白鳥の湖(パリ・オペラ座バレエ)

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06年4月22日(土) マチネ・ソワレ

東京文化会館

 

台本: ウラジーミル・ベギチェフ, ワシリー・ゲルツァー

音楽: ピョートル・I・チャイコフスキー

振付・演出: ルドルフ・ヌレエフ(マリウス・プティパ,レフ・イワーノフに基づく)

舞台美術: エツィオ・フリジェリオ   衣裳: フランカ・スクァルチャビーノ   照明:ヴィニシオ・シェリ

指揮: ヴェロ・ペーン   演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

    4月22日マチネ   4月22日ソワレ
オデット/オディール デルフィーヌ・ムッサン マリ=アニエス・ジロ
ジークフリート王子 エルヴェ・モロー ジョゼ・マルティネス
家庭教師ヴォルフガング
/ロットバルト
ステファン・ファヴォラン カール・パケット
王妃 ミュリエル・アレ ナタリー・オーバン
パ・ド・トロワ ノルウェン・ダニエル メラニー・ユレル クリストフ・デュケーヌ エミリー・コゼット ドロテ・ジルベール エマニュエル・ティボー   
ワルツ(ソリスト) オーレリア・ベレ ファニー・フィアット ローラ・エッケ ナタリー・ケルネ ベルトラン・ベレム ブリュノ・ブシェ マロリー・ゴディオン シモン・ヴァラストロ オーレリア・ベレ ファニー・フィアット ローラ・エッケ ナタリー・ケルネ ベルトラン・ベレム ブリュノ・ブシェ クリストフ・デュケーヌ マロリー・ゴディオン
4羽の大きい白鳥 エミリー・コゼット オーレリア・ベレ ローラ・エッケ ローレンス・ラフォン
4羽の小さい白鳥 ファニー・フィアット マチルド・フルステー ジェラルディーヌ・ウィアール ミュリエル・ズスペルギー
チャルダッシュ ファニー・フィアット ステファン・エリザベ ノルウェン・ダニエル ブリュノ・ブシェ 
スペインの踊り ナタリー・リケ ナタリー・オーバン フロリアン・マニュネ ローラン・ノヴィ ミュリエル・アレ ローレンス・ラフォン
ナポリの踊り ミリアム・ウルド=ブラーム エマニュエル・ティボー   メラニー・ユレル シモン・ヴァラストロ

 

ヌレエフ版は初めて見ました。
この版は,王子の内面に焦点を当てている・・・と言われているので,「王子の心理について,通常の『白鳥』と違う解釈をしている=物語の読み直しをしている」のかと予想していましたが・・・存外普通の『白鳥の湖』でした。

王子の精神状態は一般的なジークフリートと似たようなものなのですが,一般的な『白鳥』の演出だと,その心理が観客にズームアップされて「王子の物語」になるかどうかはダンサー次第(あるいは,観客次第)です。
私は男性ダンサーを主目的にバレエを見ている観客ですから,好んでそういう見方をしますし,そういう見方を可能にしてくれる男性ダンサーが好きなのですが,たぶんこれは一般的ではないですよね。『白鳥の湖』といえば主演のバレリーナ(と白鳥たち)を思い浮かべるのが世間の常識というものでしょう。

ヌレエフは,周囲の振付や家庭教師の設定を変えることによって,そういう常識的な観客にも「王子の物語」としてこの作品を見せようとしたのだと思いますし,その企図は成功していると思います。

 

モローのジークフリートは,1幕では終始一貫陰気な顔をしていた印象。
これは,青春の屈折とか,即位を前にしたモラトリアムとか,まだ見ぬ恋への憧れとか・・・そういう生易しいものとは思えない。とにかく自分の周りの全部が嫌らしい。生きていることも嫌なのかも? でも死ぬ勇気もないのかも? うつ状態の王子という解釈なのかも?
・・・と考察したり,(あまりに表情の変化が乏しいので)もしや演技力がないのか? と疑ったりしましたが・・・ファヴォランのヴォルフガングが最初から王子を支配している感じに見えたので,家庭教師によって抑圧され無気力な青年になってしまったのであろう,と考えることにしました。

