風
48号

'07 12月1日

〈終身刑問題〉をめぐって

水田ふう


ここんとこ、もうふた月以上も終身刑のことばかり朝から晩まで、寝てもさめても思いつめ状態で、他になんもできんかった。それで、十月十三日の「死刑廃止」東京集会と、十一月三日四日と埼玉であった「死刑廃止」合宿にも行ってきた。みんなはどんなふうに考えてるんやろ。わたしはどうしても「終身刑導入」のはなしには賛成でけへん、それで……。

この「終身刑」論議は、十年まえごろから言われ出していた。

死刑廃止法案を国会でとおすためには、死刑に代わるものとしての代替刑――「終身刑の導入」が、死刑廃止議員連盟の亀井静香さんや、議員連盟に働きかけていっしょに死刑廃止を実現させようとがんばっている菊田幸一さんや「死刑廃止フォーラム・東京」のなかからも言われ出した。

わたしにしてみたら、代替刑をいうなら、「死刑」に対する「廃止」がなによりも「代替」なんやから、こっちから「終身刑導入」を持ち出すなんてとんでもないことやった。そもそも刑罰いうのは国家安泰のため治安のためいうて、権力がわたしらを脅すための法律やんか。それをこちら側から終身刑はどうか、無期はどうかなんて他人の運命を左右する議論を、治める側といっしょになってするいうこと自体、わたしには考えられんことなんや。

それで当時の「風」(一三号、一九九六・一・三〇)に、反対の意見をちょっと書いたんやけど、その是非をめぐって、自分自身の主義主張立場以上のことを強く主張するようなことになれば、いままでおおくの運動体がくりかえしてきた〈対立・分裂〉をつくりだすだけやと思って、わたしはそれ以上論議に参加したり介入したりすることを避けてきた。そして(他の事情もあって)だんだん死刑廃止運動から足が遠のいていってたんやった。

それが、今年の春、「支援連」(東アジア反日武装戦への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議)主催の集会に安田好弘さんが講演しはって、そのとき「終身刑導入」を是非議論し考えてみてください――という提起があったんや。

いままでやったらとても死刑が出なかったような事件にさえ、このところ死刑判決がバンバンおりてて、この五年間で三倍にもなってる。光市事件のマスコミによるデマ報道と煽動は決定的で、まるで日本中が「殺せ殺せ」の大合唱や。そして、そんな「犯人」を弁護する弁護士は許せんいうて日本中から眼の敵にされ、連日連夜のバッシング。そのため安田さんの事務所には、毎日いやがらせ電話や脅迫文が配達され、果てはテレビ弁護士のよびかけによる「安田弁護士を懲戒処分にせよ」という署名が弁護士会に何百何千件も届けられている。そして、こんどの鳩山や。法務大臣がいちいちハンコつかんでも自動的に死刑執行が出来るようにしようなんてとんでもないことを言いだした。いま、確定死刑囚は百人を超えてしまっているんや。

そんな状況のなかで、へこたれるどころか、ますます奮い立ってがんばってはる安田さんを後方からいつも応援してた。すごいひとやなあ、素敵なひとやなあと思ってた。いや過去形ではなしに、それはいまも同じ気持や。安田さんは弁護士としてはもちろん一級の凄腕やし、人として信頼できるし、なによりわたしは安田さんが好きやねん。

でも「終身刑導入」という安田さんの意見には、どうしても賛成するわけにいかん。やっぱり立場のちがいなんやな。

安田さんは弁護士や。その立場いうのは、いうたら瀕死の重症患者を目の前にした臨床医みたいなもんやねんな。どんな手をつかってでもともかく「命を助けたい」とおもうのは当然のことなんやと思う。終身刑導入は、そういう手立てとして考え出された苦肉の策であるにちがいない。十年前安田さんは代替刑としての終身刑導入に熱心ではなかった(と思う)。しかし、ここにきて安田さんはもうそれ以外手立てはないと思いはったんやろ。死刑廃止のことばを国会にもちだすことすらおぼつかない状況下では、死刑制度を存置したままで終身刑導入を法制化するしかない。いまやなにもかも厳罰化がいわれるなかで、終身刑導入はチャンスやと。死刑と無期ではひらきが大きすぎるから、「終身刑」をもってくれば「死刑」でなくてもいいという世論調査の結果もある。そして「死刑」では重過ぎると考える裁判官が、その中間に「終身刑」があれば、「死刑」を出さないですむ――と思ってる裁判官は現にいる。終身刑があれば、それでひとりでもふたりでも「命」が助かる――

