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江戸より2里。板橋という名前は宿中程の石神井川に架かる橋を板橋と呼ぶことに由来する。入口から平尾宿、中宿橋から先を上宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼ぶ。中心は本陣や問屋場、旅籠が軒を並べる中宿である。日本橋が各街道の形式上の出発点であるが、実際は品川、千住、新宿、板橋の各宿が出発点で各宿は見送り人、飯盛り女目当など人で非常に賑わった。本陣1 脇本陣2 旅篭54程度 |
![]() ■板橋宿入口国道17号線を横切ると板橋宿入口になる。宿内は商店街になっており標識も出て分りやすい。右手に観明寺があり入り口に寛文元年(1661)の庚申塔がある。案内板によれば青銅金剛像としては区内最古であるという。 ■中 宿 板橋宿中心の所。日曜日で人では結構あった。ライフがあるところ本陣跡らしいが記念碑など見落とす。 |
![]() ■板 橋石神井川にかかる板橋の地名の起こりとなる。江戸時代に架けられた橋は長さ9間、幅3間の緩やかな太鼓橋で、「江戸名所図会」にも描かれている。日本橋から十粁六百四十三米」と書かれた標柱と説明板が立っている。 |
![]() ■縁切り榎木いつのころからか、この木の下を嫁入り、婿入りの行列が通ると必ず不縁になるという信仰が生まれたとのこと。 皇女和宮が一行が通過する際には菰で包んで見えないようにしたといわれる。又迂回したという説もある ■志村一里塚 対の完全な形で残る。ここまで日本橋から三里約12q。昭和初期に石垣で補強されて現在の姿となっていてよく保存されている。 |
![]() ■清水坂志村坂上附近で旧街道は左斜めに入っていく。この先に最初の難関の急坂である清水坂がある。道は右左して坂を下る。ここから富士山が良く見えたといわれる。 ■戸田橋 17号線を戸田橋で渡る。昔は渡船で橋から100m下流に渡し場があった。この地点にある水神社。ここから先はしばらく旧街道は消滅してしまう。17号線が左へカーブするところが蕨宿です。 |
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