日曜日の午後。
ティプトリーを読みながらふと目を外に向けると、リビングの大きなガラス越しに紫陽花が目に入った。
この前から咲き始めた花たちは、ここ数日の雨を吸って日毎に大きく見える。
丁寧に手が入れられた庭に、桃色の花たちが雨に煙って霞んでいた。
「残念ね。せっかくの誕生日なのに」
振り向くと妻がいた。
白いエプロンを身に付け、くすんだ金色の髪の毛が落ちないようにバンダナを頭に巻いている。
「そうでもないさ。こうしてゆっくり本を読むことができるし、夕食のしたくは君がしてくれている。ここ数年で一番落ち着いた誕生日だよ」
僕は本を閉じて彼女に言った。
「今までは働きすぎよ。これからはもうちょっとゆっくりしてくれるといいのだけれど」
「努力はするさ。でも、僕は何故かもてるんだ。それもむさ苦しい研究員達にね」
「そんなこと言ったら悪いわよ。あなたと一緒に働いているんじゃないの」
「いや、この際はっきりしておくが、僕はあんな暗くてじめじめしている部屋に閉じこもって、終わりがあるようなないような研究をしているのは大嫌いなんだ。もっと太陽の下でのびのびと仕事が出来たらどんなにいいかと、君と結婚する10年前から思っていたんだよ」
「そうは見えないわよ。時々あたしと仕事とどちらが本当の奥さんかわからなくなるときがあるわ」
「そんなことはないだろう。あのいまいましい研究相手に、一度だってこんなことをしたことは無いよ」
僕は彼女の手を握り締め、歳を取ってますます軽くなった妻の身体を、優しく抱き寄せた。
「もう。何をしているの」
顔に深く掘り込めれた皺の間から、庭に咲く紫陽花の色が広がった。
「今は孫達もいないことだし、気兼ねすることは無いだろう」
「みんな、もうそろそろやって来るわ。半年ぶりに会うのだから、あまりみっともないところは……」
「大丈夫。まだ来ないよ」
言いながら、彼女の唇を塞ぐ。
リビングの大きなガラス越しから紫陽花達に見られているような気が少ししたが、構わず彼女の小さなつぼみに心を注いだ。
fin.