MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
西安(中国)
化覚巷 清真大寺

神谷武夫

化覚巷清真大寺


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中国への イスラームの伝来

 中国に イスラーム教徒が約 2,000万人もいることは あまり知られていない。他の国とちがって、イスラームによる軍事的征服があったわけではないので、中国全体がイスラーム化したこともなければ、ムスリムによる中央政権ができたこともないからである。上からのイスラーム化が行われなければ、国家財政によるモニュメンタルな造営も行われない。常に民族的なマイノリティであれば、むしろ信仰を保ち続けること自体が困難なこともあった。

化覚巷清真大寺
化覚巷 清真大寺の鳥瞰図

 中国にイスラーム(伊斯蘭)が伝えられたのは、主として交易活動を通じてであり、また 17世紀以降のスーフィーの修行者による伝道によってであった。伝播路には海路と陸路があり、海路は太平洋沿岸の諸都市、広州や泉州から広まり、陸路は中央アジアから中国北西部の 新疆ウイグル地方に伝えられた。唐代のウイグル族は音韻で回鶻あるいは回紇と書かれ、転じて回回となった。その後ウイグル族は 10世紀頃からイスラーム化したが、回回の語はもっと広く イスラーム教徒全体や西方の諸地域をもさすようになった。しかし元代からはムスリムをのみ示す呼称になったので、イスラーム教は回回(フイフイ)教、 あるいは略して回(フイ)教と呼ばれることになった。
 中国内地の回族は 漢族との通婚によって中国語を話し、外見上は 漢族とほとんど区別がつかないのであるが、そのイスラーム信仰とそれに伴う習慣によって、ひとつの民族として扱われている。今ではウイグル(維吾爾)族のほうが、回族とは別のムスリム(穆斯林)の民族とされる。イスラーム教は 清真教とも呼ばれたので、モスクは 清真寺(チンジェンスー)、金曜モスクは 清真大寺(チンジェン・タースー)というのが普通である。(明代には 礼拝寺と呼ばれていた。清代から 清真寺と呼ばれるようになったが、北京の中心となるモスクは 今でも 牛街礼拝寺という。)


唐の長安

鳳凰殿

 新疆地方には ムスリムの地方政権が打ち立てられたこともあったから、トルファンやカシュガルなどの諸都市に、隣の中央アジアにおけるのと同じスタイルのイスラーム建築が建てられもした。しかし、中国本土では 君主の命でモスクが造営されるということがなかったので、民衆の建築の方法、すなわち仏教や道教による中国伝統建築の様式を借りる他なかった。それが亜熱帯地域ではない、中国の風土にふさわしい方法でもあった。
 マッカの方向に向けること、偶像を置かないこと、アラビア語のカリグラフィーが見られることを除けば、他の宗教の寺院とほとんど区別がない。ここに 世界でも珍しい、瓦葺の大屋根をかけた 木造のモスク建築が中国各地に建てられたのである。

 かつては数万のモスクが中国にあったが、戦乱と、とりわけ文化大革命によって 多くが破壊されてしまった。現在残るモスクで 最も規模が大きく保存もよいのは、西安(シーアン)の化覚巷通りにある清真大寺である。(中国ではモスクに固有名詞がつけられることが少なく、北京の「牛街礼拝寺」のように、しばしば前面道路の名を付して呼ばれる。)

 唐の長安の時代に最初のモスクが創建されたあと、何度も増築や改築をへて、現在のものは 18世紀の清朝時代の建造と伝えられる。 50m×250mという長大な敷地 (12,000㎡) に、マッカに向けて中心軸を通し、完全なシンメトリーに建物群を配列している。静謐な境内は格調高く、継起する庭と建築との みごとなアンサンブルを見せてくれる。

礼拝大殿

中国化したモスク

 境内全体は高い塀で囲まれ、さらに手前から奥へ4つの部分(進院)に区画され、それぞれの仕切りに 門をもつ。各進院は中庭的ではあるが、中東におけるのとちがって、中庭を空間的に囲いとったという印象は薄い。第3進院に省心楼と呼ばれる 明代の三層の八角堂があり、これがミナレットの役割を果たしていたらしい。
 一番奥の第 4進院に礼拝大殿があるが、手前の月台(テラス)は回廊で囲まれてはいない。まるで道灌や仏教寺院の印象の建物であるが、内部に入ると 仏像や聖人像がまったくない ガランとした木造列柱ホールなので、初めてモスクとわかる。大面積の礼拝室を実現するためには、しばしば複数の棟を前後に並べるが、さらにその奥に部屋を突出させ、マクスーラのようなミフラーブ室にするのが特異である。

  
清真大寺の小庇と壁面彫刻

 毛沢東の死後、中国のイスラームは復興の道にあり、国の援助を受けて 諸所で新しいモスクが建設された。それらは西安のような中国化した伝統様式をとらず、西方のドーム建築を採用する傾向がある。しかし新興イスラーム国と同じように、組積造建築の伝統のない地では、ドームが単なる記号と化し、ハリボテ的な建物となりがちである。

(2006年『イスラーム建築』第1章「イスラ-ム建築の名作」)


礼拝大殿の側面 立面図 (右が後窰殿)
(From the Website "Great Mosque of Xi'an, Digital Library, ArchNet" 2008)


礼拝室の内部

 中国型のモスクの礼拝室は、大殿、礼拝大殿、礼拝大堂などと呼ばれる。 外壁は黒い土のレンガである塼(せん)でつくられていても、内部は原則的に 木造の列柱ホールである。大きなモスクでは 水平の天井が張られずに、雄大な小屋組みが顕わしになっている。かなり大きなスパンで梁を架けていても、柱が林立する列柱ホールと ならざるをえない。しばしば ミフラーブ室が外部に張り出して 独立した部屋のようになっているのは、中国式モスクの大きな特徴で、これを 後窰殿(こうようでん)という。
(その原因のひとつと考えられるのは、大きなモスクの場合に、あまり巨大な屋根を架けるのは経済的でないし 空間のヴォリュームも大きくなりすぎるので、いくつかの棟に分けて、前後に並列させたことにある。その場合に、ミフラーブのある最奥の棟は 必ずしも礼拝室の室幅と同じでなくともよいので、もっと短くしがちで、そうすると 独立したミフラーブ室の印象を与えるのである。特に正方形に近いプロポーションとなると、その印象が強くなる。小規模なモスクにおいては すべてが一棟に納まるので、ミフラーブ室が 突き出ることはない。)

礼拝大殿の内部

 礼拝室の内部は 通常は木部は白木か、単色で塗装されているが、北京の牛街のモスクのように 派手に極彩色で塗装されているものもある。諸所に掲げられた額には 仏教寺院や道灌のように 漢字で、イスラームの理念を表すような標語が書かれているが、奥のキブラ壁には アラビア語が書かれていることが多い。

( 2004年12月 )


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