そのファヴォランは,冷酷で智謀に長けた重臣風。そして,宮廷全体を重苦しく覆う黒い影。「この人の存在こそがジークフリートの不幸の源」みたいな趣でした。
そうですねえ・・・王子の乳兄弟とか,妾腹の兄とか,そういう近しい間柄で・・・年月を重ねるうちに,「学問も武芸も人望も,生まれ以外は私のほうがすべて上だ。ジークフリート本人も私の言うがまま。それなのに,なぜいつまでも臣下の立場に甘んじなければならないのか・・・」という屈折が生まれたのかなー,なんて。

神出鬼没とでも言いましょうか,踊る娘たち2人の間にいたかと思うと(娘たちは嬉しそうでない。煙たがられる存在なんでしょうね),舞台の奥を静かに歩いている。そして,折りに触れて,椅子にすわっている王子のほうに身を屈めて耳打ちする。
この耳打ちの雰囲気が実に妖しげで・・・「耳から毒を注ぎ込む」という表現がありますよね? ああいう感じ。「なにを告げているのかしら〜」と想像をたくましくしてしまいましたよ。

 

ムッサンは,たおやかでありながら硬質の踊りで,毅然とした白鳥の女王でした。2月に「バレエの美神」で見た印象からして「もしかして産後で体調が戻っていないのでは?」と懸念していたのですが,全然そんなことはなかったです。
2幕は,躊躇いながら王子に惹かれていく表現が,とてもよかったです。ヌレエフ版はマイムでの身の上話を残している演出で,私はこれも好きなのですが・・・彼女の場合は踊って表現してくれたほうがいいんじゃないのかなー,向き合って手をとりながら細かく震える足先とか見たいなー,と「踊りで表現する」グラン・アダージオを見ながら思いました。

この場面,モローもとてもよかったです。
立居振舞が今ひとつ洗練されていないせいもあるのでしょうか,見た目はきれいだけれど気持ちは純朴な青年に見える。その効果として,オデットに対する態度が「憧れ」に見えました。この版はこの場面にもジークフリートのヴァリアシオンが挿入されていて,その後オデットのソロの間も袖に残っている演出なのですが,そういうときも「オデットへの想い」を見せているのが特によかったです。

それに,サポートがていねいで誠実。名人とまでは言いませんが,上半身に厚みがある体格から考えて,近い将来「理想のパートナー」になれる方なのではないでしょうか?
特に,ラストで腕の力だけでムッサンを頭上まで上げたように見えた(から本人もきれいに見える)のに感心しましたし,さらに,下ろすときのコントロールもゆっくり&スムーズ。(ムッサンが華奢だということもあるでしょうが)

 

舞踏会ですが・・・ムッサンのオディールは,妖艶でもなく悪女でもなく,オデットそっくりの女性がロットバルトの力によって現れた,という印象。邪な感じなど全くなく,明るく嫣然と微笑む大人の女性でありました。
ちょっと華が足りない感じだし,グラン・フェッテの後半で脚が落ちてくるなど,テクニック(それとも体力?)が弱いのが惜しかったですが,若いジークフリートが欺かれるのに納得ができました。

モローもよかったです。
またも1幕の「終始不機嫌」に戻っていて,花嫁候補たちに冷たいのなんのって。踊っているときも上の空なのが歴然ですし,「どの姫も選べない」と聞いて激昂する王妃(ミュリエル・アレの名演。すっげー怖い!)にあてつけるかのように,1人ひとり律儀に同じ調子で断りを入れるところが,不器用な青年(あるいは「オデットにとらわれている」)という感じで,たいへん印象的でした。