遠い将来の死刑廃止に向けての議論ではなく、いままさに死刑にされようとしているひとたちの「いのち」をどうやって救うのか――ということを考えてほしい。終身刑反対というなら、他にどんな「いのち」を救う手立てがあるのか。ここは「いのち」と「自由」の問題を別に考えてほしい。ともかく「いのち」さえあれば、冤罪を晴らす可能性もでてくるし、恩赦の可能性だってある――と。

これは、なかなか説得力のあることばや。なにしろ、世間を敵にまわしながら、法廷という現場で、死刑判決を出させるか出させないか、日々しのぎを削って闘ってる安田さんの存在自体が説得力をもってるんやから。でも、「いのち」と「自由」を切り離してかんがえることなんかでけへん。「いのち」と「自由」は、ひとつのものや。

さらにいえば、わたしは死刑にも終身刑にも無期刑にも三十年なんていう長期刑にも反対や。犯罪を憎むこころは誰しも持ってるし、ましてや愛する人を殺されたとなると「死刑にしてもあきたらん」と思うのはむしろ当然やろう。

でもその犯罪をどうやったら少なくできるか? 被害者の遺族でも友人でもない第三者としてのわたしらが考えねばならんことは、決して復讐をあおったり、刑罰を重くするということではないはずや。「犯罪」いうのはひとり個人の責任に帰すわけにはいかへん、社会全体が生み出してる現象ともいえるものや。

そして、この人間社会から「犯罪」いうのはなくならんとおもうけど、しかしマスコミが報道するほどには増えてるわけではないんや。犯罪件数は事実として二十年前と変わってない。そやのにもっと取締りの強化が必要やいうて警察官を何万人もふやしたり、街中にテレビカメラを設置したり、少年法の厳罰化を法制化したり、重罰化・死刑乱発が行われてる。そして裁判員制度や(これを現代の徴兵制と安田さんはいうてはる)。こういう風潮ははっきり、「戦争のできる国」にひとびとを巻き込んでいこうとする政府権力の大きな意図からつくり出されてきたものや。

しかも、刑務所から満期で出所しながら、その四割が帰る場所がないという社会になってしまってる。(三十年まえは九パーセントやったんや。)

長期間牢獄に閉じ込められたら、ひとはひととして生きていけない。ひととして持っていたきもちや、生きる術も全て奪われつくして、どうやって社会復帰できるんや。政府が税金を使ってやらねばならんことは、「犯人」を厳罰に処したり、刑務所に長期にわたって閉じ込めたりすることではないはずや。

世間では無期やったら十年ちょっとで出てくるやないか、なんてデマが飛んでるけど、とんでもない。無期でも事実上終身刑のようなもので四十年五十年閉じ込められている人はかなりいる。法律には十年たったら保釈申請ができるいうて書いてあるらしいけど、実際には、いま有期刑の最高が三十年やから、三十年経過せんと保釈の対象にはならへん。そのうえで保釈申請できるためには五年から七年模範囚でいてなあかんねん。

監獄法が百年ぶりに「改正」されて、無期プラス三年で入れられている岐阜刑の泉水博さんにわたしも面会できるようになって行ってるんやけど、これまでもたびたび懲罰をうけながら、やっと頑張って三年間懲罰なしがつづいて、このまま無懲罰が続けばあと二年で保釈申請ができると先がみえてきたところやった。それが、ほんのちょっとした言葉が「抗弁」になって、三週間の懲罰をくらった。そのうえ無傷の三年をとりあげられてしまったんや。それはそれはガックリして「わたしはもう七十半ばです。これからあと七年はとてもがんばれません。もう疲れました」といわはるんや。これは新たに三年の刑を追加されたと同じこと。保釈申請しようとおもったら、今からまた七年かかる。保釈申請しても出してくれるかどうかは、当局の胸三寸やから保証のかぎりではないけど、それでも保釈申請して社会にもどるということに唯一希望をたくして、日々の屈辱をたえてきたんや。

