第28回 勉強会

Schubert 作曲 Winterreise 『冬の旅』の解釈と演奏 (1)

Autograph (自筆楽譜), Abschrift [Stichvorlage](清書楽譜),Erstdruck(初版楽譜), AGA (旧全集), NGA (新全集)

などを比較しての表現に関する考察

 

川 村 英 司

 

 昨今はSchubert時代の記譜法、装飾音符などの奏法について、かなり普遍的、一般的、標準的な正しい考え方が浸透してきていると思います。100年以上も前からFriedländer博士がそれらの演奏法についての見解を発表し、欧米ではかなり統一されて演奏されていますが、日本では非常に無茶な解釈が横行した時代がありますし、現在でも時々「えっ!」と思える演奏をする歌手、教える人が音大の教授にもいます。勿論大学の試験でも間違った奏法をしている学生に驚かされました。

昭和30年代に出版された楽譜と現在出版されている同一出版社の楽譜を比較しても、誰が、何時、どの見解で直したのか分かりませんが、有難い事に正常に戻っている楽譜もありますが、Peters版のミスプリントまで直している出版社は全くまれでしかありません。(皆無と言って良いのです。)勿論それらの責任は編集者、監修者にありますが、全く責任はとっていません。不思議な現象です。おまけに解説に間違ったことを平気で書いています。

 卑近な例ではRicordi社出版のParisotti監修のイタリア古典歌曲集をそのまま印刷して編集 ΟΟΟΟとか編集 △△△△と言って堂々名前を出していることに驚きを感じるのは私だけでしょうか?

 「我々音楽に携わる物は、先ず正しい楽譜を選ぶことからはじめなければなりません。」と言うのが私の持論です。演奏する立場でも、教える立場でも全く同じ事です。教える立場の人は歌手よりもっと重要とも言えるでしょう。私の経験で言うならば、間違って教えられた装飾音符の奏法を正しく戻すのに苦労したことがあります。良く勉強した物ほど身についてしまうので、うっかりすると無意識に間違った方の奏法になり、心ある聴衆からは非常識な!と思われることを不本意ながらしてしまったことがあります。

勿論装飾音の扱いに「一だけ絶対」があるのではなく、良く言われるように「10人の音楽学者が奏法について議論をすると、奏法は10通りでは無く15通り20通り以上になる」と言うくらいですので、ケースバイケースで考えなければなりません。出来るだけ色々な楽譜を収集する必要があるのは、以上の理由からです。卑近な例をあげると、新Mozart全集出版以降Mozartの装飾音符の扱いはかなり変わり、現在はかなり大勢の演奏家、教師に受け入れられています。また新Schubert全集では、Friedländer以降の扱いとは違う見解も示されており、納得の出来ない物もありますが、時代が、より多くの資料が解決してくれるのではとも思います。

いずれにしろ、それらを勘案して自分で正しいと信じられる楽譜を探すことが大切と思います。それゆえに私は見つけ次第、声楽曲に限らず、作曲家の筆跡、記譜法を知るためにFaksimileを買うのです。前書きが長くなりましたが、色々な楽譜の比較研究から生じた私の見解を述べさせてもらいます。

私が集めた『冬の旅』の楽譜は時代順に言うと、

1) 自筆楽譜 [A]

2) 清書楽譜 [Ab]

3) 初版 [E] (初版が何種類か有る場合には[E1],[E2]とする。)

4) 再版 [Z]

5) リトルフ版 [L]

6) 旧ペーター版 [AP](Friedländer監修以前のPeters Edition)

7) 現在のペーター版 [P] (Friedländer監修のPeters Edition)

8) 旧全集 [AGA]

9) 新全集 [NGA]

10)ぺーター(Fischer=Dieskau版) [PF]

などが外国版としてあります。[  ] 内は略号

勿論Bärenreiter/Henle版もありますが、これは新全集と一緒ですので数には入れませんでした。

 

では実際にそれらの問題点を液晶プロジェクターを通して検証してみます。{ }はフィルムの順番です。

 

第1曲 Gute Nacht  32小節の歌唱部が自筆楽譜 [A]ではメロディーが1オクターヴ(譜例1){01}下に下げても良いように書き加えていますが、[Ab]以降の楽譜には記されてはいません。また自筆楽譜 [A]清書楽譜 [Ab]では後奏の記譜法が譜例2 [A]{02}譜例3 [Ab] {03}のようになっていますが、初版[E] 譜例4{04}で現在のようになりました。後奏でどのメロディーを強調しようかと考える人には [A]と [Ab]を見ることでヒントを得られるでしょう。