踊りもよかったです〜。
ここまでの踊りは,「詰めが甘い」が散見されるなど,細部までは行き届かない印象だったのですが(ヌレエフ振付が難しすぎるのだとは思いますが,ソワレでマルティネスを見ると「できる人はできる」わけだから・・・),この場面に関しては,大きくて柔らかな踊りだな〜,正統派だな〜,と見惚れました。脚がとーっても長くてまっすぐで,しかも頼もしい上半身だから安定感もあって,若々しいジークフリート。

で,ファヴォラン@ロットバルトが実にかっこいい。
(あれ? ロットバルトではなくてヴォルフガングなのかな?? でも,王妃はかなーり不審そうにファヴォランを見ていたから,ロットバルトなのかも???)

舞台上を縦横無尽に動いてパ・ド・トロワに参加しているのが,冷気が漂うような感じに見えてとってもすてき。表現力に優れているんでしょうね〜。
しかも,踊りも上手。難しそうなヴァリアシオンなのに,シャープで危なげなくて・・・。ルグリのガラ公演などで見ているはずなのですが,こんなにすてきなダンサーだったのか! とびっくりしました。
ベラルビが不参加になったのと彼のプルミエ昇進とが重なって,後からキャスティングされた方ですが・・・うーむ,次々かっこいい男性が出てくるねえ♪(パリオペ畏るべし)

4幕はオデットの印象が薄くなってしまう演出ですが(全体にそうだが,特にこの幕はそうだと思う),オデットとジークフリートとのデュエットでの,ムッサンの「運命は知っている。覚悟はできている」という雰囲気はすてきでした。
その後ロットバルトが登場しての3人での場面は,緊迫感があってよかったと思いますし,ジークフリートとロットバルトの対決シーンはいっそう。(残念だったのは,ロットバルトが倒れた王子を跨いで正面に向かって歩いたことだわ〜,てっきり蹴転がすとばかり・・・)

 

ソワレのジロは,プロポーションからすると意外にも(パリオペファンの皆さんのご意見に接したところからすると予想どおりの)フェミニンな白鳥で,特に4幕で切々と嘆くシーンが雄弁でした。
(2幕のマイムも雄弁でしたが,ここに関しては,ここまで饒舌に語らんでもいいのではないかなー,古典作品というより現代作品になってしまうのではないかなー,と思いました。まあ,この版は現代作品としてとらえるべきなのかもしれないけれど)

上半身がしっかりしすぎているからどんなもんかなぁ・・・と懸念していたのですが,(カーテンコールでは少し気になったけれど)踊っているときは大丈夫でした。肩のあたりが,意外にまろやかで女らしいのですね〜。
ただ,マルティネスの頭上リフトから「えいやっ」の気合が聞こえそうなのは,双方ともに気の毒なことだなー,とは思いました。

オディールは,「オデットのふりをしている」ところとオディールとして踊っているところのメリハリがわかりやすかったですし,華やかに輝いていました。(彼女も妖艶とか悪女ではない感じ。演出の要請なのかも?)
長いバランスを見せるなどテクニックも万全,ヴァリアシオンもダイナミックで美しく,フェッテもダブルを織り交ぜて・・・と絶賛モードだったら,後半で崩れたのがもったいなかったなぁ。

それから彼女は,前奏曲で普通の女性の姿で登場したところがすばらしかったです。
照明が暗い中なのに,すべるように舞台に登場しただけでオーラが感じられ,差し上げた腕からは,高貴な女らしさが匂い立つようでありました。

 

マルティネスは,もの静かな感じの青年王子でした。女の子たちと楽しんだり剣やら弓を扱うよりも,読書などを好みそう。
とはいえ,娘たちに誘われれば穏やかな笑顔でそつなく相手をしますし,王妃から石弓を与えられれば有り難く受け取り,騎士への叙任(王への儀式?)ではきちんと風格ある様子を見せる。分別をもって行動している人だという印象ですし,周囲からは申し分ない王子として認知されているであろう,と思えました。
でも,パ・ド・トロワの途中で座を外して外を眺めるときは,片膝を緩めて腕組みなんかして,内省的な雰囲気が漂っている。

