「クリスマスのニケ」
シークレット・シグナル解説
- まあ、なにはともあれ、こんなとんでもない「絵コンテ集」を
読んでくださって、本当にありがとうございます!
心より感謝 申し上げます。
・・・・・さて。
お分かりになりましたでしょうか、シグナル?(笑)
くりかえし、くりかえし出てくるのは
パリの「ルーブル美術館」にある古代ギリシャ彫刻
「サモトラケのニケ」です。
わたしは中学2年のとき、岩波新書の
「古代ギリシャ美術」という本で、「ニケ」と「出会って」しまいました。
彫刻撮影用に、背景は真っ黒。
そこにニケが、白い翼をひろげていました。
「あなたは舞い降りたところなの? それとも飛び立とうとしているの?」
ページを展げるたびに、私は「ニケ」に問いかけました。
小さな小さな新書版
ザラ紙にモノクロの写真でしたけれど。
このコンテを描くにあたって、彼女(「ニケ」)の
ありとあらゆるアングルが必要になって、
私は修道院付属学校(!)時代の親友に連絡をとりました。
彼女は今 某・美大の教員です。
「『ニケ』なら、ルーブルのサイトに居るわよ。
バーチャル・ツアーで観られるから。
あなたなら、フランス語専攻だったから(ビックリ事実!)
行けばなんとかなるでしょ。」
当時ルーブルのサイトは、まだフランス語と英語しかありませんでした。
フランス語→英語→フランス語→英語→・・・・
と、とに〜か〜く〜なんとか、彼女の居る
「ドゥノン翼・2F」には辿りついた・・・のですが。
ウチのパソコン野郎めは、
そこから先、アングル変化させる機能が
な、な、ないっ!!
わたくし再び彼女に電話。
「ダメだぁ、観られないよ〜〜〜ぉぉ(泣)」
「しょっがないわねぇっ!」
「どーしても観たいの。
必要なのよ!」
「・・・・・わかった」
と、友人
「ウチの美大、学生用に石膏デッサンのアトリエがあるから。
そこにあるわよ。 実物大のレプリカ。
ふだんは学部外者は立ち入りできないけど
夏か春の長期休暇に
わたしがこっそり、あなたのこと学内に入れてあげる。
描くなり写真撮るなり、したらいいわ」
「ありがとう」
そうまでして、わたしは描きたかったのです、「クリスマスのニケ」を。
私は聴覚に進行性の遺伝障害を持っています。
そのことが分った瞬間
あれほどまでに恋こがれていた「サモトラケのニケ」は
わたしにとって
- 『恐ろしいもの』になりました。
自分の中から
やがてもぎ取られてゆく「何か」
『音』
今現在、わたしが聴くことができるのは、普通の同世代の約七割。
やっかいなことに、遠くの遠くの金属音や
音律の異なる外国人の会話が聞こえてしまったり、
目の前に座っている人の声がまったく聞こえなかったりします。
進行性の病気なので、
やがては補聴器でしょう。
人間関係で摩擦が生じ、長く続けていた仕事も失ったりしました。
最初のページであやめとマリアが「ニケ」に対して思ったこと
それはそのまま、わたしの心そのものでした
このコンテを描き終えるまでの。
-
さて、
- 本題に戻りましょう。
この作品の中で、あやめとマリアは
「強い自殺衝動を背負ってしまった・バイセクシャル(両性愛)女性」として
設定されています。
あやめは左手首に刃傷
泳げないマリアは、バスタブの中に沈んでゆきます。
あのシーンは、ふたりがお互いの
「自殺衝動」を告白し、確認し合う場面です。
あやめは最初、神学生・山城の前で
ほとんど自分の手を見せません。
やっと彼の腕に触れる、
その左手首に
刃傷。
一方マリアは
ふだんなら両手にはめている
あの「赤い革手袋」を
ケガというアクシデントで外すハメになります。
マリアの「『素』手」を描く必要があったのです、どうしても!