 

新全集[NGA]のデクレッシェンド記号と他の版を調べてみると殆どと言って良いほどNAGはアクセントに変わっています。Walter Dürr博士は古い楽器(ピアノ)の構造上からくる音の問題点などでアクセントと言う説をお持ちのようですが、私には納得できません。他にも納得のゆかぬ問題点はありますが、随時述べることと致します。NGAで一番気になることはアクセントと有節歌曲に作曲された歌曲のページを引き伸ばして2倍3倍にして印刷し、表情記号を同じ場所に何度もつけていることです。我々は原則として有節歌曲の表現は1番では忠実に作曲家が指示したDynamik、その他に従い、2番以降は詩の内容にしたがって表現し、例えばpをfで演奏するなど作曲家が指示した表情記号には従わなくとも良いと言われて教わりました。従って引き伸ばし楽譜の2番3番に同じ表情記号をつけるのは誤解を招くことになり、また作曲家が通作形式のように記譜したのかと我々を迷わせる原因にもなります。この歌曲集「冬の旅」では問題はありませんが、「美しき水車小屋の娘」などでは考えなければなりません。勿論 ,,Heidenröslein", ,,König in Thule"などの曲も同様です。

 

第2曲 Die Wetterfahne  先ずスラーの問題があります。これはSchubertに限ったことではありませんが、いわゆるメリスマスラーと表現のためのスラーの問題です。これらが混同しやすい状態にしてはいけないと思うのです。第2曲の第1頁 譜例5 [A]{05}譜例6 [Ab]{06}譜例7 [E]{07}を較べて下さい。作曲家の付けた表現のためのスラーと出版社が付けたメリスマスラーを出版楽譜だけでは比較できないことが多過ぎます。しかも我々はメリスマスラーだからと言ってスラーと区別して演奏できるでしょうか?残念ながらそれらはごっちゃになってしまい、ともするとスラーの2番目の音が必要以上に弱くなってメロディーが流れなくなってしまいます。この良い例としてあげるならば、例えば ,,Auf dem Wasser zu singen"譜例8-1{08}[E2](表紙)、譜例8-2 [E2]{09}の前奏右手のスラーは表現のために付けた物ですが、歌唱部には 譜例9 [E1]{10}のように本来付いていません。 (この曲は最初に公表された雑誌付録(Musikbeilage),,Wiener Zeitschrift für Kunst, Literatur, Theater und Mode" の156 / 1823として1823年12月30日に世の中に出たのが本当の初版ですが、Diabelli社から出版社番号2487番として1827年3月2日に出版されたOp.72も初版とされています。1823年の156番目と言うことはこの雑誌の付録は毎週3回出ていたことになります。Beethovenなどの他Lannerとか、また我々の知らない作曲家の曲も発表されています。)

一度話したことがあると思いますが、Steinbrueck先生がSchubertの歌曲を私が歌った時に、「このスラーは間違いだ!なぜSchubertはここにスラーを付けたのだろう?」とメリスマスラーを指して言われました。その曲は私が自筆楽譜を見て記憶していましたので、「Schubertは付けていません。出版社が付けたのです。」と返事しました。先生は安堵されて「それが正しい!」と言われ一件落着でした。

残念ながら同じ出版社でもメリスマスラーを付けたり付けなかったり、曲によってまちまちですので、(例えばPeters Editionの1巻と7巻を比較してください。3巻でも結構ですが。メリスマスラーが付けられた曲と付けられていない曲が混同されて印刷されています。)我々は色々な楽譜を集めることでそれらの判断をしなければなりません。勿論一番信用できる楽譜は「全集」と言えますが、これも絶対とは言いきれません。監修者の見解の違いやミスプリントも皆無とは言いきれないようです。

話を元に戻しますが、[Ab] 譜例10{11}では歌唱部のメロディー(15、16小節)を修正しています。また[A] 譜例11{12}と比較して筆跡鑑定をされては如何でしょうか?この部分はSchubertが校正したと思えます。

 

第3曲 Gefrorne Tränen 第1頁4小節[A] 譜例12{13}にないdecresc. が、[Ab] 譜例13{14}では加えられています。Schubertを演奏する場合に decresc. とdim. を区別して表現しますが、ここでdecresc. をする方が良いのかどうか問題です。decresc.をすると冬に失恋して旅に出る健康な若い男性が歌っていると言うイメージが欠けるような気もします。スタッカートも[A], [Ab]で色々ですが、ここでも歌う人の個性を生かすと良いでしょう。念の為にSchubertの場合decresc. は段々弱くしていくと言う意味だけであり、dim. は段々弱くすることとrit. を加えた物として捉えられています。Schubertの楽譜を見ると良くあることですが、decresc. の直ぐ後にdim. が書き込まれていることが多々ありますので、そのような解釈をされるのです。

