問題無い
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者は、生まれて初めて自らの意志で考え、

 魔界より遣わされし3人目の少年の、「妹」 となる事を決意したのであった。
 
 
 
 
 

第13話 シンジ 昼食
 
 

「おはようヒカリ」

「お、おはよう・・・ 碇・・・ さん」

 登校2日目の火曜日、教室に入ったシンジは、既に中に居たヒカリを見つけ朝の挨拶をかわす。

 ところがヒカリの方はというと、昨日の事を思い出してか、頬を赤らめ返す言葉も途切れがちになる。

 シンジはそんなヒカリを 『可愛いな』 と思いながら自分の席に着き、

 授業が始るまでのひと時、しばしアンニュイな時間を楽しむ。

 しかし、そんなシンジのささやかな楽しみを奪っていく、無粋というのには余りにも奇麗で、

 そして静かな声が彼に向ってかけられた。
 
 

「おはよう、お兄ちゃん」

「ああ、おはようレイ」

 お互いに微笑みを交わし合った後、レイは自分の席へと向かい着席する。

 それとほぼ同時にヒカリの驚きを隠せない声がシンジの耳に届く。

「い、碇さん!!」

「どうした、ヒカリ」

「碇さんと綾波さんて兄妹だったの?!」

「どうしてヒカリがその事を知っているんだ?」

 ヒカリの言葉に今度はシンジの方が驚いて再確認を行うが、理由はわざわざ言う迄もないだろう。
 

「だって今、綾波さんが碇さんの事を 『お兄ちゃん』 て」

「!」

 ガタッ

 レイの言い方が彼女にしては不釣り合いな程余りにも自然なものだったため、

 何とはなしに聞き流してしまったシンジだったが、ヒカリに言われて初めて気づいたのだろう、

 席から立ち上がり、可哀想に・・・ ヒカリをそのままにしてレイの所へと向かう。
 
 

「レイ、さっき僕と挨拶した時の言葉をもう1度言ってみてくれないか?」

「どうして?」

「頼む!」

 レイの所へと移動したシンジだが、何をするのかと思えば・・・
 

 一方レイの方は、そんなシンジの様子にかえって困惑していた。

 シンジの前に立った時、彼女は生まれて初めて、人と話すのに緊張する。

 という事を経験していたのだ。

 その時はまさに心臓が早鐘を打つような感じで、仲々落ち着く事が出来なかったのだが、

 それでもありったけの勇気を振り絞り挨拶したかいがあってか、

 シンジは自分に向けてとてもおだやかな笑みを向けてくれたのである。

 それが嬉しくて、自分もシンジに対して微笑み返し、実に爽やかな気分で席に着いたのだが。

 ともあれ、他ならぬ兄の頼みであったため、レイはシンジのリクエストに答えてやった。
 

わかったわ。・・・・ おはよう、お兄ちゃん

もう1度言ってくれないか

お兄ちゃん

もう1度!

お兄ちゃん

もっと大きな声で!

お兄ちゃん
 

お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん
 お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん・・・・・・・・・・

 目をつむり、両手の拳を握り締め、レイの言った言葉をひたすら胸の中でリフレインするシンジ。

 かつてエヴァの中で母であるユイと10年ぶりの邂逅をはたした際に、

 そのあまりの脳天気ぶりに、あきれかえったシンジだったが、

 今、彼が行っている事はあの時のユイさんの行動に勝るとも劣らないと言っても良いだろう。

 あのシンジにしてからがこうなのだから、どうも碇家の人間は、肉親にからむ出来事の際、

 普段の状態からは想像もつかない、常軌を逸した行動を取る傾向があるようだ。

 待てよ、というとレイの場合はどうなんだろう? 今からその時が楽しみである。

(無言)
 
 

