2008年1月6日(日)
東京文化会館
音楽: グレン・ビュアー(著作権者であるグレン・ビュアーおよびカウンターポイント・ミュージカル・サービスの許諾による)
振付: デヴィット・ビントリー
装置・衣裳: フィリップ・ブロウズ 照明: マーク・ジョナサン
指揮: バリー・ワーズワース 演奏: 東京シティ・フィリュハーモニー管弦楽団
ベル: 佐久間奈緒 野獣: イアン・マッケイ
ベルの父親(商人): デヴィッド・モース ベルの姉 フィエール: ヴィクトリア・マール ベルの姉: ヴァニテ: シルヴィア・ヒメネス ムッシュー・コション: ドミンク・アントヌッチ
ワイルド・ガール: アンブラ・ヴァッロ 雌狐: 平田桃子 カラス: 山本康介
木こり: ジョナサン・ペイン 差し押さえ執行官: ジェームズ・グランディ 収税吏: ジョナサン・ペイン 祖母: マリオン・テイト
とーーーってもよかったです〜♪
期待に違わぬ,いえ,期待以上に魅力的な作品で,大いに満足。チケット代に文句を言う気がさらさら起きないという,私としては珍しい事態となりました。
特に,演出の意図を的確に見せつつ,雰囲気を効果的に醸しだす美術が見事。
衣裳は,多少首を傾げたくなるものもありましたがすてきなものもありましたし,装置はすばらしい。ツアーの多いカンパニーの「さほど大がかりではない」と「重厚・本格的」を両立させていて,「?」な仕掛けもあって,場面転換をスピーディーに行うのにも大きな力を発揮していました。
スモークを多用した照明もよかったな〜。(暗すぎて眠くなった方もありそうには思いますが)装置とともに,ミステリアスで背徳の匂いも少しある作品世界を作り上げるのに,大いに貢献しておりました。
音楽については私には語る資格はないのですが,ちょっと中国風? なエキゾチックな香りがあって,現実離れした異種結婚譚(←とは言い切れないでしょうが)にふさわしいような気がしました。
「バレエは総合芸術だ」という意味で,とても優れた作品だったと思います。
演出は「手練れ」という感じ?
物語の発端(背景説明?)はマイムを使って手際よく,各幕のラストは物語性ある主役のパ・ド・ドゥで2幕の最初は「お約束」の舞踏会。ソリストにはテクニック披露の見せ場を用意し,コール・ドも活躍させ,ベテランの演技力も活用。(私には面白くなかったけれど)笑いをとるのも忘れない。
ストーリーは,周知の「美女と野獣」でありながら,子ども向きのおとぎ話ではなく,大人の味わいになっていました。特に感心したのはラスト。「これってハッピーエンドなの?」というちょっとした違和感が残って,しかも「ちょっと」だから重苦しくなりすぎなくて。
振付は,完全にバレエでした。目新しい動きはありませんが,私のような保守的? なバレエ観客には,そのほうが好ましいですし,ベルの野獣の城への道行きなどは,既存の技を使いながら「なるほど。この手があったか」と感心させてくれました。
以下,順番に。
幕が開くと,そこは天井までぎっしりと本が詰まった薄暗い書庫の中。脚立に乗ったベルが書棚から本を抜き出し,「美女と野獣」の物語を読み始めるところから舞台が始まりました。 本の語る物語に引き込まれ,読み進めるうちに,ベルの周りには物語の登場人物が現れます。 森の中。赤い上着を着込み,手にした鞭を鋭く振り回す若者とその家来たちが現れます。着ぐるみの雌狐を追い回すうちに,木こりが現れ,雌狐をかばって人間の姿(ワイルド・ガール)に姿を変えて逃がします。怒った若者は矛先を木こりに変え,家来たちが襲いかかりますが,逆に,木こりの魔力によって次々と動物に姿を変えられてしまい,最後に残った若者も・・・。(以上がプロローグ) |
冒頭の書庫の場面のほの暗さが,とても印象的でした。
書庫だから暗いのは当然ですが,何というか・・・「読書に耽る」というのは,お料理やお裁縫と違って,決して健全なだけの楽しみではないですよね。そういうことを表わし,それによって,そういう楽しみを持つ主人公が「ただのいい子ちゃん」ではなく,「獣との恋」という奇怪な所為に踏み出すような「何か」を持った人柄なのを伝えていたと思います。
・・・というのはうがち過ぎかしらん?