 

第4曲 Erstarrung 譜例14-1 [A]{15} のように伴奏右手のフレーズィングは無い方が私は良いように思います。譜例14 -2 [Ab]{16} のような1小節1小節のスラーはあまり意味が無い様に思いますし、無い方が手や心のかじかみの表現を伴奏が出来る様に感じます。

 

第5曲 Der Lindenbaum  この曲でもアクセントかデクレッシェンドかと言う問題が大きいと思います。7小節の[A] 譜例15{17}, [Ab] 譜例16{18}, [AGA] 譜例17{19}とデクレッシェンドと、[NGA] 譜例18{20}のようなアクセントとの違いがNGAの最も大きな問題点なのかと思います。

 

第6曲 Wasserflut  この曲ではバロック時代以降受け継がれている3連音符の記譜法の問題が一番の問題点になります。(基本的に3連音符で動いている曲に付点8分音符と16分音符があった場合に3連音符の2と1として扱うと言うことです。)

多くの先生、演奏家と30数年前に話しましたが、テンポの早い物は勿論の事、このように付点8分音符と16分音符で書かれている物はバロック以降の奏法で3連音符として演奏するが、ゆっくりの物ではずらした方が良いのではないかと言う方が大勢でした。しかし現在ではテンポのゆっくりな曲でも3連音符として演奏することが多くなり、1972年発刊の[PF]で3連音符として演奏するようにと注が(参考資料1)つくようになりました。其れ以後はずらさずに3連音符にするのが常識と思います。私は1967年頃から3連音符で演奏しています。その根拠はSchubertが 3, 17小節で譜例19-1[A]{21,22}譜例19-2[Ab]{23,24}譜例19-3[E]{25,26,27}譜例19-4[AGA]{28,29}ずらさないように記譜しているのに、譜例20[NGA]{30}ではわざわざずらして、3連音符として演奏するように書いています。また第4曲の第24小節の3連音符と付点8分音符と16分音符が一緒になっている(参考資料2)ことによります。また皆さんにお配りした歌曲Am Bach im Frühlinge参考資料3 [AP](旧Peters Edition Friedlaender監修以前のPeters Edition)参考資料4 [L], 参考資料5 [P](Friedländer監修の現在使われているEdition Peters)を比較していただきたいのです。勿論旧全集[AGA][AP]と同様ですが、新全集[NGA]は未刊ですので、どのような見解で出版されるか興味があります。テンポの速い曲なのでずらして弾くと汚く響くようになります。Schubert以降の作曲家でも同様なバロック時代の記譜法に従ったと思われる作曲家は何人もいます。

 

第7曲 Auf dem Flusse  この歌曲集「冬の旅」で一番問題を含んでいる歌曲だと思います。先ず第5小節の歌のメロディーが[A]では 譜例21{31}のようになっていますが、[Ab] 譜例22-1{32}[E] 譜例22-2{33}、以降は現在のようになっています。[NGA]の第1稿では[A] と同じになっています。しかし現在出版されている楽譜が第2稿であると言う根拠が不勉強な私にはまだ良くわかりません。

次にアクセントの問題ですが、なぜNGA譜例23 [A]{34}譜例24 [Ab]{32,35}の第13、22小節のクレッシェンド・デクレッシェンドを譜例25-1 [NGA-2](第2稿){36}譜例25-2 [NGA-1](第1稿){37}では同様にクレッシェンド・デクレッシェンドと書き、第28,36小節においてはアクセントにしたのでしょう?[A] 譜例26{34,38}, [Ab] 譜例27{35,39}, [AGA] 譜例28{40}, [NGA] 譜例29{41}を比較して理由を考えてください。

37小節伴奏右手の和声の進行は、[A] 譜例30{42}, [AGA] 譜例31{43}が正しいと私は思います。[Ab] 譜例32{44}, [E] 譜例33{45}ではそれぞれにナチュラルを付けるのを忘れてその後にシャープをつけています。AGAを監修したMandyczewski博士は私と同じ見解かと思います。[Ab][E]は思い違いか、見落としと私は思いますし、[NGA-2] 譜例34{46}, [AP] 譜例35{47,48}, [P] 譜例36{49}, [PF] 譜例37{50,51}などとは違う見解を持っています。音をお聴き下さい。和音が違いますので歌い方、音程のとり方が違いますし、従って表現も勿論変わります。[NGA-1][A]と同じです。