「ありがとうレイ、お兄ちゃんは嬉しいぞ!」

 しばらくしてから我に返ったシンジはそう言うと席に戻ろうとしたのだが、

 何となく周りの雰囲気がおかしいような気がして視線を巡らせると、

 クラスメートのほぼ全員が自分とレイの事を注目しているではないか。
 

「いったいどうしたんだ。何かあったのか?」

「え、ううん何でもないわ。」
 多分みんなも碇さんと綾波さんが兄妹だと言うのがわかって、吃驚してるんだと思うの」

 自分の取った行動を全く自覚しておらず、シンジはヒカリに理由を尋ねるのだが、

 何と答えて良いやら、ヒカリは適当と言うより、妥当な返事でお茶を濁そうとする。
 

「そうだな、みんなにちゃんと説明しておかないと」

「碇さん?」

「レイ!」

「何? お兄ちゃん」

「ちょっとお兄ちゃんについてきなさい」

「わかったわ、お兄ちゃん」

 そう言ってシンジはレイを伴って教壇へと上がると、自分達2人がこれ迄どれ程苦労してきたか、

 聞くも涙、語るも涙の物語として語り始め、ついには授業にやって来た教師をも巻き込み、

 とうとう1時限目は全てそれに費やされる事となる。
 

 最早、完全にシスコンになってしまったシンジであったが、最大のライバルと目していたレイが、

 セーフティーゾーンへと去った事への嬉しさに満たされており、

 また捏造されたものではあるが、この2人の兄妹の感動の再会に、

 自身も感激を覚えていたヒカリにとっては勿論の事であるが、

 彼女以外にもシンジに憧れている殆どの女生徒達にとってシンジの姿は、

『妹思いの素晴らしいお兄ちゃん』 という、益々素敵なものとして映っていた。
 

 かたや男子生徒達の方も、この突然の事実を実に喜ぶべき事として、歓迎の意を現した。

 昨日転校してくるなり、碇シンジという少年は、レイとヒカリという、

 文句無しに一中の五指に入る美少女2人と早くもコンタクトを取り、

 入学以来、1度たりとて笑顔を見せた事の無かった綾波から、

 笑顔を引き出す事に迄成功していたのである。

魔性の微笑み」 とでも言うべきそれは、人々をおののかせ、

 戦慄させるのにふさわしいものであり、それ迄レイに対して反発を感じていた女生徒達は、

 さながら牙をもがれた狼のようになってしまい、また彼女に憧れていた男子生徒達も、

 まるで雪女に首筋をなでられたかのような感覚を感じ取っていて、

 その時は、『これ以上彼女に関わるのはよそう』 と、殆どの者が決意してしまっていた。
 

 ところが、1晩明けてみるとそんな気持ちはどこかに霧散してしまい、逆に、

 『彼女と2人ならば、例え氷の下で永遠に暮らす事になっても構わない』

 と、思うようになってしまい、まさに”魔性”に魅せられてしまっていたのだ。

 そんな男子生徒達にとって、シンジの存在というものは実に邪魔な者になる筈だったのだが、

 レイの 「お兄ちゃん」 という事になれば、また話しは別である。

 転校2日目に入り、用事も無しにシンジの所へ行くのをためらう女生徒達が出てくるのを尻目に、

 何人かの男子生徒達はシンジの所に顔を出し、自己PRを始め出す始末だ。

 可愛い女の子がやって来てくれるのならば、いくらでも歓迎するシンジであったが、

 さりとて同性として、哀しい男の性(さが)というものを感じてしまった彼は、

 無下に追い返すような事もせず、休み時間毎に苦行を強いられる事となったのである。
 
 
 
 
 

