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| 12駒木宿 駒木野宿は、関所に付随する簡易宿場というような位置付けだった。 、本陣1、脇本陣1、旅籠12 |
![]() 2007.02.12 八王子より続く(撮り忘れの写真があったので、2月18日雨の中追加歩きしました。) 国道20号線、JR尾駅前を過ぎ、ガードをくぐって右折すると(西浅川交差点)駒木野宿に入る。国道の方はまっすぐ進み大垂水峠を越えて行く。旧道の方は車はぐっと少なくなり、本陣、脇本陣跡とか本には書いてあるが、案内板などはなく通り過ぎてしまう。もう少し街道図とか案内板がほしいところ。古い民家などが点々と残ってはいる。 |
![]() ★駒木野関所跡小仏関所は戦国時代は小仏峠に設けられていたが、徳川幕府になり重要関所として現在地に移された。関所の通過は、明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)までとし、手形を必要とした。この手形を番所の前の手形石(奥の石)に並べ、手つき石(手前の石)に手をついて許し待ったという。関所図によると東側から橋を渡り西側へ出る。石などはここの位置に置いてあったわけではないようだ。この関所は明治2年(1869)に廃止された。 |
★駒木野宿記念碑関所の近くに関守を勤めた4家が住んでいた。御定番として、川村文助、小野崎松次、佐藤庄太夫、落合貞蔵の名前が記されている(新修五街道細見)。それらしい表札の掛かる新旧の建物が2.3軒並んでいる。個人宅なので写真を撮ることはしなかった。 駒木野宿は、関所に付随する簡易宿場というような位置付けであった。 |
![]() ★念珠坂石碑この辺りから道は下り坂となり、左手にいろいろな石仏などの石碑が並んでいる。その右端に甲州街道念珠坂と刻まれた石碑があるので、この坂をいうのだろうけどたいした坂ではなく昔はもっと急坂だったかもしれない。 ★市立浅川小学校上長房分校 東京に残る最後の分校。本校は高尾駅前にある。学校のHPによると、平成19年3月に閉校になるようです。 |
![]() ★旅籠屋「ふぢや新兵衛」バス停「蛇滝」付近にある旧旅籠。「細見」に載っている旅籠だが現在は無人の建物のようです。蛇滝で水行を行う人が軒下に講のの名前を彫った札が並んでいる。右手に「上行講」と彫った道標も残る。蛇滝まで八丁。蛇滝で水行を行う人達が講を組んでやってきた記念ということで掛けていった物でしょう。 |
![]() ★湯の花トンネル列車銃撃遭難者慰霊碑同じバス停前に小さな案内板が架かっており、案内に沿って線路の方へ上がっていく。地元青年団が建てた慰霊碑がある。 (八王子郷土資料館資料より)・・・・1945年8月5日、中央本線湯の花トンネル付近で、列車がアメリカ軍の戦闘機P51に銃撃される事件が起きました。2日の八王子空襲で線路に被害を受け、運転が再開されたばかりだったため、列車は長野、山梨の疎開地に向かう人で満員で、死傷者は900名以上となり、列車銃撃事件としては日本最大の被害を出しました。・・・事件は甲府方面行き列車だったので下りトンネルを撮ったが、当時は単線で現在の上りトンネルが正しいらしい。 |
![]() ★工事中の圏央道圏央道のジャンクションがトンネルあたりに来ており、工事現場が目立つ。天狗の図柄の建設反対の看板なども立っており、ここから高尾山へトンネルを掘るということか。休日だからか、反対運動によるのか工事中らしい雰囲気ではない。 ★高尾山登山口への道標 蛇滝口バス停の先にある道標。左の大きい方に高尾山登山口道と彫ってある。高尾山は昔はここから登っていったのかもしれない。蛇滝はこの先の高尾山の山腹にある。蛇滝には水行を行う道場があるということです。興味があったがちょっと遠いので行かれなかった。 |
