MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
カイラワーン(チュニジア)
大モスク (シディ・ウクバ・モスク)

神谷武夫

カイラワーン


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ウマイヤ朝の軍営都市、カイラワーン

 エジプトからモロッコに至る 地中海沿岸地方の大半がイスラーム軍に征服されたのは7世紀だが、その地方とはサハラ砂漠で隔てられた 中・南部アフリカ(ブラック・アフリカ)がイスラーム化するのは 11世紀以降のことになる。 したがって地中海沿岸部は、いわゆる「アフリカ」のイメージとはずいぶん異なり、アラブ化も進んだので、むしろ中東世界に近い地域となった。 実際、初期イスラームの時代には、ダマスクスのウマイヤ朝や バグダードのアッバース朝によって支配されたのだった。

 北アフリカの中央部 (現在のチュニジアを中心として、リビア西部とアルジェリア東部を含む)は「イフリーキーヤ地方」と呼ばれ、その中心都市のカイラワーンは ウマイヤ総督によって 670年から 675年にかけて建設された。 カイラワーンというのは軍営都市(ミスル)を意味し、エジプトのフスタート(現在のオールド・カイロ)などと並んで、征服地を支配する基地となる町であった。

 9世紀になって、アラブ人が 現地のベルベル族を従えてアグラブ朝を建て、カイラワーンを首都とすると、この町は 北アフリカにおける政治、経済、文化の中心地として 大いに繁栄した。金曜日に集団礼拝をする大モスクは、軍営都市の建設時に 日乾しレンガ造で創建され、創建者の名をとって シディ・ウクバ・モスクと呼ばれた。しかし現在のものは ジヤーダト・アッラーフ1世によって 836年に造営され、862年に最終的な形になったものである。

  
大モスクの外観と、ミナレットの扉口


「外観」を重視しないイスラーム建築

 モスクの礼拝室は石造で建てられたが、境内全体の外周壁は レンガ造である。このモスクにアプローチするとき、我々は またしても驚くことになる。建物の外観として見えるのは、荒いレンガ積みの無表情なバットレス(控え壁)の連なりであって、このバットレス群には 外周壁の堅固な補強という構造的役割以外の いかなる美的な意図もこめられていない。
 建設者たちは、建物を外から見たときに、造形的でモニュメンタルなものにしようという意欲を、まったく持っていなかったように見える。


カイラワーンの大モスク、平面図
(From Alexandre Papadopoulo, "Islam and Muslim Art", 1976)
礼拝室の中央スパンは幅が広く、高さも高い。
またキブラ壁に沿ったワン・スパンも同様なので、あわせて
T字形となり、マグリブに特有の「T字型プラン」となる。

彼らがめざしたのは、あくまでも 整然として調和に満ちた中庭や 立派な内部空間を囲いとることであって、いわば 外に自己顕示するのではない、内面の豊かさを追求する姿勢なのである。おそらく往時には、モスクの外周に 町並みの建物が びっしりと貼りついていたのだろう。そこには、そもそも 建築的外観さえも 存在しなかったのである。
  こうした内向きの性向は、イスラーム教という宗教の性格に 深く根ざしたものであったが、それは イスラーム軍の急速な拡張や征服活動とは、ずいぶんと矛盾したもののようにも思われる。

  
大モスクの礼拝室正面と、小ドーム天井


最初期のモスク建築

 中庭を囲む建物は、初期イスラームのものであるだけに 飾りけが少なく、謹厳な印象を与える。その単調さを破るのは 北側の大きなミナレット(礼拝の呼びかけをする塔)と、南側の礼拝室中央にかかる 小ドーム屋根である。
 当初は境内の外に 独立して建っていたらしいミナレットは、中庭の拡大によって 西回廊の中央に位置するようになった。イフリーキーヤからスペインにかけてのミナレットが すべてそうであるように、円筒型ではなく 角筒型をしていて、量塊的なマッスの壁の中に 螺旋階段を包んでいる。ローマ時代の サラクタの灯台を模しているとも言われた。これに相対する 礼拝室の小ドームは目的不明で、これが唯一、建物を造形的にしようとした 飾りなのかもしれない。

  
中庭を囲む回廊と、礼拝室のミフラーブ


礼拝室内部

 礼拝室は アラブ型の列柱ホールで、白大理石の柱群は ローマ時代の建物から取ってこられた。単なる列柱ホールに メリハリを与えようとしたのは、さきほどの小ドームが載る中央の身廊が 他よりも幅広く、天井も高くなっていることで、マッカに向かう方向(キブラ)を強調している。そして最奥のミフラーブの手前に もうひとつの小ドームを配し、ここからキブラ壁に沿って横方向に伸びるスパンも幅広にすることによって、全体に T 字型の動きを与えた。この方式は西方イスラームの諸所に見られたものの、とくに傑出したスタイルに育つことはなかった。

( 2006年『イスラーム建築』 第1章「イスラーム建築の名作」)


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