君がうってつけだ。彼女、ミステリィ研究会なんです。僕はだめ。専門外」
「失礼しまーす」西之園萌絵が部屋に入ってきた。彼女は、うちの学科の学生である。「あ、おじゃまですね・・」
「あ、西之園君。ちょうど良い・・」犀川が彼女を引き止める。「あのさ、ミステリィについて、森先生がききたいそうだよ。相手をしてあげて」
「ミステリィについて・・ですか?」西之園萌絵は目を少し大きくしてこちらを見た。「ミステリィの何についてですか?」
「目的だ。ミステリィの目的は何かな、と思ってね」
「目的・・」彼女は首を傾げる。「さあ、何でしょう? 人を驚かすことじゃないかしら」
「でも、驚いた顔は実際には見えない。驚かないかもしれない」
「西之園君は何故ミステリィを読むの?」犀川助教授が尋ねた。
「パズルと同じですね」と萌絵。「何となく、形がきっちりと合うと気持ちが良いですから」
「ジグソーパズルみたいなものか」
「ええ、そうですね」
「あれって、僕は理解できないね」犀川が呟く。「よく、絵とか写真をジグソーパズルにして売っているだろう? どういう連中があんなのをやるのか不思議だよ。僕は、絵は絵、写真は写真、パズルはパズルで、別々の方が良いな」
「犀川先生、それは違います」萌絵が反論する。「たとえばですね、名画を半分に切ってしまって、二つのピースだけのパズルがあったら、先生の言われるとおりかもしれませんよ。でも、千ピースくらいになると、もう、やった人でないとわからない、何か言葉で言えない恍惚があるんです」
「恍惚ね・・」犀川は鼻を鳴らす。「わからないなあ。じゃあさ、ジグソーパズルにどうして絵が必要なわけ?」
「そりゃあ、必要ですよ」萌絵は口を尖らせる。「真っ白だったら、味気ないもの・・。そんなの、一度したら十分ですよ」
「十分なら、それでやめれば良い」犀川が冷たく言う。
「文学が絵画なら、ミステリィはジグソーパズルってことを言っているのかな?」
「うーん」萌絵は唸る。「そういう比喩って、よくわかりませんね」
「話が逸れている」犀川は煙草を指で回しながら言った。「逸らしたのは僕だけど・・」
「そうそう、ミステリィの目的だ」
「目的なんて、ないといけないんですか?」萌絵がきいた。
「うん、僕はないと困る人間なんだよ」
「森先生はそうなんだ」犀川が面白そうに言う。
「変わってますね」萌絵は微笑む。
 犀川助教授の部屋を出て、自分の部屋に戻った。
 自分は変わっていないと思う。普通、誰だって目的がほしいものだ。「必殺仕掛人」だって、四十分以上の時間を「目的」に使っていた。古いな。最近テレビ見ないから。
 西之園萌絵が言ったジグソーパズルの比喩は、考えてみると意味が深い。なるほど、ピースが生半可の数では、パズルにならない。ただ、絵を切り刻んだだけで、むしろ台無しになるだけだ。では、どの程度ピースの数が増すと、新しい価値が生まれるのか。その価値とは何か。恍惚、ではいかにも曖昧だが、おそらく、どこかにミステリィの光がさす敷居値があるはずだ。
 他人が思考するのを想像するのが面白いのか。あるいは、自分が思考したものを他人に想像させるのが面白いのか。思考の同調みたいなものか。いや、それは幻想だ。
 絵がなくてはいけないのか、という犀川助教授の発言も、興味深い。十分なピース数に達したミステリィの永遠のテーマだろう。それは同時に、何故パズルでなくてはいけないのか、という命題とも必ず対峙する。作用反作用の法則があるからだ。
 さて、忙しいので、今日の結論。
 何故ミステリィを書くのかときかれたら、片目を瞑って舌を出すしかないようだ。
 たぶん、片目を瞑って舌を出したいから、本書く。

(1996.9、講談社「本」に掲載)


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