| 13 小仏宿 本格的な峠越えの手前に位置するが、本陣、脇本陣はなく、旅籠が11件あったのみである。地名の由来は頂上に小さな石地蔵があったためとか、この地の大日堂の本尊は土中出現の小像のためとかの説がある。 |
この先は摺差(するさしという地名になる。)摺指町会館という建物もあり、差と指の使い分けはよくわからない。住民のほとんどが峯尾姓だそうでここの特徴の一つとしてあげられる。バス停手前に豆腐屋さんがある。浅川国際マス釣り場とか、を見つつJRのガードを過ぎると小仏宿になる。小仏バス停を過ぎても依然として舗装路であるが、傾斜がさらにアップする。その先にある寺が寳珠寺です。 |
![]() ★寶珠寺15世紀の開基と伝わる臨済宗南禅寺派の寺で、断食道場としても知られている。 本堂へ登る石段左手の斜面地には、写真は撮らなかったが都天然記念物のカゴノキの木が生え、大きく葉を広げていた。 本堂はこぢんまりとした山寺らしい質素な風情だが、前を通って一段上方に★不動堂がある。この寺には甲府三度飛脚仲間が寄進したという常夜燈があるようですが確認しなかった。 |
![]() ★小仏峠登り口ハイキングコースになっている。急坂だし、石ころばかりで歩きにくい。こんな所を大名行列が通れるとは想像できない。帰宅してGPSで確認してみたが旧街道としてあらかじめ入力しておいたコースとは微妙にずれている。昔の道とは違うのかもしれない。 ★小仏峠頂上 頂上まではそんなに時間はかからなかった。冬でも少し汗をかいた。茶屋が2軒あるが営業はしておらず、廃墟同様となっている.。東京と神奈川の境界が走っている。 |
![]() ★小仏峠標柱狸の置物と一緒。頂上560m ★峠の地蔵 脇に説明があり、この地蔵は、昔この地に関所があった頃、道行く人の安全を願って建てられたものだという。隣には庚申塔が建っており、花もそえられている。維持管理は茶屋の主人のボランティアによるものだというが店もないのにどうしているのだろう。 |
![]() 茶屋の脇を抜けて先に進む。茶屋を抜けてすぐのところに、小仏峠頂上の石碑が立っている★明治天皇行小仏峠小休止跡碑 道標に沿って下り始める。登りは石ころばかりであったが、下りは程よく落ち葉が積み重なって、ショックを和らげてくれる。さらに下ると舗装道路に出る。右手は中央高速の音がうるさい。右は美女谷温泉へ行く道となっている。街道迂回路の看板があって迷ったが一応予定通り左手の道を下ることとした。 |
![]() 左手を行ったが、細見に出てくる「板はし」はなく、道沿いに行きJRガードに出た。迂回路はここで合流している。やがて現在の甲州街道に出て、底沢のバス停から小原宿へ入る。本陣の手前に「小原の郷」という小原宿の資料館があった。旧道の説明図などは展示されていたが、地図などもらえたら良いなと思いました。本陣が冬場は3時までということで閉まっていたので、次回来ることにして相模湖駅へ直行した。街道は少し国道の左右を回りながら通っているらしい。次回は本陣から始める。本日の距離、八王子駅から相模湖駅まで23.8km |
| 小仏峠から小原本陣までの街道について。 小仏峠から舗装道路へ降りる道から小原本陣までの旧道は中央高速とJR線の為、残っていないようです。現 状では2本道があり 1 案内板のとおり右折して、美女谷方面から高速道の下をくぐって、JRガードに合流する道。 2 左折して舗装道を下っていき、ガードに合流し底沢バス停へ出る道(「甲州道中独案内」(今井金吾)では板 はしを渡りその先ガードをくぐるとあるが、この道も歩けない。) 今回2の方法で歩いたが、どちらも正しくないようで 小原資料館で旧街道の地図を見ると、旧道は中央高速の下を左右に蛇行し、小原本陣の裏へ出てくるよう です。この旧道は残っていない。 |
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