家来たちが動物に変身させられるシーンには感心しきり。
一人目は舞台上で耳が動物になってしまい・・・「どうやったんだ?」と首を捻るうちに,二人目には突如尻尾がはえました。さらに,3人目は手が獣のようになり・・・。もちろん,ダンサーが踊りながらなにか操作していたのでしょうが,どういう仕掛けかさっぱりわからず。
木こりは,作品全体のキーパーソンだったのですが,「それにふさわしく」と言うべきか「木こりに見えない」というべきか,立派な衣裳でありました。雌狐や若者を変身させる都合上マントが不可欠なのでああなったのかもしれませんが,「木こり」ではなく「森を護る存在」だからあんな感じだったのかしらん?
なお,若者は,その場で野獣姿になったわけでなく,姿が見えなくなることにより,その運命を暗示してプロローグは終わりました。そのときは(なにしろ前の3人で期待が高まっていますから)肩透かしにあった気分でしたが,1幕2場で登場した姿(本格的着ぐるみというか)を見て「なるほどー」と納得しました。
1幕1場 舞台が明るくなり,ベルの家の広間となります。 商人(ベルの父親)が財産を失い,役人たちが差押えを行う中に姉たちへの求婚者である金持ちが現れ,窮地を救ってくれます。不本意ながらも受け入れるしかない父親のもとに,「実は財産は無事だった」という知らせが届き,力を得た彼は,娘たちに土産の希望を聞きます。姉二人はドレスや装飾品を頼みますが,ベルが望んだのは,一輪の薔薇。 |
・・・というシーンが,主としてマイムで語られました。マイムで話がわかったかというと,「ちょっと無理があるのでは?」と思いました。私はプログラムを読んでいたので概ねわかりましたが,読んでいたからこそ「持ち舟が遭難した」とか「それが発見された」というのは,これじゃ伝わらんよねえ,無理があるよねえ,という感じ。
でも,(具体的には忘れてしまいましたが)「マイムは雄弁だなぁ」と感心したところもけっこうありましたし,マイムをたくさん見られたこと自体はよかったです。英国バレエを見ているなー,という気持ちになれました。(この印象が正しいのかどうか自信はないですが)
姉たちは,いかにも「自己中心的&物質欲に終始」という感じでよかったです。演出の力なのかダンサーの功績なのかはわかりませんでしたが,大騒ぎして目立ちながら,それによって対照的な佇まいのベルの魅力が浮き出てきていたと思います。
ディープなバレエファンとしては,ここで思わずアシュトン版『シンデレラ』の姉たちを思い起こしたわけですが・・・あれはあれで魅力的ですが,シンデレラが霞んでしまうきらいがあるからなー,こっちのほうが舞台全体のバランスとしてはよいなー,と思いました。二人の個性の違いは感じられませんでしたが,こちらも,演出の問題なのかダンサーの責任なのかはわかりません。
父親役のモース(カンパニーの映像アーキヴィストという役職者でもあるそうです)は,巧みに,優しいがひっじょーに頼りなく無責任な感じを見せていました。
娘たちに「帰りに何を買ってこようか?」と尋ねるシーンで,このお父さんはベルのことを忘れていったん出発しかけるのですよね。で,後から思い出して戻ってくる・・・という流れ。ベルの頼み事を観客に印象づけるための演出なのでしょうが,「あれ? 一人足りない?」と後から気付くような迂闊な行動にふさわしい人物に見えて,うまいなー,と感心。
求婚者“ムッシュー・コション”については,うーむ,私はこういうのはあんまり好きではないのよね。お腹にいろいろ巻いたふとっちょさんなのはいいとして,豚の鼻の特殊メイクというのはなー。たぶん,これも,英国的風刺なのでありましょう。(TVにデフォルメされた女王や皇太子の人形が登場するのを,なんとなく思い出した)
ベル役の佐久間奈緒は,そもそもは翌日にキャスティングされていたダンサー。来日直前の足の怪我で降板したエリシャ・ウィリスの代役として,初日から登場しました。(そして,東京公演3日間を通して主役を踊ったそうです)
日本人バレリーナにありがちな「これぞ主役という押し出しが不足」と感じられましたが,それは同時に「自己主張が強すぎない楚々とした風情」なのですよね。日本のカンパニーで踊っていたら,もしかすると「踊れるがちょっと地味」な多数の中の一人として埋没していたかもしれませんが,海外で踊れば,それはたぶん,貴重な個性。主役を重ねた経験が頷ける,安定した主役ぶりでもありました。
この場までの彼女については,「ちょっとミステリアス」と感じました。「ちょっと魔性の女」と言い換えてもいいのかな? ↑で冒頭の書庫のシーンについて,ベルが「何か」を持った人柄なのを伝えていた・・・云々と書いたのですが,それは彼女の雰囲気から感じたことなのかもしれません。
白い清楚なドレスできれいな踊りを見せていて「おとなしやかなお嬢さん」なんですよ。間違いなく。でも,なんというか・・・悪く言えば「内心なに考えてるかわからん」的な,よく言えば「おとなしいだけのお嬢さんではない」みたいな,真ん中辺を採用すれば「浮世離れして夢想的」になるのかなぁ?