「ヒカリ、お昼なんだが一緒に食べないか」

「良いんですか?」

 お昼休み、昨日は初日という事でパンで済ませたシンジだったが、

 今日は、ちゃんと早起きして弁当を作ったので、それを取り出した後ヒカリに声をかける。

 彼の精神は既に限界に達しており、野郎どもがやってくるのを未然に防ぐ意味合いからも、

 どうしてもヒカリの協力は必要不可欠だったのである。

 幸いな事に誘われたヒカリは即座にO.Kを出してくれたため、

 シンジはようやく解放の時を迎える事が出来そうである。

「ああ、但し1つお願いがあるんだが」

「何でしょう?」

「できればレイも一緒にさせてやりたいんだが?」

「私は別にかまいませんよ」

「ありがとう。じゃレイに声をかけてくる」

 シンジはそう言うとすたすたとレイの所へ行き、

 これが本当にあのシンジかと思える程の猫なで声でレイに声をかける。
 

「レイ〜、お兄ちゃん達と一緒にお昼を食べないかい?」

「うん。わかったわお兄ちゃん」

 じ〜〜ん。

 またしても感動の渦に巻き込まれてしまうシンジであったが、続くレイの言葉にはっと我に返る。

「どうしたの? お兄ちゃん」

「ん! ああ、いや問題無い。行こうレイ」

 こくりとうなずき、シンジの後についていくレイだが、

 彼女が手にしているのは、お弁当箱というよりまるでパーツケースの様な物なのだが、

 先に立っているシンジはその事には気づいていない。

 そしてレイを伴ってヒカリの所へと戻ったシンジだったが、

 そんな彼に対し、何故かヒカリが困ったような声をかける。
 

「碇さん。今日は天気も良いし、屋上か校庭に行ってお昼を食べませんか?」

「そうだな、じゃあヒカリのお奨めのスポットに案内してくれ」

 シンジはヒカリの提案を即座に受け入れるが、実は彼女がシンジ達を教室外に誘ったのは、

 クラスメートの女子達の視線が痛くて、そこから逃げだしたかったのである。

 憧憬、羨望、嫉妬、最初はレイと二分されていたそれらの感情が、

 レイが実はシンジの妹だったというのが判明したせいで、自分1人に集中していたのである。

 普段のシンジならばそういった事にはすぐさま気づき、何らかの対策を施すのだが、

 レイとの事でかなり舞い上がっていた今の彼に、それを期待するのは到底無理であった。
 
 
 
 
 

 教室を出ていく3人をこそこそと追いかける男が1人。

 ミリタリーをこよなく愛するカメラ小僧、相田ケンスケであった。

 彼の主な収入源であったレイのデータの売れ行きに陰りが見え始め、

 何とか多角経営の道を模索していた彼の目の前に現れた碇シンジという少年は、

 人類のみならず、彼の救世主となるべく可能性を秘めていた。

 そして今日、そのシンジとあのレイが実は兄妹であったという衝撃の事実が暴露され、

 ネームバリューは更に1段と輝きを増したのであるが、1つだけ懸念される事があった。

 それはシンジがもう既に委員長・洞木ヒカリとくっついてしまったのか?という事である。

 やっぱり女房持ちとなれば、その商品価値は格段に下がってしまう。

 そう考えた彼は、事の真偽を探るため、自分の明るい未来を確保するため、

 極秘裏に作戦を開始した。

 尤もジャングル戦用のアーミールックに編み上げブーツ、頭にはヘルメットをかぶり、

 顔にペイントまで施したその姿は、第三新東京市立第一中学校というフィールドにおいては、

 いささか目立ち過ぎていたが。

(そんな事あるわきゃねーだろ)
 
 

 シンジとヒカリとレイ、美少年1人と美少女2人、廊下を歩いていく3人の前方は、

 まるでモーゼのように自然と道が開けていき、

 生徒達は脇にのけた後、通り過ぎていく彼らを振り返って目線でその後ろ姿を追いかけていく。

 曲がり角を過ぎ、彼らの姿が見えなくなったのを見計らってそれを元に戻そうとする寸前、

 その3人の後をつけていると思われる奇妙な人物の存在に気づき、誰もがギョッとする。

 あたりの状況に気を配り、作戦が順調に進んでいることに満足感を覚えるケンスケであったが、

 どうもその姿は正規軍の視界にすっかり捉えられていたようであり、

 職員室からゲリラを掃討するための追っ手がかかるのは時間の問題であった。
 
 
 
 
 

