通称小豆沢の大日堂とよばれるこの神社は正しくは大日霎貴(おおひるめむち)神社です。
社伝によれば今から約1500年前、継体天皇時代に創建されたということです。
創建の話は「だんぶり長者」伝説抜きには語れませんがここでは省略致します。
創建の約200年後、養老2年(718)長者の話を聞いた元正天皇が行基を遣わして大日堂(だいにちどう)を再建させたのだとされております。その落成式のとき奉納したのが,今に伝わる舞楽の始まりなのだとか。
また、だんぶり長者が大日如来にお願いして授かった娘である吉祥姫が両親を菩提を弔うために建立したのが吉祥院(神社から北 100メートルほど離れた所)です。そこには、やがてこの世を去った吉祥姫も葬られ墓標として銀杏が植えられたものが近年まであったそうですが、残念ながら昭和54年(1979)4月3日の台風で倒れてしまったということです。
ひさしぶりに長い能書きでした。
かつては御神木としておじ杉、おば杉の二本が並んで社前に立っていたそうです。しかしおじ杉は数百年前に枯れてしまいおば杉だけが元気に残っていたのですが、昭和24年に火災にあって以来すっかり弱ってしまい、昭和47年にちょんぎられてしまったそうです。
実に惜しい話です。生きてる姿を見たかったなー。
「昔から願い事は一つ、白布で三度なでてから願いをかけ身につけるという」という石です。
どうもこの石はストーンサークルからの流用品としか思えないような感じなんですよね。
先日、大湯の現説に参加していたおじいさんが日時計組石をナデながら「なんかさわると御利益あるような気がするよね」といってたのですが、まさにそれを実行に移してしまった石としか思えません。
大日堂の横の神社前には茅輪がおいてありまして人形に名前と生年月日を書き、作法に従ってわをくぐって人形を奉納するという茅輪神事が行われています。作法は現場に書いてあるので大丈夫。
落ち葉が敷き詰められたような境内はとてもきれいでした。