「一輪の薔薇の花を」という望みは,本来の「美女と野獣」の物語から言えば「健気な孝行娘だから」ということになるのでしょう。でも,佐久間奈緒のベルは「一番欲しいものを素直に伝えた」ように見えました。
話がいきなり飛躍して恐縮ですが・・・かりに私に二十歳くらいの娘がいたとして,ファッションやコスメやダイエットにしか興味がなかったら困り果てるだろうと思います。でも,そういう方面にまったく関心がなく本ばかり読んでいたら,それはそれで心配になるだろう,とも。そういう種類の「変わったところがある娘」に見えました。(回りくどくてすみませんです)
1幕2場はお父さんのための場面。いや,小道具のための場面かも? 荷物を背負った従者を連れた商人は嵐に遭遇。必死に進む中盗賊(野獣の家来?)にも襲われ,荷物は失われ,従者は逃げ去ってしまいます。遠くのかすかな灯りを頼りに野獣の城にたどりついた彼の前に次々と城の扉が開き,こわごわと広間に入ると無人のままに椅子や食事が提供され,翌朝目覚めると奪われたはずの行李が室内にあって,中には美しいドレスと宝石が。 |
薄暗い照明が人気のない不気味な城の雰囲気を醸し出しておりましたし,次々と開いて中へと誘う扉も印象的。最後の扉が開いて父親が舞台の奥に消えた・・・と思ったら,次の瞬間その扉がこちら向きに開いて父親が入ってきて,するとその場は広間になっていた・・・という運びにはいたく感心しました。
舞台上をすべるように動き,最後には眠り込んだ父親に毛布をかけるようにくるみ込んだ肘掛け椅子もスゴイし(仕掛けわからず),自然に点った蝋燭(ランプだったかも?)も机上で動くお皿と宙に浮かんでカップにサーブしてくれるポットもスゴイ(これも,仕掛けわからず)。行李を開けると,ドレスや宝石が光り輝くという仕掛けも効果的。いや〜,楽しいな〜。
そして,薔薇を手にした瞬間に茂みの中から突如として野獣の手が現れて,父親の手首を掴む・・・という演出の上手さ♪ 装置の巧みさ♪ 全身を現した野獣のかぶりもの+毛むくじゃらの衣裳の衝撃♪
↑でプロローグについて書いた「なるほどー」はここです。この姿に一瞬にして変身するのは無理ですが,やろうと思えば,(雌狐→ワイルド・ガールのように)プロローグの最後の数十秒だけ別のダンサーが登場することもできるでしょう。でも,それをやってしまったら,このシーンの効果が薄れますよね。うーん,なるほどー,うまいなー,と。
野獣の激昂ぶりがすごかったです。振付も上手だし,それを踊るマッケイも見事。すっげー迫力でありました。
情けないお父さんは,薔薇が欲しかった事情を言い訳したのでしょうね,「わたしには3人の娘がおりまして・・・」云々とマイムで語ります。そうすると,獣姿の家来たちが魔法の鏡を捧げて登場,覗き込むとベルの愛らしい姿が見えた・・・のでしょう,たぶん。「娘を城に上げれば見逃してやる」という悪代官のような話になり,数秒後には,父親は家に着いておりました。
こういった場面転換のスピーディーさ・自然さは「さすが現代作品」という感じ。2幕でベルが瀕死の野獣の下に駆けつけるシーンもそうだったのですが,上手いです〜♪ (場面→暗転→次の場面→暗転 などという芸のないことはしない)
というわけで,1幕3場は,ベルの家の書割りが上から下りて野獣の城を隠すと,行李を引きずった父親がドアから入ってくるところから始まりました。 父親は娘たちにことの顛末を物語りますが,期待した行李の中身がボロに変わっていて機嫌が悪い姉たちは「それもこれもあんたのせい」とベルを責め,父親を連れ去ってしまいます。一人取り残されて悲しむベルのもとに野獣の使いのワイルド・ガールとカラスたちが現れ,ベルは彼らに連れられて城へ。 広間に一人取り残され,怯えるベルの前についに野獣が姿を現します。覚悟していたとはいえ,その予想以上の恐ろしげな姿に震え上がるベル。その予想以上の美しさに心打たれ,紳士的に接しようとしつつも獣くさい振舞いが出てしまう野獣。最後は二人とも眠りに就き,この幕は終わりました。 |
ベルの城への道行きには,ここに至ってやっと「踊りらしい踊り」を見た,という気がしました。
そこまでも,ベルのソロや野獣のソロはあったわけですが,どちらかというとマイムや演技で話が運ばれてきたのですよね。でも,城への道行きのシーンではカラスのソリストがテクニックを披露し,コール・ド・バレエも男女取り混ぜて登場したので,なんだか嬉しくなりました。
カラスの山本康介は優れたテクニシャン。プロポーションに難があるように見えましたが,日本人としては普通程度なのかな?