泉水さんはいま、ベビー服のミシンがけの仕事をしてるんやけど、ずっと下向いてミシンがけしてるから首や肩がこって、つい目を上げる。そのつい目を上げたとき、看守と目があっただけで懲罰や。そやから長い牢獄生活で懲罰なしでいられるなんてことは奇跡に近いことなんや。泉水さんの岐阜刑には千人くらいの長期受刑者がいるらしいけど、そのうち懲罰をくらわないでいる人は一パーセントもいないって。

(泉水さんが無期になった強盗殺人事件では主犯は警察の取調べ中に自殺して、見張り役だった泉水さんがその責任を全部かぶせられての無期刑なんやった。そして日本赤軍の飛行機乗っ取り人質交換事件で指名を受け、政府から「お前が行かなければ人質が解放されない」といわれた義侠の泉水さんはそれを呑んで、超法規的措置ということで国外に。それが逃亡罪で指名手配になり、旅券法違反で逮捕。そして岐阜刑に収監されたんやった。そのときの刑務所長から「おまえは絶対に出さないからな」と言渡されたという。)

刑務所いうのは、法律的には更生施設であり、建前としては教育刑ということになってるけど、日本の刑務所に、そんな要素はびた一文ない。長く入ってれば入ってるほど、「更生」なんかできるもんやない。だって、鳩にエサをやっても、ちょっと窓の外の空を見上げても、となりのひとにあいさつしても、なんせひとらしいことをすれば、それがみな懲罰の対象なんやから。それでも、ひとは、あと十年あと五年いうて指折りかぞえられるから辛抱もし、希望をもつことができるんやんか。それを、一生牢獄に閉じ込めて死ぬまでいじめつくす終身刑なんてとんでもないよ。いまや法廷は真実を明らかにする場所ではなくて復讐の場になろうとしてるけど、そんなことを宣告する権利なんて誰にもないはず。

終身刑いうのがどれほどひどい刑罰かいうのは、(どんな了見でいうてるのか知らんけど)、法務省でさえいうてるし、まして安田さんが知らないはずはない。それをあえて「終身刑導入」をいうのは、「刑事裁判は死んだ」――という安田さんの切羽詰った思いから引き出されてきた策なんや。ともかく「いのち」さえあれば可能性はゼロではないんやからと。そして「いのち」を救うほかにどんな有効な手立てがあるのか――と、安田さんは問いかける。

わたしは、その問いの前にたって思い出すことがある。

一九八六年、東アジア反日武装戦線に対する最高裁判決が迫っていたとき、獄中のまりちゃんから「死刑反対、死刑反対と叫ぶだけで、ほんとうに死刑判決を阻止できるのか。レーガン来日阻止の運動みたいに、阻止できんかったではすまんのや。死刑はもうとりかえしがつかんのやから」という趣旨の手紙をもらって、すごく悩んだ。

わたしはその頃大阪で虹の会の仲間たち(ほんの十人足らずやけど)と、ハデハデポンチョで街にくりだし、チンドンヤそこのけにカネやタイコやラッパを吹き鳴らし「彼らを殺すな」いうて毎月デモをしてた。集会してもまあせいぜい三十人。八二年の「ハラハラ大集会」では四百人を集めたけど、それがせいいっぱいのことやった。その集会の名称は「東アジア反日武装戦線に連帯し/あるいはその異同を超えて支持支援し/又はその死刑・重刑攻撃に反対し/その他野次馬でもなんでもともかく関心を寄せる者/みんなの大連合」というもので、わたしはその野次馬の立場でこの集会に参加したんやった。そしておどろいたことにアンケートによると、その参加者の九割が野次馬としてやったんや。

しかし、死刑判決が目前にせまった彼らと日々面会したり、救援会の中心を担っているひとたちからみたら野次馬なんてふざけるな、という思いやったやろ。そういう非難・批判をいっぱい受けた。そしてまりちゃんの手紙を読んでどうしたらいいんやろとほんとに毎日悩んだんやけど、どう考えてもわたしは死刑を阻止する手立てをもちあわせてはいないんや。わたしには阻止できない、というより他なかった。