伴奏の40小節から44小節の左手メロディー 譜例38 [A]{52}を聴いて良く頭に入れてください。同じようなメロディーを持つ54小節から57小節、62小節から65小節は[A] 譜例39{53}と他の楽譜[NGA] 譜例40{54}などのメロディーの違いをどのように感じますか? [Ab] 譜例41{55,56}では明確に刃物で削り取って直しています。明りで透かして見たり、倍率の高いルーペで良く調べましたので明瞭です。

 

次に47小節の伴奏を見比べてください。譜例42{57} [A], [NGA-1], [Ab] [E] を示しています。どの音が一番正しいと思えるのか、聞き分けてください。[A] の通り、すなわち[NGA-1]で弾くとこのように響きますが、左手のダブルシャープをFisに替えるとこの響きになります。しかし[Ab] ではいろいろ思考錯誤した跡が残っております。消したり、加えたり、コピーの楽譜でもその痕跡は見ることが出来ます。実際に現物を見た時には気にならなかった清書楽譜もコピーを眺めているうちに少しずつ気になりましたので、倍率の高いルーペを買って現物の繊維の切れ具合、紙の薄さなどを光にかざしてみてナイフを使って削りとって直した部分の多いことが分かりました。おそらくSchubertならば面倒なナイフで削ることに時間をかけなかったでしょうし、音の違いも彼自身ならば色々考えることも無く校正をしたであろうと想像できますので、これらの校正は彼自身ではなかったのではないでしょうか?[Ab], [E]では現在普通に弾かれる状態に記譜されていますが、dにシャープを付け忘れています。

 

また62小節から66小節の伴奏左手は[A] 譜例43{58}では複付点8分音符になっています。従って次が32分音符です。最初に出てくる音形を繰り返す場面で表現を強調するためにSchubertが複付点8分音符と32分音符の形にしたのだろうと私は考えます。従って歌のメロディー 63小節も [A] 譜例43{58}[Ab] 譜例44{59}譜例45 [NGA-1]{60} は他の楽譜 譜例46 [E]{61}譜例47 [NGA-2]{62}譜例48 [AGA]{63}、と違い8分音符になっていますが、[Ab]で歌と伴奏の譜割が違うのはFerdinandが直し忘れたのではないでしょうか?Franzならば当然気がつく事と思います。(色々歌いますので音を聴いてください。勿論違いによって表現も強くなります。どれが気に入ったでしょうか?)

 

[Ab] 譜例49{64}では複付点の1個と32分音符の旗をやはり手間のかかる刃物で削っていますが、ページが変わったところ 譜例50 [Ab]{65}では残念ながら消し忘れたようで複付点8分音符と32分音符のままです。

複付点8分音符と32分音符 [A] による表現と付点8分音符と16分音符 [Ab] の両者で演奏しますので比較してお聴き下さい。どのような違いとして聴かれましたか?

 

Schubertは自分が作曲した曲も覚えていず、ある所で聴いた曲が非常に気に入り友人に「良い曲だね!誰が作曲したの?」と訊ねた逸話が残っている程、作曲に没頭し、校正は兄のFerdinandに任せていたと言う説はかなり信憑性があると私は考えます。何箇所もナイフで削り取ると言う作業はSchubertにとって時間の無駄ではないでしょうか?そんなことはしないと思いますし、第2曲の直し(譜例10){11}が証明しているような気がします。その直しでも別の五線紙に書いて貼り付けても良いのですが、それも時間の浪費になるのではないでしょうか?鋏も糊もあった時代ですが。

 

第8曲 Rückblick この曲もデクレッシェンド記号であるべきところがアクセントになっています。現存する有鍵楽器ピアノの類でも(ハンマーフリューゲルでもフォルテピアノでも)クレッシェンド・デクレッシェンド記号の方が寒風吹きすさぶ感じ、雰囲気が明瞭になります。[A] 譜例51{66}は初めpから始まりクレッシェンドfpデクレッシェンドします。3,4小節も同様ですが、[NGA]譜例52{67}では明確にfpアクセントにしていますが、[Ab] 譜例53{68}ではsfデクレッシェンドで、[E] 譜例54{69}ではsfpデクレッシェンドです。「Schubertの場合の fp はフォルテからピアノまで順次弱くしていくと言う意味で、subito p ではありません。」と言われています。念の為に申し添えます。

 

今回はここまでで、質問に答えたいと思います。疑問の点、見解の違いについてどうぞ遠慮無く質問してください。つづきをご希望でしたら、いずれ話す事に致します。