カラスたちの踊りはけっこう長かったのですが,動きや陣形に変化があり,飽きることなく見ることができました。よい振付だったと思います。
特に,群舞の後ろから,リフトされたベルが突然現れる場面には舌を巻きました。身体を水平にしたままリフトされていて,その動きで鳥たちといっしょに空を飛んでいるのがわかります。黒い群舞の上に白い衣裳が現れるから浮遊感も十分で,しかも,「あ,カーブした」とか「旋回してる?」という動きもあるのです。上手いな〜。
このシーン,佐久間奈緒は笑顔で踊っていました。ワイルド・ガールと話すうちに少し安心したということなのでしょうか? 少々腑に落ちませんが・・・むしろ,冒頭のシーンで野獣の気の毒な運命を知っていたから,書物の世界と現実を混同できるような人だから・・・という解釈なのかもしれません。
もっと腑に落ちないのはワイルド・ガールが登場したことでした。
人間の姿になったとはいえ,ヘアスタイルはどこか狐のようですし,動きにも狐の雰囲気を残している個性的な登場人物でたいそう魅力的。(話の本筋とはズレますが,「ワイルド・ガール」という表記より,プログラムの作品紹介のとおり「炎のような髪をした娘」としたほうがよかったのでは? 「赫い髪の乙女」なんていうのもステキかも?)
・・・ではあるのですが,えーと,この方は木こりによって野獣(若者)から救われた・・・わけですよね? それなのに,なぜか野獣の配下? として再登場。いったいぜんたいどういう経緯で?
ベルが城に入っていくシーンは,父親が城にたどりついたときと同じ,扉が次々と開き,最後の扉を開けて姿が消えたと思ったら同じ扉を開けて入ってくると場所は城の前から場内の広間に変わっている・・・というもの。文章に書くと「それがどーした?」という感じですが,とっても自然で,とっても雰囲気があってすてきだったんですよ〜。
ベルと野獣のやりとりは,パ・ド・ドゥとして踊られましたが,これがとーってもよかったです。作品全体の白眉と言うべきなのではないかしらん? 踊りとして美しくて,その中で互いの心情が伝わってきて。
野獣の姿を見て身体を硬くし,目を背けるベル。その顔を覗き込み,恋に落ちた野獣は,手に接吻しようとするが,実際には,獣の本性? が出て,手の甲を舐めてしまう。驚いて逃げ出すベルとそんな自分にショックを受ける野獣。ベルはそんな野獣を哀れんでその背に手を伸ばすが,いっしょに踊り始めると,身体が彼を拒絶する。それでも,ともに踊るうちに,少しずつ心を開いていって・・・でも,最後には(実はどうしてそうなったかわからなかったのですが)気を失ってしまう。
この後が,またよかった。
野獣は優しく彼女を椅子で眠らせ,自分はその足元に忠犬のように丸まって眠りに就くのです。このシーンを見ただけで,この後ベルが彼と打ち解けていくであろうことが納得できましたし,その一方で,人間として恋をしていながら仕草に獣らしさが現れてしまう野獣の境遇に同情できました。
しみじみと感動しながら,ビントリーの振付と演出,佐久間の心情表現とラインのきれいな踊り,マッケイの演技とスムーズなリフトに心からの拍手を送ったのでした。
2幕1場は野獣の城での舞踏会から。 主人とともに獣の姿に変えられてしまった廷臣たちがカップルとなって踊る中,すっかり打ち解けたベルと野獣も登場し,美しく踊ります。野獣はベルに求婚しますが,ベルは受け入れることはできず,広間から走り去ります。やり場のない気持ちに荒れる野獣と恐れ,逃げ散る人々。 気持ちを落ち着けて部屋を訪れてきた野獣に,ベルは家に帰りたいと頼みます。逡巡した末に野獣はその願いを聞き届け,弾む足取りで去ろうとするベルに一輪の薔薇を渡し,花が枯れるまでに戻ってくるように告げます。 |