阻止できないけど、彼らがなんで爆弾をなげたのか、それはどんなおもいでやったことなのか、やったことの背景はなんなのか、わたしらにはなんの責任もないのか、国家が彼らを殺す資格があるのか――いうてワアワア騒ぐ反日野次馬を千人集めよう、それがわたしらにできる最大のギリギリのことやと考えておいちゃんと死に物狂いやった。そして、九月十四日「千人集会・反日野次馬大博覧会」と銘うった集会に日本各地から千三百人近くが集まったんやった。

しかし、そんなことをしても最高裁での死刑判決を阻止できないどころか、その後運動は全くしぼんでしまった。

この国で「死刑廃止」が市民運動として初めて声をあげたのは一九八〇年。三十年近くなるわけや。「東アジア反日武装線のかれらを殺すな」いうことで署名を集めてまわると、そのころいっしょにやってた「反戦運動」や「反原発運動」の仲間たちの多くから署名を拒絶されておどろいたけど、オウム事件が起こったとき、わたしのまわりでなんらかの運動にかかわってきたひとたちからは「麻原は死刑や」いう声はほとんど聞かれんかった。

世論調査なるものによると、「死刑存置」が八割ちかくもあって以前より増えたということになるんやけど、一方で「死刑廃止の声」も確実にひろがってるとわたしは思ってる。しかしそんな声とは無関係にこの国での「死刑廃止実現」は以前より遠のいてしまったかのようや。

『年報2000――2001「終身刑を考える」』(インパクト出版会)で、安田さんはこんなことをいうてはる。

……終身刑論議というのは巧妙でかつものすごく高度な(政策論的)議論だろう……他方、いわゆる原則的な運動論からみると、出発点からは、かなりほど遠いというか、もっと言ってしまえば、不服従で直接行動的なものをきれいにそぎ落としてしまったところにある運動論なのかな、と。もしかしたら、死刑廃止を直接行動、不服従、あるいは抵抗運動的な性格とは別なものと思っている。あるいは、そのような運動の先に死刑廃止の実現を見ていない、あるいはやろうとしていないから、いまのような議論になっているのかなという気もしている……戦争反対、徴兵拒否、常に直接的で、不服従で、そして国家政策あるいはマジョリティーに対する抵抗、死刑廃止は、そもそもそういうものではなかったのか。これは私自身の反省も含めて……運動論もひっくるめて考え直さなきゃならない時期にきているのかなあ……

わたしはこの発言を何度も読み返して、安田さん自身はどこにいるのか見えなかったんやけど、安田さんの悩みの深さを思った。

ヨーロッパではEUに加盟するのに「死刑廃止」は必須条件で、国連でも死刑廃止条約が批准され、いまや死刑廃止を実現してる国のほうが数としても多くなってる。けど、それは決して「運動」や「世論」の声で廃止が実現したのではなかった。むしろ圧倒的な「死刑存置」の世論を政府の側が説得するかたちで「廃止」が実現したんやった。不服従で直接行動的な運動によって「廃止」が実現したのではなかったということなんや。

そしていま安田さんは「終身刑導入」を結論し、それをわたしらにも提起された。

わたしはこの四十年「非暴力直接行動」をまるで陀羅尼のように唱えてきた。「死刑廃止」もそれを唱えるだけでは単なるお題目やないかといわれる。たしかに、このお題目を唱えるだけではすぐに「死刑」をとめることはでけへんやろ。でも「非暴力直接行動」を離れてしまっての「運動」は、それはもう「政治」であって「かけ引き」であって、わたしにとってはもはや「運動」ではない。

しかも、「終身刑導入」でほんとうに「いのち」を救えるどんな確証があるんやろか。わたしには疑問や。

終身刑があっても被害者遺族や世間の「死刑にしろ」という声はなくならんやろ。

箕面忠魂碑訴訟に参加していた神坂直樹さんは、裁判官を志願して、成績優秀にもかかわらず思想がかたよってるからいう理由で拒否され、最高裁で上告を棄却された。これからますますお上の意にそう裁判官しか採用されへんやろ。

