ARBEIT MACHT FREI

  −「労働廃絶論の幻想」妄想−     by 乱乱

 「誰だって労働は嫌いだ」「労働を嫌悪するのは、文化や時代を越えて、人類に普 遍的な特徴だ」
 と冒頭から著者のNeala Schleuningが握手を求めてくるので、いぶかりながらも手 を差し出そうかなとしたら、「世界の主な宗教はすべて怠惰を戒めている。」「大半 の政治思想も、労働の価値を肯定する。」いきなり腹を蹴りやがる。おもわずうずく まると、今度は「私たちが労働の必要性について考える時は、私たちの生存が基本的 な条件である。」と今度は目突きだ。こっちがヒールなのに、顔負けの汚さだ。
 で、こうほざく。

 <てめえら、労働廃絶論者の言ってることは、まったく見当違いのガキたわごとな んだよ。「働かない」だと、なんてことぬかしやがる。おそれ多くも共同体社会様に 対して、反生産的、無責任、ジコチュウな態度とりやがって!この反政治主義のニヒ リストめ!>
 <お前らは主張は、恵まれた小数の部外者ー要は支配者の意見と同じなんだよ>  <働かないでなんで生存出来るんだ。自然に帰るったって、地球でそんな条件の恵 まれた所はないんだ、働かないわけにはいかないんだ>
 <問答無用に労働は必要だ。テクノロジーがいくら進んだって労働はなくなりはし ない。賃労働から解放されてももっと多くの労働が必要になるんだ>

 とまあこんな調子である。<>部は、これは私がより著者のニュアンスにそうよう に勝手にまとめたが、個人主義者たちというのは、深刻な大気汚染を、喫煙者の個人 的習慣に還元してしまうほどの間抜らしいので、私のまとめ方がエグイという非難は あたらないだろう。
 ならばどうすれば良いのか、その解決方法は以下の通りである。すべて政治的解決 法であり、しかも、その根底には深い道徳的問題をはらむ、そうな。

 1. 労働をあるべき姿に変化させるには、社会環境全般にわたっての変革が必要だ。
 2. その具体的解決方法として、「二重構造の経済」(第一水準 共同体のニーズ を満たすための経済 第二水準 個人のニーズを満たすための経済)という統制経済 が必要である。
 3. 「二重構造の経済」によって、消費は抑制され、労働は最小限となり、富は均 等に分配されるのだ。
 4. 技術開発の制限も大事だ。技術の進歩によって労働は単純で耐え難いものにな る。(かといって旧世界の重労働にもいまさら戻ることが出来ないことは言うまでも ない)
 5. 地球環境を考慮した生産と消費の為の技術開発。
 6. 消費から解放された自己実現。
 7. 労働による個人疎外の防止(労働廃絶論者は、労働者がコントロール出来ない 「悪い労働」を批判の対象としている)
 8. 良い労働は、個々の人間の精神や共同体の健全性をはぐくむのに重要な役割を 果たす。有意義な労働が我々に達成感を与え、満足感を与え、それがまた想像力を働 かせ、知的な健全性を育成するのに役立つのだ。
 9. 時短は、テクノロジーの利用により可能である

 1〜9の不快さ。そこかしこに見える全体主義的抑圧。正しく個人の抹殺が約束され た「政治的解決」だ。「良い労働」を成立させるには、強い社会統制が必要なのだ。
統制の実効には、強い権力の存在が必要なのは言うまでもない。しかも一応アナキズ ムでということになれば、自主的に参画が要求されるだろう。つまり個人の内面も、 教化され、単一のアナキズムに収れんされてなければならないことになる。
「良い労働」によって社会全体が統制され、しかも個々の内面までもが管理されるの だ。これを地獄と見極めないのなら、数多のファシズムや共産主義に倒れた人々に申 し訳ないだろう。
 それならいっそ「良い労働」などとは言わずに、「良い国家を」とでも言えば良い。

 「労働からの疎外は、人間がお互いに疎外しあうことへとつながっていく。なすべ き良い労働があるのに労働を拒否するのは、自分自身を疎外することである。つまり 私はそれには反対だ。人間として、私たちは最小限、集団が生きるための労働に貢献 する義務を負っている。いや、人は労働を拒否するぜいたくを持つべきである。だが 、この共同体の生存のための労働を分担することは、必ずしも抑圧的ではないのだ。 他人のために、他人の用途、他人の満足のためにこれをすることと、他の人たちがあ なたのために同じことをするだろうということを知り、他人を信頼すること、これこ そが労働の本質なのである。
 抑圧的なのは、強制労働や搾取労働、商品化され交換される以外には社会関係を拡 張しないような財やサービスの生産労働である。
 我々には、ラディカルな労働の建て直しが必要なのであり、その廃絶が必要なわけ ではない。」

 上記「労働」を「国家」に置換しても見事なほどピッタリくるだろう。
 ここには有とあらゆる「反労働」的なものは排除されている。「労働」が生存の条 件と言うなら、「労働」を拒否したり出来ない者は、その「人」としての価値を奪わ れ、当然「生存」をも許されないのは自明である。
 この論者が何回となく「子供っぽい」と反労働アナキストへの非難を口にするのは 、「子供」が、労働/生産とは無縁の、自由な獣であるからだ。

 ARBEIT MACHT FREI 「働けば自由になる」

 嘘だ!