舞踏会は黒と金の世界でした。
ここの照明も秀逸で・・・「蜀台の明かりだけで広間が明るくなっている」ように感じられました。鏡を使った舞台装置もそれも助けていて,ほの暗いけれど豪奢な舞踏会の雰囲気。そして,豪華な衣裳で登場する人々は顔を覆う仮面でとりどりな動物になっていて,異形な者たちの怪奇で不思議な世界。
その中に現れたベルは純白の簡素なドレス。着ぐるみで膨らんだマッケイと並ぶと,ほっそりした佐久間のたおやかさが浮き出す感じで,効果的でした。(その一方で,肩を出すと筋肉ついてるんだなー,さすが鍛えてるなー,と別の感心もした)
ベルと野獣の踊りは,ワルツの中に「いかにも現代バレエ」な流麗なリフトやアラベスクのポーズなどが織り込まれ,奇をてらったところのないシンプルな美しさ。とてもよかったと思います。
周りの人々のダンスは,普通に踊っていた兎男が突如としてウサギらしい足技(土を蹴り上げるというか)を見せたりするなど,獣らしさを盛り込んであり,ビントリーの振付の才はお見事。
同時に,1幕の最後では獣くさい動きが哀れを誘った野獣は,ここでは上品な紳士風に振る舞い,踊ります。彼が「ベルの存在を得て心が人間に戻った」のを表わしているのかなー? と思い,こういった演出の巧みさにも感心しました。
がっ,しかしっ,跪いての求婚を拒絶された野獣は,「あら,また元に戻ったわよ」という猛り狂いぶり。
マッケイの迫力ある踊りに説得力があるだけに,プログラムによれば「優しい心の持ち主」となったんだよねえ,これじゃ怪しいもんだよなぁ,最初の人柄と同じなんじゃ? と思ってしまいました。
でも,プロローグで鞭を振り回していたころに比べれば,家来に当り散らしたりしないで,一人で咆哮しているだけに成長していたような気もするから,まあ,いいかしらね〜?
部屋で一人打ち沈むベルは,野獣の愛を受け入れることができない自分に悩んでいる・・・ように私には見えたのですが,どうやらホームシックだったようです。
野獣のプロポーズはやはりショックだったのでしょうし,かりにそれがなかったとしても,舞踏会の後半はかなーり乱れて猥雑な雰囲気になっていましたので,(頼りないけれど)優しいお父さんや(人間的に問題はあるとはいえ)とにかく人間ではあるお姉さんたちに会いたくなるのは自然なこと・・・と理解すればよいのかな?
でも,野獣が「わかった。帰してあげる」と言うなり,早速身を翻してドアから出て行こうとするベルの態度はいかがなものか? と思いました。
あそこまでさっと踵を返すのではなく,「ありがとう♪」という段取りがあると,野獣への気持ちがいっそう深まったのが観客に見えて,もっとよかったように思うのですが・・・?
それを呼び止めて渡した薔薇には,話の流れ上当然のこととして「この薔薇が枯れる前に戻ってこないと自分は死んでしまう」という意味があるわけですが,これも「マイムでは無理がある」とは思いました。でも,「この薔薇を自分だと思って」くらいには理解できますから,その後姉たちが薔薇の花を握りつぶす場面などを想起すれば,これでも差し支えはないですね。
そして,薔薇を受け取るなり,ベルは小走りに出て行ってしまいます。これには,重ねて,いかがなものか? と。
逸る気持ちはわかりますが,あまりにも一目散すぎるんでは? ドアの辺りで立ち止まって「大丈夫。なるべく早く帰ってきます」とか「ほんとうにありがとう」くらい言ってあげたらいいのにねえ。
とはいえ,ベルがそういう態度であったからこそ,彼女が去った後の野獣への同情心が深まりますから,これはこれでよいのかも?