「ここなんだけれど、どうかしら」

「うん。仲々いいんじゃないか」

 ヒカリがシンジ達を連れてきたのは、校舎の屋上の方であった。

 ここは第三新東京市をあらかた見渡す事が出来、屋上であるため当然日当たりも良い。

 常夏となったこの日本においては、普通日陰の方を選びたくなるものだが、

 風通しが良く乾燥しているためか、気温と比較するとかなり過ごしやすく、

 むしろ快適と言っても差し支えない程である。

 やはりここは人気のスポットらしく、シンジ達以外にも何人か、カップルと後は女の子どうし、

 といった組み合わせが見受けられるが、男どうしというのはさすがにいないようだ。

 まあ、いたらかえって不気味かもしれない。
 

 ヒカリはここに限らず、天気の良い時には外で食事する事が楽しみの1つらしく、

 常々用意していると思われるシートをシンジへと渡す。

「碇さん、これ、申し訳ないんだけど広げてくれないかしら?」

「お安い御用だ」

 シンジはシートを受け取るとそれを広げるが、元々1人用のシートは小さく、

 何とか2人迄は座れそうだが、とても3人は無理のようだ。

 そう判断したシンジは弁当の包みを解くと、それを自分の尻の下にして、

 1人シートの外へと腰を下ろすと、ヒカリとレイに向かって2人はそっちに座るようにと声をかける。

「3人はちょっと無理なようだから、2人がそっちに座りな」

「でも、碇さん」

問題無い
 

 申し訳なさそうにシンジの事を気遣うヒカリだったが、当然シンジは彼の言葉通り、

 全く問題にはしておらず、かえってこういう気分の良い所に案内してくれたヒカリの事を労う。

「それよりここは、見晴らしは良いし、風通しも良いし、絶好のポジションだな。ありがとう。ヒカリ」

「いえ、そんな全然たいした事じゃ・・・」

 シンジに褒められ、頬を赤らめるヒカリだったが、相変わらず立ったままだったので、

 いい加減腰を下ろすよう、シンジは再度促した。

「ほら、いつまでも立ってないで、そろそろ食べよう。もう腹ペコだ」

「あ、ごめんなさい。綾波さん座りましょう」
 

 シンジと向かい合うような形でシートに腰を下ろすヒカリとレイだが、

 年頃の女の子らしく、スカートの裾を手で押さえ、それを気にしながら腰を下ろしたヒカリに比べ、

 レイは何ら頓着することなく座ってしまったため、シンジからはパンツが丸見えになってしまった。

「ゴメンね、マジで急いでたんだ。ホント、ゴメンね〜」

(だ〜か〜ら〜 セリフが違うだろうが!)
 

 誤植修正

「綾波さん駄目よ、いくら碇さんがお兄さんだからって」

 そう言ってレイ本人ではなく、ヒカリの方が真っ赤になってレイのスカートを直しにかかる。

 いつものシンジならば、女性のこういうチャンスは決して逃さないのだが、

 相手が妹であるレイの事だけにそうもいかず、むしろあまりの一般常識の無さに心を痛め、

 今後の彼女の指導について、頭を悩ませるのであった。
 
 
 
 
 

「やった。ばっちり」

 そんな3人の様子を影からこっそりと観察していた男の口から、会心の言葉が漏れる。

 今回の彼のターゲットはシンジ×ヒカリで有り、LHSの噂が本当かどうか、

 事の真偽を確かめるのが彼の第一の目的だったのだが、思いがけず遭遇したこの事件は、

 生粋のカメラ小僧である彼に、当初の目的を全て忘れさせる程のインパクトを持っていた。
 

 だが、逆にこの事が彼に不幸を招き寄せる結果となってしまう。

 当初の予定通り冷静に事に当たっていたならば、決してそんな事は無かったのだろうが、

 捉えたスクープが大きすぎたが故に、周りの事が見えなくなってしまい、

 いつのまにか敵のスペシャルフォースが己の背後に忍び寄り、

 最早完全に自分の身柄は捕捉されているという事に彼が気づいたのは、

 敵からの投降の呼びかけがなされた後だったという。
 

「ケンスケ、お前何やってるんだ」

「!!」

「全く、ちょっと教育が必要だな。生徒指導室迄、相田、行くんだ」

「しかし、自分は小隊長殿を置いては・・・ 進めません」

「馬鹿モン!」

「あーーっ」

(あ〜の〜な〜)
 

 どこの学校でもお決まりの、生徒指導担当のマッチョな体育教師の捕虜となり、

 収容所へと連行されていくケンスケ。

 当然の事ながらデータディスクは全て没収の憂き目に遭い、

 プレミア必死のレイの例の写真が(洒落では無い)日の目を見る事はなかった。
 
 
 
 
 