そして裁判員制度が実施されるようなことになったら、無期では十年ちょっとで出てくるなんて信じてるひとびとによって、いままでやったら無期になったものが終身刑になってしまう可能性がおおいに出てくる。死刑判決に躊躇するひとびとは終身刑の判決を出す。殺人事件でなくても、外にだすと危険やからと終身刑が宣告されることになるやもしれん。

安田さんは終身刑は五年で破綻すると書いてはったけど、無期だって事実上破綻してるのに、一度法制化されたものがそうやすやすとなくなるとは思えない。獄中の実態はまるで明らかにされへんわけやけど、わたしは終身刑導入によって、獄死・病死・自殺が今以上に増える可能性だって大いに考えられる。

恩赦にしても、それを出すか出さないかは、その時々に権力を握ってるむこうさん次第なわけやろ。

百年続いた監獄法が「改正」されたのに、獄中から聞こえてくるのは、処遇はむしろ悪くなったという声ばかりや。親族でないものも面会できるようになったけど、法律上がそうなっても面会するひとも手紙を書く相手もいないほとんどの受刑者にとっては、その悪くなった処遇ばかりがのしかかってる。冷たい世間も刑務所の実態もそのままで「終身刑」が導入されるいうことになったら、どんな事態がうまれてくるのか――いまのこの「戦争のできる」国になってしまった世の中で、貧富の差が甚だしい、差別懲罰社会に拍車をかけるばかりやないの。その弊害は計り知れないと思う。

じゃあ、他にどんな有効な手立てがあるのか――という安田さんの問いにわたしはすぐに間に合う答えを持ち合わせてはいない。

「戦争」も「死刑」も国家がわたしらに仕掛けてくるものやけど、仕掛けられてる側であるひとびとが「戦争」の仕組みの歯車になってるし、「死刑」に賛成してるわけやから、その事情は単純やない。わたしらの「自治」のちからに覆い被さって、あたかもそれを上から与えられているかのように「秩序」「治安」と言い換えて、わたしらの「いのち」と「自由」を強奪しているのが国家やろ。裁判員制度がはじまったら、はっきり「国民」の名において、死刑という殺人が執行されるようになるわけやけど、わたしらはそういう制度から「いのち」と「自由」を奪いかえしたいんや。そやからこその「非暴力直接行動」やねん。そやからこその「死刑廃止」やねん。

この立場を離れてしまっての「死刑廃止」はありえないし、まして仕掛ける側といっしょになっての「終身刑導入」なんて賛成しようがないではないの。これはもっと「しなやかに」とか「柔軟に」とか「したたかに」というような問題ではないと思う。

さいごに――

安田さんの「終身刑導入」提起は、そのことだけをみれば自分とは対立する関係ということなんやけど、この提起を受けて自分の立場をより明確にすることが、その対峙関係こそが運動を活性化するエネルギーとなって、多面化したひろがりと深まりが出てくるようでなかったら「運動」にかかわるねうちはない。現に合宿にはいろんな立場からのひとが多く参加していて、安田さんとは意見を異にしながらも離反することなく、お互い尊重しあって、それぞれの立場で、たくましく協働しているひとたちを幾人も見た。参加してよかった。合宿でわたしはつい泣いてしまったり、帰ってからもひどく落ち込んだりしてたんやけど、いままで離れていた「死刑廃止」の動きに、わたしに「できること」で「やれそうな」ことを「何か」見つけ出して「やらなければ」と、いま思いなおしてるとこやねん。

*ここまでかいてきて、十年まえの「風」を取り出して読んでみた。いまは、「運動」の状況も「死刑」乱発の状況もより厳しくなってるし、なにより自分自身が年をとって元気がなくなってることを感じたけど、これに書いたことをもう一度自分自身肝に銘じるために「付録」として再録することにした。


【付録】「風」(一三号、一九九六・一・三〇)より

〈代替刑の問題〉の問題――死刑廃止運動の岐路

「死刑廃止フォーラム・大阪」から送られてきた〈ハガキ通信〉 の会議報告「東京から検討要請のあった代替刑(終身刑)の件」というのに目がとまった。「フォーラム大阪」として、それに対して結論は出ず「継続審議」として次のような意見が紹介されている。