演出がそうなのか,佐久間(あるいは佐久間&マッケイ)の演技プランなのかわかりませんが,「主役は理想のお嬢さん」とは違う描き方で,興味深く思いました。
書割りが下りてきて,例によってあっという間の舞台転換で2場になり,ベルの家では姉の結婚祝いの最中。太った人々が集まり,踊ったり,ご馳走にむしゃぶりついたりしています。姉たちはどちらも「自分が花嫁」と現れ,人々が求婚者にどちらと結婚するのか迫ると,彼が選んだのはご馳走の山。 姉たちが不貞腐れている中にベルが到着し,父親と抱き合います。姉たちにはベルの無事に嬉しい様子は見せないどころか,妹の様子から恵まれた生活を送っているのを知って面白くなさそう。 そんな中,ご馳走に喰らいついていた求婚者が振り返って観客のほうを向くと,その顔は豚そのものに・・・でこの場は終わりました。 |
えーと,この場面は,私はあんまり好きではありませんー。「英国風ユーモアとアイロニー」なのだと思いますが,詰め物をしてケバい衣裳とピエロなメイクで踊る皆さんとか,“ムッシュー・コション”が豚に変身してしまうというオチとかには,イマイチついていきかねるというか,笑う気がしないというか。
そういう気分になることは私の場合けっこうありますし,前半で活躍する祖母だけはすこぶる面白かったので,それでよしといたしますです。
祖母役を演じたのは,バレエ・ミストレスのマリオン・テイト。吉田都がこのバレエ団(の前身のサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル)の新進プリンシパルとして『白鳥の湖』の花嫁候補(各国の姫君という演出)を踊っていた当時の日本公演で,主役を踊るのを見たことがあります。
あのプリマ・バレリーナが20年の後にはこういう役をこんなに巧みに・・・としみじみと感心したことでした。
すっかり腰が曲がったいかにも偏屈そうなばーさんで,眼鏡越しの上目遣いでじろりと周りを見るだけで笑えましたし,杖をついて皆と踊るシーンはさらに秀逸。よたよたして踊りから遅れると,パートナーの父親(つまり息子ですね)に八つ当たりして杖でぶったたく。踊りの中でいつの間にか手から杖がなくなってもしゃんとしているのに,いったん杖がないのに気づくとよぼよぼに戻る。
あはは,楽しかったです〜。
そして,「そっかー。現代のバレエでは,バレリーナも笑いをとる役割も果たすことになったのだなー」なんて思ったりもしました。コミカルな役というのは,全般に男性が担当しているような気がしませんか? と書きながらいろいろ思い返してみると,そうは言えないような気もしてきますが・・・でも,見ているときはそんな気がしたのでした。
大詰めの3場は,野獣の城へと場面が戻ります。 ベルの不在に苦しみ衰弱した野獣が黒い寝台の上で半身を起こし,魔法の鏡を覗き込むとベルの姿が。薔薇の花を見つめ,野獣のことが気にかかる様子ですが,そこに姉たちと父親が現れ,父は自分の心臓が悪いことを訴えてベルの気持ちをくじきます。さらに,意地悪な姉たちは,薔薇の花を握りつぶし,これは野獣にとって致命傷。彼は力なく寝台に倒れこみます。 ベルのもとにワイルド・ガールが現れ,愛しい人の生命の危機を知った彼女は,取るものも取りあえず野獣のもとへ。しかし,既に遅く,野獣は黒い布におおわれ,床の上に横たわっていました。嘆き悲しみ,その死体に取りすがるベル。 舞台には木こりが現れ,その不思議な力で野獣の生命を救い,もとの若者の姿を返しますが,ベルには突然現れた青年が野獣だとはわからず,ひたすら野獣の姿を探し求めます。根気強く優しく接する青年の中に愛する人を見出したベルはやっと笑顔になり,幸福なパ・ド・ドゥの後,二人は寄り添って舞台奥へと消えていきます。 エピローグは,プロローグと同じ森の中。立ち去ろうとする木こりを追ってきたワイルド・ガールも元の雌狐の姿を取り戻し,物語は終わりました。 |
このシーンの最初のほうで,弱った野獣が苦悩と絶望のソロを踊り,それに寄り添い慰めようとするワイルド・ガールとのデュエットを踊り・・・という流れがありました。
野獣のソロは,ここまでにも再三述べたように,振付も的確ならダンサーも優れており,その切迫感には心打たれるものがありました。ワイルド・ガールとの踊りも,「絶望する男と渾身の力でそれを救おうとする女」という雰囲気でたいそう感動的ではあったのですが・・・うーん,どうもこの「ワイルド・ガール」さんの存在への違和感が拭いがたく。
彼女は,ベルを城に導いた後には,2幕最初の舞踏会にも登場。カラスとパートナーを組んで踊っていて,「あらま,完全に野獣さんの一党?」と不審の念を抱いたのですが,この場に至っては,「もしかして,ベル以上に野獣を愛している?」という趣。
なぜこんなことになったのかが不思議でした。今の野獣はかつて虐げた者からも愛を寄せられる人に変貌した・・・のかもしれませんが,それなら,そうなるまでのエピソードの一つくらい観客に見せていただきたいものです。