花嫁候補に対しても宮廷儀礼に則って踊ってあげて,「Non」を告げるところも深刻ではなくさらっとエレガント。
この辺りの演技を見て思ったのですが・・・マルティネスは,2幕も夢の中だったという解釈なのかな? 
夢の中は夢の中,舞踏会は舞踏会。オデットにとらわれているわけではないから,平常心で舞踏会に参加していて,単に「気に入る娘はいない。または,まだ妃を決める気はしない」からどの娘も選ばない。オディールを選んだのも,要するにジロのタイプが好みだったから,夢の中でも現実でも同じ人を選んだのかも。

ところが,最後にオデットの影が出てきて,実はあれは夢ではなく現実であったと悟る。
だから,すぐに母后にすがりついたりしないで,自分のしたことを再確認してから,白鳥がいた方へ向かおうとしたのかも。そして,現実だと悟って,(ここに至って一瞬王妃の裾のあたりにすがってから)ゆっくりと崩れ落ちたのかも。

もっと考えると・・・
そうして気を失った王子が目覚めたら周りには白鳥たち。これは現実? それとも夢の続き?
ああ,もう,どこまでが夢なんだか現実なんだかわからないわ。もしかすると,作品全体が,延々と続く王子の悪夢なのかもしれない。なんて。

マルティネス自身はよくも悪くも端正で,私に妄想を起こさせるようなエキセントリックなところはないにもかかわらず,こんなことを考えられるのは,やはり演出の力でしょうね〜。

踊りは実に見事でした。なんとも難しそうな振付を全く破綻なく見せていて,安定していて,ほんっとに見事。
立居振舞は・・・えーと,概ねエレガント,という感じかな。3幕で椅子に無造作にすわっているのはどうかと思いましたが・・・1幕で,椅子の背にかけてある王冠(?)にふとさわってみる指先の優美さなどには感心しました。
演技は巧み。さすがベテラン,さすがエトワール,という感じ。

というわけで,特に「きゃああ」もなかったですが,不満は全然ないです。
いや,一つだけあった。ヘアスタイル膨らみすぎだよぉ。
もともと巻き毛の方だったと思いますが,かなーり「爆発?」に近かったと思います。王子のみだしなみとして,いかがなものでしょうかねえ?

 

パケットは,表面は恭しく振舞いながら,「実は得体の知れない陰謀家」風。マルティネスとのキャリアの違いから来る印象でしょうか,家庭教師というよりは秘書官とか参謀のような立場に見えましたが,これはこれですてきでした。
王子との関係は密着型ではなく,折りにふれて進言する,という感じ。王子のほうも,彼を臣下として信頼している,というふうに見えました。(その分,双方とも,ゲイテイストや屈折した感じは薄かった。面従腹背の野心家によるお家乗っ取りという結末のほうが似合いそうな)

3幕でのソロは,「勢いで踊ってないか? ヴォルフガング忘れてないか?」という気もしましたが,こんなに上手だとは思わなかったわ〜,と感心もしました。
この幕でのマントの扱いがすばらしかったです〜。3幕のロットバルトの衣裳は,オディールをサポートする関係上,長ーいマントを腕に巻きつけて調整する必要があるのです。マチネのフォヴランは「さりげなく」に腐心していて,それはそれで結構だったのですが,彼のほうはそれも演技にして「派手に,目立つように,音高く」やっていて,すっげーかっこよかったー♪(再度,パリオペ畏るべし)

 

コール・ドは,よくなかったです。
いや,よくなかったのはコール・ドではなく振付というべきでしょうね。パを詰め込みすぎなのは予想していましたが,舞台上の移動や方向転換が異様に多いし,動く距離も高さも大きい。
その結果,ほとんどのダンサーが「いっぱいいっぱい」状態になってしまっている感じ。

