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再びインタヴューに答える森都馬(モリトーマ)氏




このインタヴューは、「活字倶楽部」編集部によるものです。

――1、昨年「活字倶楽部」でインタビューさせていただいたときには、すでに「犀川助教授と萌絵シリーズ」10作を書き終えていらっしゃいました。それから1年以上たってやっと最後の「有限と微小のパン」が刊行されたわけですが、書き終えた当時と現在とでは、作品に対する思いは変わっていますか? 変わっているとしたらどんな点が、ですか?

 「作品に対する思い」というものは、特別にはありません。ですから書いた当時も現在も、変化はありません。ただ、読者の皆さんからメールやお手紙を沢山いただいて、中には、「なるほど、こう考える人もいるのか」と感心することはあります。そういった経験は、当初予想していたよりも少し楽しいものでした。もっとも、それが作品に反映することは非常に希です。

――2、以前、最初の5作はシリーズを書こうと思ったときにはすでに頭の中にでき上がっていた、とおっしゃっていましたが、後半の5作はいつ頃できていたのですか? また、後半の5作も、まとめて頭の中にでき上がったのでしょうか?

 「封印再度」を書いている途中で、後半の5作を書くことを決めました。同時に漠然としたイメージを思いつきました。ただ、細かいことは一つずつ、作品を書き進めながら考えます。事前にプロットを煮詰めることはありません。頭の中ででき上がっているというのは、本当に大まかな流れみたいなものです。

――3、シリーズ中、一番思い出深い作品は? また、その思い出とは?

 特に「思い出深い」という作品はありませんが、最初の2、3作は、ゲラ校正というのが大変な作業で困惑しました。作品を書き上げる時間よりも、修正のために読む時間の方が多いくらいです(誇張?)。表記などに関しても、いろいろと慣れないことが多かったのです。そんな「苦労」が、今では思い出されます。睡眠不足になりました。あとは、そうですね・・、「封印再度」では、「真賀田四季が再登場するのか?」なんて読者に聞かれて、困りました(これ、意味、わかりますね?)。思い出深いといえば、この作品でしょうか。

 このまえの活字倶楽部のインタヴューで、「封印再度」のメイントリックについて話したところ、某誌(活字倶楽部より遥かに部数の少ない本ですが)で、「インタヴューみたいな場所で真意を説明するのは、余りみっともいいものではない」という内容で非難されてしまいました。今回も「真意」を説明していますので、格好悪い真似をしていますけど、ご勘弁を(笑)。まあ、このように、とにかく出版界のしきたりや価値観がわからず、今でもまだ馴染めない状態ですね。はっきりいって、不合理な世界です(話題が逸れました)。ミステリィに関わっている方々が、これほどまで非論理的だとは思いませんでしたよ(ジョークです)。

 作品に関する思い出は、3月に発行する「森博嗣のミステリィ工作室」という本にわりと詳しく書きましたので、万が一興味のある方がいらっしゃったら、もしかしたら面白いかもしれません(これは宣伝行為です)。そもそも、作品を読めば充分で、作家などには興味ない、という読者が大半であって、そういう方は、たぶんこの本を読まないでしょうから、大丈夫だとは思いますが、念のため・・。

――4、シリーズ執筆中で一番大変だったことは?

 時間的な問題です。平日も週末も夜の10時過ぎにしか小説の仕事をしないことにしていますので、時間の遣り繰りに多少苦労しました。その煽りを食って、大好きな模型工作(特にラジコン飛行機)が最近滞っています。

  しかし、これはビジネスでやっているわけで、苦労は当たり前です。その分、ちゃんと報酬をもらっているのです。ボランティアで小説を書いているわけではありません。「書くのに苦労した」なんてとても言えません。平均的にみても、事実、大した苦労はしていない、といって良いでしょう(笑)。残念ながら、人生を小説にかけているわけでもありませんので、この程度のことで、あまり苦労したくありません。

――5、シリーズ執筆中で一番楽しかったことは?

 それは、書いている最中が一番楽しいですよ。楽しいからどんどん進むわけで、すぐ終わってしまいます。楽しくなかったら、書くのをやめてしまうでしょう。書き終わったら、あとは校正などの労働が待っているわけで、これは本当にうんざりしますね。ここからさきは、自分以外の人が読むためにサービスする行為で、つまり仕事です。この部分で報酬を頂いている勘定になります。

 書いてしまったら、あとは出版社の仕事になります。だから、発表後は、森はほとんど無関係です。誰に誉められようが、また誰に貶されようが、特に影響を受けません(笑)。読者から感想をいただくと、その人を知る、という意味で大変面白い。その人の思考に触れる、という興味で実に楽しいです。ですが、読者の声が森の作品にすぐに反映することはありえません。ただし、自分の尊敬する人からの意見には、素直に影響されますけど(笑)。

 いずれにしても、ものを創っていく過程は、とてもスリリングで大好きです。今は工作の一環としてミステリィを書いています。この楽しさが味わえる間は、書き続けたいと思います。

 二次的ですが、小説を書いたことによって、知り合えた人がいる、という点も良かった、とたまに思います。しかしこれは、もし小説を書いてなくて、他のことをしていても、それで知り合える人がいたわけですから、同じことかもしれません。たとえば、小説のために、模型飛行機のクラブに参加できなくなって、友人と会う機会を幾つか失いましたからね(笑)。いったい何の話をしているんでしょうか・・。

――6、書きながら一番惹かれていたキャラクターは誰でしたか?