○こちらから、代替刑(終身刑)を言い出したくない。言うべきでない。議論自体は拒否しない。

○代替刑も含め死刑を巡る議論が活発になることは望ましい。

○議員連盟が代替刑(終身刑)を持ち出すことには反対しない。

○現実問題として、代替刑(終身刑)を語ることが要請されている。積極的に打ち出すべきである。

○死刑廃止が実現するなら望ましくないが、終身刑導入も止むを得ない。執行されるより良い。

これをみて私はもうカチンときてしもた。

これは私にとって、死刑廃止運動の根元のとこにある問題やから、自分の立場だけははっきり表明しときたい、と思った。

そこで、結論からまずいうと――

そもそもわたしにとって、死刑が制度として「ある」ことの代替が、死刑が「ない」ことなんや。「ある」ことは、絶対に認められへん、許されへん、ことやから「なし」にしよう、というてるんや。

そやから死刑を「廃止」したら、その次には「無期」も、そしてもちろん終身刑も「なし」にする運動へ続かなアカンと、私は思ってるんや。

いまの「無期」は十五年〜十年くらいで「仮釈放」になり、ほとんどの人が出てくる――という話をよく耳にする。以前「それ、ほんま?」と安田弁護士に聞いたら、はっきりした統計を司法が発表しないから、実際のことは全くわからない。知ってる人で三十年入ってる人もいる、というへんじやった。

三島の「丸正事件」のあの李得賢さんは、冤罪を言い続けたので未決をふくめて、たしか三十年以上も入れられていた。

それから、いまでもようおぼえてるけど、むかし、私らがやってた「たんぽぽ図書館」に訴えてきた大西純悟さんは、獄中での不当な処遇の一つ一つに泣き寝入りせんと、徹底的に抗議し反抗したもんで、すっかり目をつけられて、もう懲罰懲罰の連続。あまりのことに弁護士になりたての頃の加島さんにおねがいして面会に行ってもろたり、再審請求の手続きをしてもろたり、エライお世話になった。すこしは問題になったけど、結局、満期までどうにもならんかった。そのあげくずっと懲罰で独房での正座を強制され続けたため足が萎えてしまった大西さんは出所の時、一人では歩かれず、車イスに乗せられて門を出てきた。しかし、大西さんは「あと何年、あと何日」と数えることができたから、出所までがんばれたんや。

いったん睨まれたら最後、トイレに立っておしっこする時「外を見た」といっては懲罰になり、看守とちょっと目が合ったといって「抗弁」といわれて「等級」を下げられるような「地獄」で、模範囚を十年も続けて、「仮釈」もらう――ということはいったいどんなことやろか。つまり完全に屈服して服従して、お上の(イヌ、ネコほどの意志もない)従順なドーブツ的奴隷になれ、ちゅうことやんか。

こんな場合、「死刑」が「無期」であろうとなかろうと、ほとんど問題は変わらへんのやないか。

イギリスでは、この二十年間で獄中から弁護士や家族・友人に電話がかけられるようになったり、囚人同士のゆききも許されるようになったりとか、ものすごく処遇の改善がおこったそうや。(それまで囚人の暴動がひん発して、その対策のための改善ということやった。)

けど、日本の獄中処遇は、この二十年間で何ひとつ改善されてない。それどころか管理体制の整備?によって、むしろ悪くなってる、とわたしは思ってる。

そういう問題をそのまんまにして、死刑の代替刑として「無期」どころか「終身刑」をとりあげるなんてとんでもない話やと思う。

だいたい刑罰の対象は個人やけど、国家や官僚や裁判官や政府や大企業が犯す構造的機構的犯罪に対しては、死刑どころか、なんの咎も受けんちゅうのはどういうわけや。

個人といえば、ヒロヒトにはとてつもなくカンヨーなのに、千に一つも自分の身辺日常にほとんど及ぶことのない殺人事件の「犯人」に対してだけは、死刑死刑と大声で叫ぶのはなんでなんや。

死刑は国家の側からすれば治安の問題やろけど、その治安の対象とされてるわたしらの側までがいっしょになって死刑制度は必要だの、いや死刑のかわりに終身刑だのと、あれこれいうことあれへんやんか。

意気込んでここまで書き終わって、おいちゃんに「なあー、一体これどう思う」いうて意見を求めたら、「うーん、結論だけをいうと、ぼくこのことで論議するいうそのことに反対や。少なくとも自分の意見をしゃべりとうない。保留。」いうて、わけわからん返事やねん。