1幕のワルツ(16組の男女)も乾杯の踊り(男性16人)も,舞台全体を使って大きく動いてくれるから見応えがありましたし,このコは踊れてる,このコは音楽に間に合ってない,こっちのコはヤケクソ気味に動いてるから遅れてないがきれいじゃない,等々と勤務評定するのも面白かったです。ダンサーの顔と名前が一致していれば,もっと楽しめる場面だろう,とも思いました。
ただ,まあ・・・バレエというよりはマスゲームを見る楽しみに近いのではないか? という気はしました。

2幕は,フォーメーション自体は見覚えのあるものでした。定番のセルゲーエフ版とは違いますが,ウエストモーランド版(牧阿佐美バレエ団が上演しているもの)に非常に似ていて(ただし,牧より人数が多い。たぶん,18人→24人),熊川版(Kバレエ・カンパニー)とも似ていた気がします。
そういえば,オデットがマイムで身の上を語るのもウエストモーランド版と同じだし,この幕に関しては,ヌレエフが英国で踊っていたものが基本になっているのかな? と思いました。

・・・なのですが,人間業の限界まで動きが大きくなっているから,ダンサーに余裕がないんでしょうね,とにかくもー,足音の騒々しいこと,にぎやかなこと。
前々回のキーロフもひどいと思いましたが,あれは揃って大きな音をたてることによる大音響。今回の場合は,足音自体も大きいけれど,着地のタイミングが揃わないから,なんというか・・・なんとも言いようがないですわ。(とほほほ)
マチネを見ているときは,もう一度この騒音に耐えねばならんのか,2回チケットを買ったのは大失敗であった・・・と落ち込みましたもん。(ソワレのときは,予習済みだからか座席の位置にもよるのか,それなりに聞き流すことができましたが)

上半身のほうも・・・動き自体は揃っていたと思いますが,ポール・ド・ブラまで気を配る余裕がないんじゃないのかなぁ,それともそういうことは求めていないのかなぁ・・・例えば腕を上げる角度などの細かいところは揃っていないし,白鳥に見えない。詩情が全然ない。
32人のダイナミックな体操を見せていただいた感じでした。(体操として壮観であったから,いいですけどー)

舞踏会での各国のダンスも難しく,忙しくなっておりました。キャラクター・ダンスをバレエ的に難しくした感じ? 衣裳の色遣いのせいもあるのかもしれませんが,キャラクター・ダンスに見えない感じ?
この場面に関しては,不満というほどではないですが・・・「楽しいな〜」と盛り上がるのではなく「ご苦労さんだなー」という心境になったことは否定し難い。最初に全員がすごい勢いで次々と舞台に走り込んできたときは,ワクワクしたんですけれどねえ。

4幕の振付は,ヌレエフ独自のものだと思います。
特徴としては,フォーメーションが曲線中心であること(円を描くとか蛇行するとか),「上体を前に倒して進む」動きが頻出すること,そして,ヌレエフだから当然というべきか,細かい足の動きが多用されていること。

フォーメーションについては「おお,面白い」でしたし,特にマチネで上のほうから見ていたときには,一列で蛇行しながら進む動きの整い方にたいそう感心しました。(私にとって,今回のコール・ドで一番よかったのはここであった)
「上体を前に倒して・・・」には,「なんでわざわざこのような美しくない動きをさせるのか?」と。
細かい足技については,マチネのときは「白鳥にまでやらせますかいな。やれやれ・・・」という気分だったのですが,ソワレで見て認識を改めました。それぞれの白鳥の周りの湖面にさざ波が立つのを表しているような振付だな〜,雰囲気出ていていいな〜,と。たぶん,この振付に関しては,1階席で見たほうがよいのでしょう。

それから,この幕は跳躍系の技が少ないからだと思いますが,足音もさほどではなく,助かりました。
というわけで,4幕は悪くはなかったです。特に好きではありませんが,見慣れた振付を(失礼ながら)へんな風に踊られるよりずっとよいです。

 