 これもよくきかれる質問ですが、特にありません。キャラクタに惹かれることなんてないです。面白くない返答ですみません。嘘でも何か書いた方が良かったかな(大御坊に惹かれるとかね)。作者(少なくとも森)は、非常に客観的に作品を見ていますので、そのようなのめり込みはありえません。

――7、シリーズの中で、萌絵の犀川に対する態度がどんどん変化していきましたが、二人の関係について、あの展開以外の可能性は考えませんでしたか?

 それは無限の可能性があったうちから、一応最適と思ったものを選択したのでしょうね。他の可能性を考えない作家なんていません。でも、別の言い方をすれば、自然にああなってしまった、といった方が当たっているかもしれません。

 つまり、どうすることもできませんでしたね(笑)、といっても正解なのです。登場人物も常連キャラになると、確固とした存在感や個性が出てきます。文字どおり生きている状態になりますので、ベテランの役者のように、もう監督の言うことをききません。作者(監督)は、彼らがなるべく格好良く見えるように、シーンやカメラの構図を考えて、こっそり盗み撮るだけです。というような状況になるんですよね、不思議と・・。どこが客観的なんでしょう? さっき話したことと、矛盾していますね(笑)。はっきり言いますが、森は非常に矛盾した人間です。

――8、真賀田研究所やナノクラフトは、先生の理想とする職場なのでしょうか?(働く環境として)

 そうですね。理想に近いです。あと、島に模型飛行機を飛ばす広い場所があるとパーフェクトでしょう。ただ、たまには、奥さんや恋人や愛人や(えっと、他にないかな・・)に会いたいかな、と思うこともあるかもしれません。そのときは、別に会えば良いわけですからね。なんの問題もないのでは?

――9、「有限と微小のパン」の『なぞなぞ』(彼と彼女は正反対、〜)は、1作目を書いているときには、すでに思いついていたのでしょうか?

 いいえ。あれは、作品の「装飾」として使ったもので、その場で考えました。こんなこと答えると、また非難されそうですね(笑)。まあ、良いでしょう。つまり、単なるパーツの一つです。登場人物の台詞を一つ考えるのと同じ程度のエネルギィしか消費していません。

 ただ、「西之園萌絵」の名前を決めたときに、既に、使えるな、とは思いましたよ(それくらいの頭は回ります)。しかし、これも大したことではありません。そもそも、ミステリィのトリックなんて大したものではない。「微小」です。微小だからこそ、面白いのでしょう。鉄道マニアが、記念切符を集めるのと同じですね。鉄道の中で、切符はとても微小な存在でしょう? ミステリィの中のトリックも同じです。

――10、シリーズ中一番厚い本となった「有限と微小のパン」ですが、長くなった理由は?

 読者の時間をコントロールしようという意志でしょうか。おそらくね。しかし、実は無意識です。気づいたら長かっただけです。校正が大変でまったく困りました。もう長いのは御免です(仕事じゃなかったのか)。

 自分は短い作品が好きです。特に短編が大好きです。ですから、以後のシリーズでは意図的に短くするつもりです。もっとも、長くても短くても、作品の価値に大差はないでしょう。長いだけで「大作」とか「力作」と呼ばれるのだけは抵抗がありますけど・・。

――11、短編(『ポンツーン』や『メフィスト』での)で、犀川や萌絵たちを登場させていますが、今後もそういった形(短編など)で登場させることはあるのでしょうか? もし具体的な予定がありましたら、それも教えてください。

 短編では書く意志があります。犀川&萌絵シリーズの短編は既に、5作発表されています。今後も、ネタを思いつけば書くでしょう。具体的な予定として、近々、また「PONTOON」に1作書く予定です。しかし、まだ書いてない作品のことはお約束できません。
※その後のS&Mシリーズの短編は講談社ノベルスの短編集にすべて収録されています。 

――12、長編での「犀川助教授と萌絵シリーズ」はもう考えていませんか?

 この種のご質問をよく受けます。答は、「もう書きました」です。

 同じテーマでもう長編は書きません。では、違うテーマなら書けるのか、というと、そんなテーマはたぶんないでしょう。もし書いたら、少なくとも、これまでのリアリティが失われます。

 ですから、このシリーズの長編をまた書くときには、今までのテーマを超えるものが必要であり、その場合、同じキャラでは荷が重いでしょう。しかし・・、わかりませんけどね、何かが吹っ切れれば書くかもしれません(笑)。とにかく期待しないで下さい。

――13、かっこいい! と評判だった講談社ノベルスの表紙でしたが、途中で注文(文字の色などに)されたりはしなかったのですか? また、どの作品の表紙が一番気に入っていますか?