- シークレットシグナル、それは
「手」
です
この作品は、お互いの「指」「手」「腕」の描写で
そのときそのときの人間関係の
距離と温度がすべて
読み解けるように構成されています。
荒っぽい絵コンテの走り書きなのに
手だけはしっかり描き込んであるのは
そのためです
ナンバリング20枚目、マリアはあやめを拒んで
彼女の手首を掴みます。
カメラはローアングル。
あやめは、自分を拒絶するアリアの顔ではなく
自分の手首を掴んでいるマリアの「手」を見ています。
ナンバリング22枚目、あやめはマリアに手を差しのべます。
まず手のアップ、
それからあやめの表情、と
本来なら1コマで済ませるところを、
わざとカット割りしています。
マリアは一瞬考えて
ついに
あやめの手を取ります。
ナンバリング18枚目、Dr.ジグーはマリアの額に手を置きます。
キリスト教世界・ヨーロッパの基本的所作、「祝福」です。
「もう、会うことはかなわないだろう。
だが、どこかの空の下で
生きていておくれ
マリア 」
一度も会うことなく
孫娘を「タイタニック」で失った
アル中でモグリ医者・Dr.ジグーの「祈り」です。
マリアは
握手ではなく
「・・・迷惑は かけたくない 」
と言って
Dr.ジグーの腕にそっと触れます。
それがふたりの関係なのです。
ナンバリング23枚目、オカマのサモトラさんも
「手」から登場!
フリフリ・ブラウスにマニキュア、たっぷりアクセサリーの、
でもごっつい「男の手」。
サモトラさんちの飼い猫「フランソワーズちゃん」は
ブチ(二毛)ネコ。
「サモトラ家の二毛(ニケ)!」です!(笑)
サモトラさんとフランソワーズちゃんは相思相愛。
だもんですから、
サモトラさんが絹、いやさゾーキン裂くような悲鳴をあげるとき
フランソワーズちゃんも一緒に「ニャーッ」と
鳴くのです(笑)。
- さてさて、ホテルでのシーンに参りましょうか。
ボーイさんに「倍返し」でチップを渡す
あやめの指と手首の返しの所作。
彼女はスゥイートの泊まり客、
将校・上流階級の女性です。
ですから、カフェでも
貧乏なマリアは
チップのいらないカウンターに立ち、
あやめはごく自然に
チップを払うテーブル席に着きます。
しかし、この後あやめはとてもお行儀の悪いことをします。
ボーイさんたち差し入れのキャビアとウォッカ
その「スピリッツ・グラス」を
片掌に二盃、指に挟んで持つのです。
本来なら、ワゴンに置いたまま注ぐはずのウォッカを。
しかも、バスルームでの告白を
「乾杯しましょう!
とりあえず また 生き残って しまった ことに!」
と、あっさりと
笑顔で括(くく)ってしまいます。
(ここいらへん、My あやめって、けっこう大物・・・・かも〜・笑)
そこでふたりは、初めて名乗りをあげます。
フルネームではありません。
「マリア」と「あやめ」
ただそれだけ
本当なら、マリアは「クワッサリー」でよいのです。
あるいは My 設定
「マリア・セルゲイヴナ・ルヴィンスカヤ」でも。
お分かりいただけますでしょうか?