脳梗塞で二度目の入院から退院してきて、このところずーっと寝たり起きたりで、いよいよボケてきたんかと思ったら、そうでもなさそうで。もっとはっきりいうてぇな、と追及したら――

――今日きた「インパクション」九五号で対馬さんが〈死刑廃止フォーラム〉の報告として、「……執行を阻止することは現在の力関係では困難だと認めざるを得ない」「……実行委の一部では困難に直面している運動を次のステージに進めるための新たな提案が模索されている」「……どのような条件が整えば死刑廃止を具体的なスケジュールに乗せることが出来るのか検討すべきではないか」「……条件付廃止派を運動に引き込み、同時に存置論と議論する土俵作りを積極的にしていこうという考え方である」

そして「……条件整備とは代替刑だけではなく、被害者補償、矯正施設の運営改善、社会復帰体制作り……これらを個別に提示するのでなく総合的に提示することで〈死刑廃止後の社会〉が具体的にイメージできる筈である」とかいてはる。

ともかく、この対馬さんがいう意見はしごく妥当で、いまこの状況下では運動してる人たちの中からは当然でてくる「現実的」「具体的」な大多数の同感する考え方やし、とくに「……条件整備とは代替刑だけでなく……」以降の追記は「重要な意味」がこめられていることを見落とさないことにおいて、その通りやとぼくはおもう。

念を押しとくと、「重要な意味」とは死刑廃止運動の根っこにあるところの本質的問題への「深まりとひろがり」ということやけど、しかし、ぼくがその前に指摘したいこと、或は懸念する問題がある。つまり、この対馬さんのいうような方向へと論議がふかまるのではなく、たとえば、いまふう子さんの口ぶりにみられる反応のように、焦点が、たとえば〈代替刑は是か非か〉という結論だけに単純化され短絡して、つまり「運動内部」だけでの、一方から一方に対する双方からの〈糾弾的立場論争〉にみるみるなってしまうのが、過去のぼくの若干の経験からいっても、あまりに目にみえている。

すなわち、過去の多くの運動が二分対立し、いよいよ弱体化すること以外の何をも、もたらさなかった全く不毛な論議をつくるものでしかない――というおそれや。

重ねていえば、「どのような条件が整えば、死刑廃止を具体的スケジュールに乗せることが出来るか」についての検討・議論のはじまるまえに、それぞれ論者は状況やそのことが出てきた意味としての〈代替刑〉について、自分の立場、つまりその是非を先験的に決定しており、いっそう収斂することで、まず対立してしまうことから容易にのがれられない。

とすれば、すくなくともその是非をいますぐここで決めるということで、運動が何をえられるやろか。

すくなくとも、問題を問題としながら、その立場の人たちは、そのことを主張し、具体的に追及しながら、しかし運動総体としての結論は、保留といわずとも「継続審議」とすることで、必ずしも決定してしまう必要は全くないんやないか。

そして、事実として現実の運動は、そのことにおいて多様でばらばらであっても、今までその「力」を表現してきた、という経過を、軽率に見捨てるべきでない

ここでもう一つ付け加えると、この十五年間の〈死刑廃止運動〉は、もちろん東京の運動グループやアムネスティなどの先導的、先駆的、そして全国的なまとめ役としての大きい活動に助けられてのことながら、しかしそれぞれの地方、地区グループ個人が自立して動くことの任意性・自在性によって、全国運動をつくってきたといえる。そのことで、活動の提携と相互補完と共同がおのずからのものとしてでてきたんやった。

つまり、〈死刑廃止運動〉は、これまでの他の運動のような〈全国統一組織〉でないこと。その成り立ちがきわめて恣意的な個々の〈自由連合〉にもとづくものやったからこそ、そうやった、といえるんや。

くどいようやけど、結果的に、「あんたは原理原則主義か、具体的現実主義か。そのどっちや」ということに要約されるような「立場の選択」になりかねない〈代替刑〉の問題を、あえてここにつき出して、〈運動路線の統一〉というかたちの性質論争にいつのまにかすりかわってしまうおそれがある――すでに多くの運動体がくりかえしてきた――ことを〈死刑廃止運動〉は、せっかちにやったらアカンぞ、とぼくはいいたいねん。