 一つでも気に入らないものがあれば、口を出したかもしれませんが、幸いそういうことはありませんでした。編集部とデザイナをまったく信頼していました。一切関わっていません。つまり、読者同様、本が発行されるまで、一度も見ませんでした。

 どの表紙にも満足していますが、一番好きなのは、「笑わない数学者」、二番目は「まどろみ消去」でしょうか。

――14、「すべてがFになる」でデビューされてから約2年半。作家として一番変わったなあ、と思うことは?(どんなことでも結構です)

 「作家として」というのは不適当で、森はまだ「作家」ではありません。最近、尊敬する萩尾望都先生とお会いできたことが非常に嬉しかったです。もう、小説書くのをやめても良いと思いました。

 そうですね、変化というと、ゲラを読む速度が多少は速くなったことくらいですか・・。ああ、煙草を97年の9月にやめました。でも、これは以前から予定していたことで、「作家として」ではないです。小説を書くのに煙草はとても有益で、最近、効率が下がってしまいました。世の中、うまくいかないものです。

――15、いつも怒っていて頭の回転が早くて感情を隠さず思考を支配してしまうという、犀川の別人格は、今でも先生ご自身の中にあると感じますか?

 もともと、自分の中にあるものがモデルです。

――16、今後のご予定について。次の講談社ノベルスでのシリーズはどんな登 場人物のどんなお話なんでしょうか? おさしつかえのない範囲でぜひ教えてください。

 コードネーム「Vシリーズ」は、5月に「黒猫の三角」、そして、9月に「人形式モナリザ」と続きます。この2作は既に完成しています。3作目「月は幽咽のデバイス」を現在執筆中です。今回は、ミステリィ版「めぞん一刻」と噂されています(噂を流したのは森です)。しかし、これはたぶん間違った表現でしょう(笑)。作品としては、シャープなものを目指して書いていますが、これも他人がどう受けとめるか不明です。

 1月発行の短編集「地球儀のスライス」に、新シリーズのメインキャラが既に登場している、という噂もありますが、真偽のほどは、いかがでしょう(どきどき)。

 これ以上、先入観はないほうが良いと思います(笑)。

――17、来年の刊行予定を教えてください。

 1999年から講談社ノベルスの新刊は3カ月おきではなく、4カ月おきになります。新刊が出るのは、1、5、9月で、それぞれ、短編集の「地球儀のスライス」、新シリーズの「黒猫の三角」、「人形式モナリザ」が発行になります。

 また、ノベルスで既刊の作品が文庫になります。こちらも4カ月おきで、3、7、11月の発行です。1999年は、「冷たい密室と博士たち」、「笑わない数学者」、「詩的私的ジャック」が文庫になります。文庫化に当たって、文章の手直しをかなりしていますが、内容は変わりません。森がイラストを描いたオリジナル栞が付きますけど・・(笑)。

 ということで、講談社からは、2カ月おきの奇数月に、合計6冊の本が出ます。

 この他に、3月にメディア・ファクトリィから「森博嗣のミステリィ工作室」という本が出ます。これは小説以外の初めての本です。「森が選んだミステリィ100冊」とか、書下ろしも含めて多数のエッセイ、それに、これまに出版された自作についての「あとがき」、など盛沢山の内容です。そうそう、昔に描いた漫画も載ります。

 6月には新潮社から「そして二人だけになった」という作品が出ます。これはミステリィで、シリーズものではありません。ごめんなさい、ハードカバーです。

 今のところ、予定は以上の8冊で、すべて原稿は脱稿済みです。再来年の2000年も、ほぼ同じスケジュールで進みます。2001年まで、だいたいの予定を既に組んでいます。

――18、今後も今までと同じくらいのペースで小説を書いていかれるのですか?

 講談社ノベルスのシリーズものは1年に3冊にして、1冊減らしてもらいました。その分、余裕があれば、単発ものが1作ずつ発表できると思います。ペースは・・、どうでしょう? いつまで続くでしょうね・・。まだ、経験が浅いのでわかりません。いずれにしても、今よりもペースが上がることは、大学を辞めないかぎりありえないでしょう。大学を辞めたら、3倍くらい書けるかも(嘘です)。

――19、シリーズ10作をすべて読んできた読者の皆さんにひとことお願いします。

 消費した時間とお金の分だけの価値があったとしたら、幸いです。もう書いてしまったものなので、今から森にできることは何もありません。「全部読みました」という一言が一番嬉しいです。これ以上の賞賛はありません。

 しかし、予想外に沢山の方に読んでいただけたので、非常にびっくりしています。出版社には申し訳ありませんが、図書館で借りたり、友達で回し読みしたり、本屋さんで立ち読みしたりして下さっても、全然かまいません。森は自作に関して、「買って下さい」とは決して言いませんので(笑)。

――20、これからシリーズを読もう、という「かつくら」読者の皆さんにひとことお願いします。

 そうですね・・。相変わらず単なる「森博嗣風ミステリィ」です。大したものではありませんので、くれぐれも期待しないように・・。

※1998/12/05、メールによるインタヴュー。この記事は1999年1月、「活字倶楽部に掲載」 

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