龍窓会発足時の状況


 龍窓会は、1983(昭和58)年 9月 3日に発足し、今日まで活動を続けてきました。
 残念ながら、2025(令和 7)年 4月12日を以て活動を休止することとなりましたが、発足当時の状況を参考に記録として残しておきます(文の構成上、敬称を省略しているところがあります)。

1 何故1983年の発足となったのか
 当時西播磨には四つの保健所(龍野、山崎、佐用、赤穂)があり、赤穂以外は副所長が同窓でした(龍野保健所:桑田 脩 中42回生、山崎保健所:窪田 雅 中45回生、佐用保健所:土井富夫 高 1回生。なお、中播磨管内に福崎保健所があるが、当時の福崎保健所は東・北播磨との関連が強く、同窓はいなかった)。
 桑田様は1983年度末で退職する(当時は厳密な定年はなかったが、通常58歳で退職していた)こととなっており、桑田様の送別会を同窓として是非やろう、という動きがあったようです。そのため、前年くらいからあった構想が、桑田様を含めた三保健所副所長を中心に加速化し、実現に至ったものと思います(当初は総会のみで、特に「送別会」という位置づけはしていませんでしたが)。

2 実際の作業
 実務的に取り組んだのは、松本 昇(中49回生 交通災害総合センター)、山本敏雄(高 8回生 山崎保健所)、井口宏幸(高14回生 龍野財務事務所)、栗川正明(高14回生 西播磨福祉事務所)、橋本数子(高15回生 龍野農林事務所)、平田幸子(高21回生 龍野保健所)の諸氏ですが、松本、橋本、平田の三氏が特に熱心に作業にあたりました(漏れている方もあると思いますが、ご容赦ください)。
 会則等については、既に同様の組織があった赤穂高校のものを参考にしています。

3 会の名称について
 名称としては、「赤とんぼ会」「龍高会」「龍友会」「龍窓会」が候補となりましたが、「赤とんぼ会」は他で使われている可能性が高いこと、「龍高会」は旧制中学校、女学校出身者を含まないように感じられるので、不適となりました。
 残り二つのうち、「龍友会」を推す人もいましたが、上記山本敏雄様の「龍窓会のほうが響きが良い」との意見に従い、「龍窓会」に決定しました。
 現在龍野高校の同窓会誌の題名が「龍窓」となっていますが、当時は「龍窓」は、本会以外には使っているところはありませんでした。
 なお、当初の正式名称は「西播磨龍窓会」です。

4 第 1回(設立)総会について
 第 1回総会は、上記のとおり1983年 9月 3日に赤とんぼ荘で開催されました。出席者は63名(会員61名+学校長+同窓会長)でした。
 このときの案内文、次第のトップページを下記に添付しておきます。

 実際の進行を以下に記します。
  司会:      松本 昇(中49回生 交通災害総合センター)
  開会の辞:  赤松愛子(女37回生  幼児教育センター)
  経過報告:  桑田 脩(中42回生 龍野保健所)
  ※おそらくこの時に石原勝也(高28回生)が設立趣意書を朗読 
  会則案提案:窪田 雅(中45回生 山崎保健所)
  役員案提案:松本 昇(中49回生 交通災害総合センター)
  会長挨拶:  尾崎 寛(中42回生 西播県民局)
  来賓挨拶:  学校長
  乾杯発声:  衣笠順三(中44回生 姫路財務事務所)
  閉会の辞: 桑田 脩(中42回生 龍野保健所)
  万歳三唱:  同窓会長
  ※記憶がはっきりしませんが、来賓は学校長、同窓会長の二名
   であったので、同窓会長の万歳三唱も、挨拶(祝辞)を兼ね
   たものだったと思います。
 

 赤松愛子様の開会の辞は、「同窓此処にあい集い・・・」という言葉で始まりました。

 初代会長には、尾崎 寛様(中42回生 西播県民局次長)が就任しました(桑田 脩様と同学年ですが、尾崎様は1984年度末の退職です)。 
 
5 その他
 土井富夫様の卒業回次は、資料によって「中49回生」「高 1回生」の二つがあります。同窓会名簿で確認したところ、「中48回生」「高 1回生」の二箇所に記載されています。旧制中学校から新制高校への過度期であったため、双方に記載されているものと思われます(同様の例が散見されます)。
 「中49回生」は誤植の可能性が高いですが、病気休学等で一年遅れ、中49回生に変更となったが、新制高校発足に際し、当初の中48回生に戻したうえで移行した、ということも考えられます。土井様や近い年代の方から本件について伺ったことがないので、詳細はわかりませんが、次第の発起人欄で「高 1回生」と表記されていますので、当ホームベージではそれに従います(なお、旧制中学校・女学校から新制高校への移行の状況については、姫路西高校の同窓会名簿に詳しく記載されていますので、関心のある方は参考にしてください)。

 当会は当時の西播県民局(現在の中播磨+西播磨)管内に勤務している県職員を対象に発足しため、当時東播磨や本庁等に勤務していた方には案内を送付しておりません。そのため、それらの方々は後日こちらに異動になっても参加していない方が多く、それが残念です。

 また、私は、このときの集合写真を所持しておりますが、写真に写っている方全員の承諾を得ることが困難なため、当ホームページへのupを行っておりません。現在upしている写真についても、掲載承諾を得られなかった方が二人おり、これらの方々については、モザイク加工した状態でのupとせざるを得ませんでした。ご了承願います。

 案内文

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