つまり、双方の立場からする〈代替刑〉の是非発言は、まず「対立」でない「考慮」としての認識が充分に運動内に行き渡った上で、かつ今もすでに行われているその活動のひとつの、現実化する可能性を見透かせる条件として、具体的に登場するときの「実行手順」の追及として論じられるべきなんや。(ということで、もちろん〈代替刑〉を考慮する運動者は、そのおもうことをやることで、具体的な小事実を死刑廃止の可能性としてつみ重ねていったらよい。)

そういうことの上で、最後に、いま東京から出てきた〈代替刑〉の〈検討要請〉への対処――ということになるんやけど、ぼくは〈死刑廃止運動〉の特質ともいえる、「国家」とか「天皇制」とかの面でどうしても向わざるをえないラジカル性とか、あるいは、個々の運動者の主義や立場と深いところで通底する強固な心情性のようなものにおいて――論争者に対して、自分の主張の過剰な感情的表現の自戒をまず要請したい。

つまり、あくまで自分自身だけの、個としての主義信条立場として以上のことを主張しないこと。もっといえば、いささかでも他者に対立的ととられる発言――意見表明は保留して発表しないこと。あえていえば、そのような論議には参加したり介入することを避けたい、ということや。(しかし、多分、多少あいまいでも、これを書いてしもた限り、おまえは「……派やな」というような推定とおしつけ?は避けられんやろ。)

さて、そこで、その「推定」での大誤解が出ないように、ぼくのこの「発言」が老人くさい、一見しての事なかれ主義からだけではなく、ぼく流の、そもそもの〈運動論〉から出てるんやということを、ちょっというときたい(なあんや、といわれてしまうほど簡単なことや。)

〈運動〉とは、単純にいうて、〈エネルギー〉の空間的時間的〈変化〉、即ち〈移動〉と〈転換〉であり、その、自分にとっての〈意味〉ということやろか。

たとえば〈シーソーゲーム〉になぞらえてみると――それは「支点にささえられて左右に伸びた板の先端にある重心の〈移動と転換〉、〈上下の反復〉、〈緩急の変化〉によってつくられる「運動」、つまり自分が、相手あるいは仲間との関係で動く面白さの意味ということや。

この観点で改めて「運動」を見直すと、視野が一変して、まるで価値観が転倒することに気付くやろ。

つまり、いままでは自分と同じでないことにおいて対立する存在だった相手が、自分との対峙において、実にシーソーの相手のような絶対不可欠で相互補完的関係として、つまり運動の仲間としてはっきりと見えてるくる――というこっちゃ。

さらにいえば、そのような〈相互補完的〉対峙こそが、運動を活性化する〈エネルギー〉となるものであり、多面化したひろがりと深まりを保証するものであり、それこそ、言いかえれば〈自由連合〉の力というものに外ならない。

ざっくばらんにいうと、いま〈死刑廃止運動〉は、大きな転換的岐路にある。

その岐路とは――

一つは、〈代替刑〉の是非論争として、是にしろ非にしろ、その全国的なまとまりを「力」の結集として出てくることで、いわば〈統一的運動方向〉である。(これには一部又は多数グループの意図的な指導、あるいは上意下達的影響力の行使が出てくるかもということで、かえって小数派の対立的分裂、運動の弱体化のおそれなしとしない。)

そしてもう一つは、シーソーの例にみたように〈対立〉を、かえって〈対峙的相互補完〉的な――すなわち、より積極的な関係――自由連合へと、具体的なそれぞれの行動、行為によってつくりだすという方向での改めての確認――であることは、いうまでもない。

と、ここまできて、おいちゃん、とたんに「あーしんど、最後に〈自由連合〉について、もっと言おうとおもたんやけど、やんぴ。あとエエ加減にしめくくっといてや……」いうて、又ふとんへ転がりこんでしもた。

尻切れトンボはおいちゃんのいつものことで、「ものごとに首尾結構なんてない。あったらつくりもんや。そろそろ死にかけてるのに、カッコつけて死ねるかいな。」――ということで、これでともかくおわり。

(ふう&こう)


(07-12-24up)

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