MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
イェルサレム(パレスチナ)
岩の ドーム

神谷武夫


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第三の聖都、イェルサレム

 マッカ(メッカ)とマディーナ(メディナ)に次いで、イスラーム世界3番目に重要な聖地が イェルサレムであり、そこに建つのが 岩のドームである。ウマイヤ朝が アラブ帝国の統治権を奪って、シリアのダマスクスに遷都したのは 661年であったが、これに反対する勢力は 683年に 対抗ハリーファを立てて、マッカとマディーナを 693年まで支配した。

岩のドーム
モリアの丘に建つ岩のドーム

 この間、2大聖地を失ったウマイヤ朝は、それに匹敵する聖地を パレスチナのイェルサレムに求めた。そこは イスラームが兄弟宗教であると認めた ユダヤ教とキリスト教にとっての最大の聖地であったし、また『クルアーン』には 預言者ムハンマドが マッカから「夜の旅」(イスラー)をして「遠隔のモスク」(イェルサレム)に至った と記されている。さらに『預言者伝』などでは 大天使ガブリエル(アラビア語では ジブリール)に導かれて、そこから「昇天」(ミウラージュ)して 神に対面してきた という伝説も記されている。しかも 最初期のイスラームでは、信者はマッカでなく イェルサレムに向かって礼拝していたほどだから、ここを マッカに代わる枢要な巡礼地とすることには十分意味があった。

モリアの丘の聖域図、イェルサレム

 聖都イェルサレムには「聖域」(ハラム・アッシャリーフ)と称される モリアの丘があり、そこは かつてユダヤ教のソロモンの神殿が建立された「神殿の丘」でもあった 。ウマイヤ朝の時代、神殿が破壊されて久しい丘には、地面に岩盤が露頭している所があった。この岩(サフラー)こそ ムハンマドが天馬ブラークに乗って昇天をした場所であるとされ、また大昔に ユダヤ人とアラブ人の共通の祖先であるアブラハム(イブラーヒーム)が、息子イサクを 神に捧げようとした岩でもあるとされた。

  
アーケード越しに見る岩のドームと、南西壁面


最初のイスラーム建築

 ウマイヤ朝の第5代ハリーファ、アブド・アルマリクは この岩を聖遺物のように見なして、この上にドーム屋根を架けて イスラームを代表する記念堂とすることを命じたのである。それは キリスト教の殉教者廟(マルチリウム)のような八角円堂であり、イエスが磔刑にされたゴルゴタの丘に建つ 聖墳墓聖堂に対応するイスラーム聖堂でもあった。
 聖なるものを礼拝するのに、その周りを歩いてまわることは 世界各地で行われるが、インドとちがってイスラームでは 左方向に回るのを常とする。建築家は 聖なる岩のまわりに 二重の周歩廊をめぐらせて これに充て、岩の上には直径 20mの木造ドーム屋根、周歩廊には 木造の勾配屋根を架けた。

岩のドーム 模型写真と平面図
(上:From David Kroyanker ”Jerusalem Architecture" 1994)
(下:アンリ・スチールラン『イスラムの建築文化』1987 より

 イスラームにとっては 最初の記念的な建物であるだけに、まだイスラーム建築は確立していず、この地の伝統であった ビザンティンの美術と建築の技法を大幅にとりいれた。剛柱の間に円柱を配して アーチで結んだアーケードをつくり、壁面は 金地の華麗なガラス・モザイクで飾る。いまだ幾何学のアラベスクは発展していなかったので、紋様は 樹木やブドウの蔓草、王冠など 具象的である。しかし アーケードの上部には文字列が 1行めぐり、神の偉大さをたたえ、ムハンマドが神の使途であることを宣している。のちにカリグラフィー(書道)が イスラーム装飾の主要素となることの予告である。
 この華麗なモザイクで飾られた集中式の円堂は、信者たちに 天上の楽園を象徴するような豪華さを感じさせたにちがいない。金色のドームの外観とあわせて、一度見たら忘れることのない、イスラーム世界の求心的なモニュメントを実現したのだった。

  
岩のド-ムと、サンタ・コスタンツァ廟堂の内部


シリア・ビザンティンの影響

 建築の構成は、ここから ほど近くにある キリスト教の聖墳墓背祠堂との深い類似性が指摘されている。二重の周歩廊をそなえた円堂(ロトンダ)であること、ドームの直径が 20.4mであること、中心に 聖なる岩を置いていること、円堂の向かいに バシリカ式の礼拝堂を設けていること(一方は復活聖堂、他方はアクサー・モスク)等である。
 つまり、この岩のドームは 建築的構想から細部の装飾に至るまで、シリア・ビザンティン美術と建築の深い影響下にあり、そのことは 建築家からモザイク職人に至るまで、先行文明のスペシャリストを招聘したことをうかがわせる。イスラームが拡張した世界各地で、ムスリムは そのようにして先行文明を受け継ぎつつ、次第に独自の建築を発展させていったのである。

( 2006年『イスラーム建築』第1章「イスラ-ム建築の名作」)


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