振付が異様に難しくなっているのは,もちろんコール・ドだけではありません。
1幕のパ・ド・トロワは,一般的な振付が基本になっていたと思いますが,やはり難しそう。身体を伸ばすヒマなく次の動きに移っている・・・というふうに見える方もいて,なんだか気の毒なようでした。
4羽の小さな白鳥なども「わざわざ難しくして,振付のかわいらしさを削ぐのは理解し難い」という感じ。(これも,体操として見応えがあったとは思うが)

そして,王子の踊りも・・・。
1幕の最後のほうにメランコリックな音楽で踊られるソロは,「ヌレエフにしてはラインの美しさを見せている」と思いましたが,2幕の途中のソロは・・・えーと,私はヌレエフの振付について「ルグリが踊っても,きれいだな〜,でなく,上手だなー,としか思えない困ったもの」だという評価を下していたのですが,「マルティネスが踊っても(以下同文)。まして,モローにおいてをや」でありました。
音楽の選択も疑問。おそらく原典では花嫁候補の一人が踊る曲だと思うのですが,曲調が明るすぎて「つぎはぎ」感が大きかったです。

 

演出は,ただ1点を除いて,たいへん魅力的なものでした。

前奏曲の途中で幕が上がり,椅子で眠っている王子の夢の中にドレッシーな衣裳のオデットが登場し,ロットバルトに拉致される場面。
ワルツやパ・ド・トロワが踊られる中,舞台上を黒い影のように歩くヴォルフガングと座を外して外の世界を眺めるジークフリート。
乾杯の踊りの最後,袖に去っていく仲間たち(?)を追おうとした王子の前にヴォルフガングが立ちはだかる場面。ふと気付けば,黒い衣裳の臣下風の男性たちが舞台袖に立っている不気味さ。(ヴォルフガングが配した王子の監視役なのかしら〜。王子は実は軟禁状態に等しい境遇なのかしら〜?)

2幕では,ソロを終えた王子が,そのまま下手に立ってオデットのソロを見守る場面。
かなり直截に「無理に引き離される」を表した幕切れの演出。

オディールを伴い現れたヴォルフガングは王子になにやら耳打ちをし,その仕種は1幕での2人の様子と重なる。
その直後にパ・ド・トロワとして踊られる黒鳥のパ・ド・ドゥは,ヴォルフガングのヴァリアシオンからコーダの最後まで一気に踊られるから,舞台も客席も息つく間がなく盛り上がる。

3幕の最後で気を失った王子が目を覚ますと,そこは白鳥たちの世界。
哀切な音楽で繰り広げられるオデットと王子の踊りは,パ・ド・ドゥというより現代風にデュエットと呼びたい感じ。
そして,王子とロットバルトの戦いは,1幕での王子とヴォルフガングの踊りの再現になっている。
最後は,冒頭のシーンを再現し,王子はスモークの中に取り残されて,舞台は終わる。

という辺りが,特に印象に残りました。

で,気に入らなかった「ただ1点」ですが・・・実は,これは極めて大事な場面で・・・冒頭と最後だったのですわ。
ロットバルトとオデットが,猿之助歌舞伎のように天高く上っていくのですが,なんというか,あまりにベタな手法で・・・笑ってしまいましたよ。(宙吊りはないだろう,宙吊りはっっ) おまけにオデットは空中で両腕をひらひら〜と動かしているんですからねえ。

プロローグで見てちょっと笑ったのですが,その後はシリアスなドラマだったので,すっかり忘れていました。ところが,最後に同じものを見せられて・・・笑いながら困ってしまいました。せっかくの悲劇モードぶち壊しですもん。
ソワレの最初は「ま,しかたない。わかりやすいといえばわかりやすい表現だ」と自分で自分を納得させながら見たのですが,作品世界に浸っていたため再びすっかり忘れてしまい,4度見せられて・・・脱力しました。