それはそれとして,ヴァッロはとてもよかったです。
佐久間とは対照的に肉感的な個性でありながら,踊りは柔らかく軽やか。野獣への気持ちの表出も十分。
野獣が覗き込む鏡は,1幕2場と同様に家来たちが捧げもって準備されました。
そして,今回は,実際に舞台上にベルの家の様子が現れ,それが消えると死に瀕した野獣は力なく寝台に身を横たえ,次いで再びベルの家。ワイルド・ガールが飛び込んできて野獣を救ってほしいと訴え,ベルが上手に駆け去ると,舞台は野獣の横たわる部屋へ・・・というめまぐるしい場面転換が,「転換」などはなかった・・・というスムーズさで繰り広げられました。
スムーズで実に見事・・・というのは,こうして感想を書きならが思うこと。客席にいる間は,その自然な運びに引き込まれ,見入りました。
それに比べると,野獣→若者の変身シーンには,スムーズとは言いかねるものがあったのも事実で・・・。
野獣の身体にかけられていた黒い布が家来たちによって大きく広げられ,その後ろでマッケイが着ぐるみ脱ぎ,かぶりもの?を外し・・・という奮闘をしていたようです。完全に着替えが終わったところで野獣(であった者)の全身は改めて黒い布に包まれ,舞台の床の上に安置され(←つーのもなんだが),ベルが駆け込んできました。
実のところ,私には,その薄べったい黒い布の塊の中に人が潜んでいるとは思えず,木こりがマントを広げて振るとその背後から王子が・・・みたいな段取りを予想していたので,実際に黒い布の中からマッケイが登場したときはかなーり驚きました。
姿を現した若者(元野獣)の衣裳は,少なからず妙なもので・・・,白いシャツにぼろ? に見えなくもない裾が大きくぎざぎざになった明るい色のベスト。膝下までのタイツ? で足は素足でした。野獣よりよっぽど「見た目より心」という言葉が似合う姿であった・・・というのは少々言い過ぎかとは思いますが,うーむ,全然貴公子に見えんではないか。
ベルとワイルド・ガールのやりとりの間にこっそり別人に替わっておくとか,あれだけ盛大に黒い布を広げるなら,思い切って舞台袖に入ってゆっくりと着替えて,黒い布の中は人形にでもしておくとか・・・してもらって,王子然とした姿(最低でもタイツとバレエシューズ)で登場していただきたかったなぁ。
野獣が人間の姿に戻ったあとのシーンには意表を突かれ,共感し,感動しました。
ベルには,目の前に立っている若者が誰なのかわからないんですよね。「ぼくだよ」と微笑む彼のことなんか眼中になくて,ひたすら「あの人はどこ? どうしちゃったの?」と野獣の姿を探し求める。若者が差し出す手を何度もすりぬけて,舞台中を探して,黒い布をめくってみるようなことまでする。
いやー,いいなー。そうだよねー。見た目が王子であっても,見知らぬ人になんか用はない。彼女にとって大切なのは,あの野獣なんだもの。なるほどー,そうだよねー。
若者は,今ではそんな彼女に苛立ったりはしないで(いや,ほら,以前の野獣さんなら,それで焦燥にかられて激しい踊りを披露しそうな気もするじゃない?),微笑を浮かべながら彼女に接していました。そして,優しくベルの手をとって自分の心臓の辺りに当てさせる。その瞬間,ベルはこの人があの野獣であることを理解したようでした。
実のところ,なぜこの瞬間にベルが事情を理解したのかが私には謎だったのですが・・・どうやら,城での最初のパ・ド・ドゥでも野獣は同じことをしたらしいです。(そう言われて見ると,そういう動きがあったような気もしますが・・・うーむ,思い出せない) そのときは,「自分は,心は人間なんだよ」という意味だったのかもしれませんね。そして,同じ行為が,今回は「自分は,心はあの“野獣”なんだよ」という意味になるのでしょうか。
そして,パ・ド・ドゥになるのですが,踊り始めたころのベルは,まだ嬉しそうではありませんでした。いっしょに踊ってはいるけれど,若者に対して隔てをおいているというか,心ここにあらず,という様子。「ほんとうにあの人なのかしら? そういえばそんな気もするけれど,あの人と踊ったときの手の感触と違う。でも,この笑顔はあの人と似ているかも・・・?」なんて思っていたのかもしれませんねー。
でも,踊り続けるうちに,だんだんと身体の表情が柔らかになっていって,最後のころは幸福そうな笑顔になっていました。いっしょに踊るうちに,この人こそが自分の愛する人であること,その人が生きていてくれたことを確信できたのでしょう。
野獣を探す辺りからこのパ・ド・ドゥまでの,佐久間奈緒の表現はとてもすてきでした。顔の表情の変化だけでなく,身体の動き自体に表情があって・・・そして,最初のほうでも感じた「ちょっとミステリアス」な風情をやはり感じました。「天真爛漫なお姫様」とは違う個性が,ベル役に説得力を与えていたのではないかなー?