ふたりは
一夜をともに過ごす
ベッドネームを交わしあうのです。
アメリカやラテン系の国にありますよね、仲の良い(ちょっとアニキ系)
男の人同士で、腕を組んで、ビールやワインの盃を
飲み干す・乾杯の仕草。
だからあやめは
お行儀の悪い「二盃掌に持って同時注ぎ」を
やらかすわけです。
「私は貴女が好きよ」と。
「ジュワイユ・ノエル、マリア!」
「・・・ジュワイユ・ノエル、アヤメ」
クリスマス発祥の地・イスラエルや、アラブでは
一日は「日没から」始まります。
だから「クリスマス・イヴ」があるのです。
クリスマスは12月24日の日没から
12月25日の日没までです。
(ちなみにハロウィン・「万霊節」も
翌朝「万聖節」のイヴです)
ふたりは名前を名乗り、乾杯をして
1918年の
クリスマスを迎えます。
また、ちょっと余談
私はセックス・シーンを描きません。
描こうと思えばやって出来ないこともないのですが・・・
(山崎あやめさんのサイトの「秘宝館・4・某」のように、ね・笑)
「サクラ」という世界を知り始めたその矢先
アニメイトでか〜な〜り〜イタイ本を掴まされちゃいましてね〜
(あそこはみんな「ビニ本」ですから〜・笑)
全員強姦ネタ、精神的救いもなーんにもない「オカズ本」
それで腹立てちゃったワケです。
「性器は描かーん! カメラをロングに引いた露骨な体位も描かーん!
そんでもってセックス・シーン描いちゃるうぅぅ〜〜〜〜っっっ!!!」
ってのが、「アレ」です。
山崎さん、アップしてくださってありがとうございました。
余談終り
ふたりがヘテロセクシャルで、
ただ行きずりの男に身を任せるのはイヤ、という
正真正銘「相互自慰」なら
(あ、あ、あ、あけすけな・・・・汗)
別に名乗らなくてもよいのです。
それならば
マリアは昇りつめるとき
「ユーリ・・・・」
とつぶやくかもしれない。
あやめはマリアの指が自分の中に入ってきたとき
「 これは指じゃない、
真之介さんの性器だ 」
と思うかもしれない。
わたしが描きたいのは
そんな「お手軽な代償行為」を求める
弱い女性じゃありません。
わたしが描きたいのは
精神的に自立した女性同士の持つ
「相保性」(コンプリメンタリー)です。
ずっと、つたないながらも、それを描いてきたつもりです。
マリアのメモ
「 Je vous remercie de votre tendresse Maria 」
この
「 tendresse 」という一言を探し出すのに
丸一日かかりました。
「恋愛」でもない、「情熱」でも「いたわり」でもない
「暖かい・愛・優しさ 」
「 tendresse −テンドレス」です。
ナンバリング51枚目、サン・ラザール駅構内で
マリアはふとふりむいてから
「ちょっと」笑います。
「アヤメが来るわけないわよね・・・・」
ではない。
もう二度と訪れることのないパリの雑踏、
その中に
「アヤメ」の姿を思わず目で探してしまう
そんな「昨日までと違う自分」に気が付いて、笑うのです。
あやめはカフェのテーブルで、かえでにハガキを書いています。
ふとペンを止めて
「ちょっと」笑います。
自殺未遂を責めるかえでに「ごめんなさい」とは言えても
その先の言葉がなかった、昨日までの自分。
「 私は 元気になりました
もう 大丈夫です 」
心に傷を抱えたままで
ヨーロッパ各地を「出張」し続けていた彼女は
マリアとの出会いによって
ついにそこへ
たどりつきます。
あやめの「旅」は終ったのです。
だから笑うのです。
ふたりは「パリ」にとっては
「パサジェルカ・女旅人」でしかありません。
でも、偶然に出会い
共に行動し
互いの「心」と「心」が横切り会った
名字も知らない
おそらくはもう出会うこともない
(出会っちゃいますが・笑)
「ニケ」は、「パリ」は、ふたりにとって
特別なものとなりました。
「アヤメと」「マリアと」
「出会えてよかった」
だから最後に
ニッコリ
笑う
拙作・「クリスマスのニケ」はここで終ります。
読んでくださってありがとう
また お会いしましょう
抜刀質店・拝
-
追
と、いうわけで
「サモトラケのニケ」はふたたび
わたしの恋人になりました
人はみんな心の中に
「ニケ」を
「勝利の女神」を
羽ばたかせています。
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しかし・・・自分で自分の解説やらかすなんて・・・顔から ファイヤーッ! ああ、くたびれた・・・・