MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
スルタンハヌ(トルコ)
隊商宿 (キラヴァンサライ)

神谷武夫

キャラヴァンサライ


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ルームのセルジューク朝

 中央アジアに定住していた トゥルクマーン族の セルジュークとその一族は、10世紀後半に西方に移住して 勢力を広げるとともに、イスラーム化していった。その孫の トゥグリル・ベクが イランにセルジューク朝(1038-1194)を開くと、バグダードのハリーファから、政治と軍事の王として「スルタン」の称号を受けた。一方、その従兄弟のスライマーンは アナトリア半島(現在のトルコ)に進出して ガズナ朝を破り、ルームのセルジューク朝(1077-1308)を興す。ルームとは ローマのことで、それまでのアナトリア地方が東ローマ(ビザンティン)帝国の領土だったので、その地方 および そこに住む人びとは ルームと呼ばれていたのである。ここに、いわゆる セルジューク・トルコ王国が生まれ、以後現代に至るまで、アナトリア地方には トルコ族が定住することになった。

  
キャラバンサライの入口のイーワーンと、中庭を囲む回廊

 首都は 中央部のコンヤで、12世紀から13世紀にかけて 大いに繁栄した。ルームのセルジューク朝の 最盛期を築いたスルタンのひとり、カイクバード1世は 国内の交易路(キャラヴァン・ルート)の整備を計った。とくに 内陸部のカイセリから アクサライや首都のコンヤを通って 地中海沿岸に至る街道には、今も 多くの隊商宿が残っている。なかでも アクサライ近くのスルタンハヌと カイセリ近くのスルタンハヌは 最も堅固で規模も大きく、いずれも カイクバード 1世の寄進になる。
 キャラヴァンサライ(トルコ語ではケルヴァンサライ)という呼称は ペルシア語に由来するが、トルコでは「ハーン」と呼ばれることが多く、スルタンハヌとは、スルタンの造営による「王立隊商宿」の意である(名詞が続く場合に、後続語の綴り変化で ハーンがハヌとなる)。


カイセリ近くの スルタンハヌのキャラヴァンサライ 平面図
これは もう一つのスルタンハヌの隊商宿であるが、ほとんど同じプランをしている。
(アンリ・スチールラン「イスラムの建築文化」1987 より)


キャラヴァンサライ(ハーン)

 アクサライから一日の行程にあるスルタンハヌは、2mほども厚さのある 頑丈な周壁で囲まれている。周壁には入口が1ヵ所あるだけで、他には銃眼のような 細長いスリット状の窓が多少あるにすぎない。隊商が安心して泊れるよう、盗賊団に対する防御性本位につくられた、要塞のような実用建築である。しかし 正面の扉口は シリア風の 精度の高い石造で、上部には 装飾的なムカルナス (鍾乳石飾り) の彫刻がほどこされている。これは モスクやマドラサ、あるいは宮殿の入口と 何ら変わることがない。

  
キャラバンサライの中庭の現状と、修復前の姿

 この内部には 矩形の中庭が広がり、回廊で囲まれている。左手のオープンなスペースは ラクダや馬などの世話をする所で、右側には 管理施設と厨房やハンマーム(浴室)、商人の室などがあった。モスクの場合と同じように 中庭の中央には水場があり、その小堂の2階は 小礼拝室(メスジト)である。堂の壁面は、彫刻家が アラベスクの浮き彫りに腕をふるった。
  中庭の奥にあるのが、アラブ型のモスクにも似た 列柱ホールの宿泊室で、24本の剛柱が立ち並ぶ。ここで 隊商は荷を下ろし、ラクダも運搬人も 夜を過ごしたのである。


アルメニアの影響

 ところで アナトリアというのは 大部分が標高 1,000mを超える高原で、亜熱帯のアラビアやペルシアと異なり、冬は じつに寒い。その寒さをしのぐべき ハーンの宿泊室が、天井高さ 15mの大広間で 仕切りもないというのは、いかにも機能的でない。一方、壁も柱も みごとな截石法で注意深く積まれ、しかも奥行きの深い5廊式の大空間は、まるでキリスト教の聖堂のような印象を与える。

  
列柱ホール(宿泊室)の内部と、ドーム天井

 トルコ人は もともと中央アジアの遊牧民であったから、農耕定住民のようには 建築文化を発展させず、技術の持ち合せもなかった。それが アナトリアに定住して建設活動を始めるのだから、現地の建築家や 地場の技術をもった職人に頼らざるをえなかった。中東で 最も石造建築を発展させていたのは シリアとアルメニアである。そしてアルメニア人は 戦乱で祖国を失い、離散の民となって中東に流亡していた。この建築の民が、新興セルジューク朝の建設活動を担ったのは 必然だった。世界で最初にキリスト教を国教とし、高度な教会建築を発展させていた アルメニア人が主導したからこそ、アナトリア各地に建てられた セルジューク朝のキャラヴァンサライは、アルメニア聖堂のような姿をしているのである。

( 2006年『イスラーム建築』第1章「イスラーム建築の名作」)


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