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| 22.23鳥沢宿 上鳥沢宿 と下鳥沢宿 の二宿に分かれる。いずれも国道20号に面していて、宿場制定時から道幅を広く仕切ってあり、そのため国道が突き抜けても、宿場の建物群がそのまま残った珍しい宿であったといわれる。下鳥沢宿と上鳥沢宿は隣接した合宿で、5町(約550m)程しか離れておらず、継立、問屋業などは半月ずつ交替で行われていた。 下鳥沢宿は、本陣1、脇本陣2 、旅籠11。上鳥沢宿は、本陣1、脇本陣2軒、旅籠13。 |
![]() 2007年7月29日。鳥沢駅着。小さな駅で駅員は1人だけ。本日は笹子駅まで行きたい。大変蒸し暑い日でお茶とかを3リットルくらい飲むことになった。下鳥沢宿は前回通過している。駅あたりから上鳥沢宿が始まる。 ■上鳥沢宿「叶屋」跡 9:00 駅から街道へでて左に折れてすぐの所の旅籠風のもの。明治20年代の建物らしいが、「甲府商人定宿・世話方」という看板が二階にあるはずであるが、掛かっていなかった。 ■本陣跡 明治天皇駐蹕地碑が立つ井上本陣跡。一帯が跡地で、現在の家は全く別人のものといいます。 |
![]() ■馬頭観音この先三栄工業の看板の所で右折して行く。まもなく石段の上に馬頭観音の碑があり、小川を渡り再び国道と合流するが、正面に対岸には新興住宅の塊が見える。 ■四季の丘 猿橋の四季の丘という新興住宅。最寄りの駅は猿橋だと思うけどちょっと不便かも |
![]() ■宮谷橋から猿橋まで国道と合流して猿橋へ向かうが、この先が問題。「今昔三道中独案内」には何も記述がなかったので、国道を進んだが、どうも国道を横断し、宮谷橋の手前で、左側の脇道を下るコースを取るのが旧道らしい。道路の向こう側にはウルトラマンがたくさんいるレストランがあった。 |
![]() ![]() ■猿 橋 9:55今日の目玉の史跡で、一度見たかった場所の一つ。「昔、推古帝の頃,百済の人、志羅呼。この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る」という伝説があります。当時、日本に渡来した百済の職人が、猿が梢づたいに川を渡るのをヒントに作ったと言われ、橋の長さは31m川面まで30m、高度恐怖症の身としてはのぞくことが厳しい。現在の橋は昭和59年に総工費3億8千万円で掛け替えられたもの。 |
![]() ![]() ■新猿橋1932年に上流に新猿橋が造られ、歴史的鋼橋としている。 ■芭蕉句碑 かれ枝に鴉とまりけり秋の暮 ■水路橋 八ツ沢発電所一号水路橋。東電管理の水路。この先の駒橋発電所で利用した水を下流にある上野原八ツ沢地区の発電所で有効利用するために架けられたもの。 |
| 24猿橋宿 江戸時代、岩国の錦帯橋(きんたいきょう)、木曽のかけ橋と共に三大奇橋「猿橋」の見物人で賑(にぎわ)った宿場 本陣1 脇本陣2 旅籠10 猿橋−殿上−駒橋発電所−駒橋宿 2.3km |
■猿橋宿の町並み宿は普通の町並みで、旧家らしき家は見あたらない。宿を出ると桂川沿いに西に向かう。団地脇に大月市郷土資料館がある。時間がなくて入館はしなかったけれど、猿橋の模型などがあるようだ。猿橋駅前の宮下橋脇にあるのが三島神社。 |
![]() ■三島明神 10:25隣は公民館で参議院選挙の投票所になっていた。祭神(大山祗命)由来を記す物はは何もない。本殿横に土俵があったりする。本殿、拝殿とも新しいと思うが、本殿は朱色に塗られ、彫刻が結構見られる。 |
![]() ■駒橋旧道神社か南方へ曲がり、線路を渡る前のカーディーラー横を右折していく。前方は東京電力の建物が建つ。 ■駒橋発電所 10:40 駒橋発電所 明治四十年(1907)に東京電燈が建設した。出力1万5000kwで当時日本最大の水力発電所だった。道から見下ろすと赤い発電用水車が保存されされているのが見える。送水管は間近で見ると結構不気味。 |
![]() ■発電所の変電設備建設されてから、東京の早稲田まで75km、55kvの高電圧送電を開始したそうで、高電圧、長距離送電の先駆けとなった。発電所本館は取り壊され、発電気室は改修されていて、当時の姿は残されていない。 ■人工の滝? そのまま道を下りていったら橋に出てしまい、間違いに気がついた。そこには滝があり、こりゃなんだと思ったら、やはりここも東電の水路が滝のように流れていた。旧道は送水管のすぐ先を左に入るようで、戻るのもしゃくだし思ったら右側にジグザグ道が付いていたので登っていった。この辺りの旧道は分断されている。 |
![]() ■中央線第五踏切登っていくと、第五甲州街道踏切に出、中央線を渡ります。渡ると国道へ合流します。 ■駒橋宿入口 10:50 国道に出るとすぐ、右へ入る道があり駒橋宿入り口になります。 |
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