以下教育委員会の看板
「福島市指定 史跡名勝 文知摺観音
この地は信達札所第二番目の霊地であり、また文知摺石をめぐる伝説の地としても古くから市民に親しまれてきた所でもあります。
この信仰と伝説とが中核となって、この地には長い歳月にわたり堂塔が建立され多くの碑が配置されてきました。その中には甲剛の碑のように由緒がつまびらかでないものもありますが、文永四年(1267年)の文字が刻まれている鎌倉期の板碑や元禄九年(1696年)の福島城主、堀田正虎が文知摺石を顕彰した碑、また信達の俳人たちが京都の俳人、文左房を迎えてたてた芭蕉の句碑など史実が明らかでありしかも当地の文化を跡づける価値が高い物があります。
さらにこれらの堂塔建碑の配置が静寂な自然の中にとけ込み、新緑に映える多宝塔や紅葉の樹下に苔むす文知摺石など、市民が遠い伝説のゆかりを思い民間信仰が生みなした民俗遺跡をしのびながら遊歩するに足る風致をそなえております。かつて都人達が歌枕として詠じ芭蕉が奥の細道行脚ににたちより文人正岡子規や墨客小川芋銭が足を運んだこの地が
市民の憩いのちとして長く保存されることを望んで指定しました。」
というわけなのです。
春は桜、秋は紅葉が楽しめて非常に結構な場所でございます。
こちらが文知摺石でございます。石にまつわる伝説は悲しい恋の物語なのですが(あまり興味がないので省略します)その伝説からこの石の別名が鏡石ともよばれているということです。鏡石って地名もあるし、なんか気になる名前ですね。
右前方から | 後ろから | 真正面 |
こちらが由緒がつまびらかでないとされている甲剛碑です。
書いてある文字がなんだかかっこいいのですが甲剛の古字体であるとされております。なんでも北斗七星を意味するのだとか。
なんともあやしい甲剛碑なのです。
この石も良いですよ。ここに寝そべって桜を見上げたのですが、とっても気持ちよかったです。しかしなぜ「夜泣き石」なのかはよくわかりません。
看板があったような気もしますが写真とらなかったので勘弁してください。
こちらの石は地面からちょっとだけ顔を出しております。
人肌のぬくもりをもつこの石は、雨に濡れてもはやくかわき、雪もあまり積もらないのだそうです。