吉野ヶ里遺跡は弥生時代後期(今から約1800年前)の環壕集落なのです。中でもここの物見櫓は皆さんもテレビや雑誌などで一度は見ているでしょう。
場所は山と海の中間あたりの小高い場所で、敵の侵入を察知するのに有利そうですね。
はっきり言って弥生遺跡を私は軽く見ていましたが(縄文に比べて)、間違いです。良いものは良いのです。いままではどうも血なまぐさいイメージだけが強かったのですが、それだけではないのです。
たとえば土器を見ても東北の弥生時代のそれとは確実に品質が違うように思います。説明員の方の説明では、あの大きな甕棺などは今の技術では作れないそうです。しかも失敗作品はまったく見つかっていないそうです。どういうわけなんでしょう?
またレース編みのシルクの切れ端が発見されているのです。蚕まで飼ってたんですかねー。まったく驚きです。
(でももう少し掘れば縄文関係も出るんじゃないのかなー。)
余談ですがタイトルバナーは失敗写真に手を入れてごまかしてます。
{所在地}
地図に書いてあるとおりです。
佐賀県神埼郡神埼町、三田川町、東脊振村にまたがってます。東脊振インターでおりれば看板がしっかり出てるので安心です。
吉野ヶ里遺跡のそばにこんなに面白い場所があるのです。ここは「天神社」という神社の境内でございまして、舟石(右写真)、亀石、鼻血石(名前の由来がしりたいですね。誰かがこけて顔面ぶつけたとか?)と呼ばれる巨石が転がっております。昭和57年の発掘調査の結果、亀石は弥生時代中期の支石墓(ドルメンみたいなもんでしょうか?)で、鼻血石は5世紀後半の古墳天井石であると決めつけられたようです。
じつは九州の旅で最初にお目にかかった「巨石もの」はこれなので、若干興奮気味で客観的立場をとれずにいたのですが、こりゃドルメンでしょう。支石墓って九州には多いらしいのですが、前からあったものを利用したんじゃないんですかねー。
さらに私としては吉野ヶ里遺跡ひいては巨石パークとの関係が気になってしかたがありません。
素敵な石 | |
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舟石アップ |
鼻血石 |