このカンパニーでは彼女はテクニックが強く古典作品で初日を務めるバレリーナという位置づけのようですが,私は,むしろ表現面に優れたダンサーだという印象を受けました。その辺がどうなのか知りたい気持ちがあるので,別の作品でまた見る機会があると嬉しいのですが・・・。
一方のマッケイですが,えーと,野獣のときのほうがよっぽどすてきだったんでは? と思ってしまいました。すみません。
素顔(というのも変だが)はハンサムだし長身だし・・・なのですが,衣裳のせいもあるのか,イケメンの兄ちゃんにとどまっていて,動きにバレエ的洗練が足りない感じを受けました。まあ,「若者」であって「王子」ではないので,それで差し支えないのかもしれませんが,「そもそも家柄がよかったのに加えて人格も高潔に成長した」人物には見えにくく・・・。
特に残念だったのは,最後に二人で舞台奥に歩いていくシーン。裸足と言うハンディがあるとはいえ,お願いだから,肝心のところで普通に歩くのはやめてくださいよぉ。
最後は,豪華な衣裳に着替えての結婚式。父親は感涙にむせび,姉たちは嫉妬心を顕わにし・・・になるのかと思いきや,そんなことは全然なく,木こりとワイルド・ガールによるエピローグとなりました。
私は(プログラムを読んでいたにもかかわらず)このシーンにひっじょ−に意表を突かれ,そして,胸の奥に少々の違和感を感じました。
木こりが「やれやれ。これにて一件落着」という風情で森の中を歩いていくと,後ろからワイルド・ガールが狐めいた動きで後を追ってきて,なにやらしきりに訴えます。ああ,そうだった,この人はいわば失恋したわけだ・・・と思ううちに,木こりは「そうそう。おまえを忘れとった」みたいな感じでマントを一振り。すると,ワイルド・ガールは雌狐の姿に戻り,嬉しげに森の奥へと跳ねて去っていき,これで本当に一件落着・・・となったのでしょうが・・・うーん・・・これってハッピーエンドなんでしょうか? 成就しない恋心を胸に秘めながら,獣らしさを残した人間の姿のまま城に仕えていくよりはマシかもしれませんが,うーむ,うーむ・・・?
・・・というふうな少々の後味の悪さを感じさせてくれたのも,ビターチョコのような大人向きの味でよかったです。デコレーションケーキみたいな『眠れる森の美女』や『くるみ割り人形』のスイーツ詰め合わせも好きですが,いつもそれでは飽きてしまいますもんね。
うん,とってもよい作品だったと思うわ〜。別のキャストでもう1回くらい見てみたかったわ〜。
(2008.02.26)
【広告】 『美女と野獣』を読んでみる 美女と野獣 ジャンヌ・マリー・ルプランス ド・ボーモン
美女と野獣 ボーモン夫人 Ueanne‐Marie Leprince De Beaumont 末松 氷海子
美女と野獣―Beauty and the beast 【講談社英語文庫】 ステュウット・アットキン ボーモン夫人 Ueanne‐Marie Leprince De Beaumont
美女と野獣 (大型絵本) ボーモン夫人 ビネッテ・シュレーダー ささき たづこ