バレエに宙吊りを持ち込むのは,芸術的香気を台無しにする危険が大きい,と思わざるを得ません。
プティの『こうもり』のような暢気な作品やライト版『くるみ割り人形』のようなアットホームな雰囲気の演出でなら結構でしょう。『ジゼル』や『ラ・シルフィード』の場合は,現代感覚で見ればどうかと思いますが,「初演当時はそういうのが喜ばれたのだなー。古式ゆかしい上演だなー」という見方をすれば大丈夫。
でも,今回の版のような現代的な『白鳥の湖』,それも悲劇的な大詰めシーンでそれをやられては・・・嘆息・・・。

 

装置はとてもよかったです。
基本は,華やかさなどない閉塞感のある石造りの宮殿。背景の周りに四角い枠があり,その中の背景幕が変わることにより,湖畔や舞踏会といった場所の変化を表しているのですが,その色調も無色彩で暗い。
見ようによっては石牢のようで,王子の境遇を象徴しているのかもしれないし,あるいは王子の心象風景を表しているのかもしれません。いずれにせよ,作品の雰囲気と適合した,優れた美術だと思います。

衣裳はくすんだ色合いのパステルカラー中心で,上品でした。
3幕の舞踏会までこの調子で,どこの民族舞踊も似た感じなのは正直言って「つまんないなー」でしたが・・・その中に現れるオディールとロットバルトの黒系の衣裳が引き立って「不吉な存在」感が際立ちますし,王子にとっては,この2人以外は「見てはいても目に入らない」存在,いてもいなくても関係ない存在なのでしょうから,「曖昧模糊とした色合いの多数の人々」という雰囲気になっているのだろう,とも思いました。
(そう考えると,この版の場合,花嫁候補の衣裳が「ほとんどお揃い」状態なのも悪くないですねー。「王子にとってはどの娘もどうでもいい。違いなんかわからない」のでしょうから)

 

ソリストで目立ったのは,ソワレでパ・ド・トロワを踊ったドロテ・ジルベール。
忙しそうな振付を全然問題なく踊りこなして,さらに自分なりのアクセントまでつけている。アダージオでの跳躍も高いし,華もあると思いますし,なるほどー,『パキータ』で主役にキャスティングされるのももっともだ,と感心しました。

エマニュエル・ティボーも上手で(右,左,右と連続するトゥール・ザン・レールが見事!),すっごいバネだな〜,と思いましたが・・・彼に関しては,むかーしむかしに『ナポリ』で見たときの「踊る喜び」みたいなものが感じられなかったので・・・。大人になったと考えるべきなのかしらね? それとも,サポートが不得意そうなので,その負担のせいかしら〜?

コール・ドの中で気に入ったのは,花嫁候補の下手から3番目のローレヌ・レヴィ。にこやかですし,上半身の使い方が大きくてきれいでした。
それから,4羽の小さな白鳥で上手から2番目にいたマチルダ・フルステー。踊っているときに目立ったわけではないのですが(目立ってはいけない振付ですもんね),4人で立つと,首が長く,頭が小さく,お顔も愛らしく,容姿だけで詩情が感じられました。

若い男性陣に「おお,これはっ」と思える方がいなかったのが残念でしたが・・・ファヴォランとパケットの新たな魅力を発見(?)できたから,まあいいわね〜。

 

全体としては,大いにエンジョイしました。

初めて見る演出だから興味深いし,キャストによる違いも楽しめたし・・・。
そうそう,まだ書いていませんでしたね・・・私としては,マチネのキャストのほうが気に入りました。主役3人のバランスがよかったし,(初めて見て言うのもなんですが)王子と家庭教師の関係がよりヌレエフ版に忠実なんじゃないか,とも思いましたし。

さて,それはそれとして・・・やっぱり今回のチケット代は高すぎなのではないでしょうかねえ。
「金返せ」とは全然思いませんが,「もう一度見られるなら同じお金を喜んで払うわ〜」とも全然思えない公演でありました。

(06.5.28)

 

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