「うるさいな、いったい何の騒ぎだ?」

「さあ、何かしら?」

 階段の方から聞こえてきた、言い争うような騒ぎに、シンジは少し気を取られそうになったが、

 すぐさまそれは収まってしまったため、いよいよ本題である昼食に入ろうとするが、

 ここに来て初めて、レイが持っているのが普通の弁当箱では無い事に気づく。
 

「レイ、それは?」

「私のお昼」

「ちょっと、開けて中を見せてくれないか」

「わかったわ」

 そう言って蓋を開けた中に入っていたのは、いわゆるカ○リー○イト等のバランス栄養食と、

 ビタミン類の錠剤およびカプセル群であった。

 固まってしまうシンジとヒカリ。だがこれが当たり前なレイは、そんなシンジを訝しみ声をかける。
 

「どうしたの? お兄ちゃん」

「ん、いや、問題無い

 レイの言葉で我に返ったシンジは改めて、弁当箱ではないレイの薬箱の中身を覗く。

『いったいリツコは何をやっているんだ』 そう思いかけたシンジだったが、

 よく考えてみると、彼女は技術部長としてとても多忙な日々を送っていたのだ。

 勤務時間は有って無きがごとしであり、レイと2人揃って朝食を取る事など、

 例え同居していたとしても、もしかしたらこれ迄1度も無かったのかもしれない。

 となると、必然的に弁当がどうなるかなど自明の理であった。
 
 

「綾波さん。もし良かったら私のお弁当半分食べてくれないかしら?
 ちょっと今日はいつもに比べて何だか食欲がなくて・・・
 それに・・ そんな薬だけの食事なんてあんまり体に良いとも思えないし」

「ちゃんと栄養のバランスは取れているわ」

 今後の事についてシンジが考えを巡らせていると、いくら何でもと思ったのだろう、

 ヒカリがレイに対し自分の弁当の半分を分け与えようとする。

 しかし、この薬だけの食事に満足はしていないが、また逆に不満も持っていないレイにとって、

 要するに食事とは、ただ単に体を動かすためのエネルギーを得るだけの物であり、

 ”食欲”とは無縁の存在であったため、ヒカリのせっかくの申し出も辞退してしまう。
 

『美味しい』
 
 

『楽しい』


『嬉しい』

 食事を取る時の喜び・・・それがいかに素晴らしいものであるか、

 これ迄全く知らなかった妹に何とか教えてあげたい。しかし、いったいどうしたら・・・

『待てよ、他人であるヒカリの弁当はともかく、兄である自分の弁当だったらもしかしたら』

 そう考えたシンジは、今度は自分の弁当をレイに勧めてみる事にする。
 

「レイ、それじゃお兄ちゃんの弁当を食べてみないか?」

 そう言ってレイの目前へと弁当を差し出すシンジ。

 レイの方はというと差し出された弁当を、しばらくの間、黙ってじいっと見つめていたが、

 やがてポツリと話し始める。

「でも、これを食べてしまったらお兄ちゃんの分が無くなっちゃうわ」

「わかった。じゃあ半分こしよう。それでどうだレイ?」

 熱心に勧めるシンジの気持ちが通じたのか、こっくりとうなずくレイ。

 それを見たシンジは、弁当箱の蓋の部分にご飯とおかずを取り分け始めるが、

 その途中で今度は、ヒカリの方からシンジに声がかかる。
 

「けど、それじゃ碇さんの方が足りなくなっちゃうでしょ。」

問題無い

「でも・・・ ねえ綾波さん。さっきも言ったけど碇さんのじゃなくて私の方を食べてくれないかしら?
 私は半分でも平気だから」

 シンジ以上とも言えるヒカリの熱心さに困惑したのか、レイはヒカリとシンジ、

 双方の顔を交互に見比べ続けており、どうして良いかわからなくなってしまっているようで、

 見かねたシンジは折衷案を出す事にした。
 

「それじゃこうしよう。僕とヒカリがそれぞれ3分の1づつレイにお弁当をあげるんだ」

「レイ、せっかくヒカリが言ってくれているんだから、彼女のお弁当も貰うようにしたらどうだ?」

「そうよ綾波さん。是非私のお弁当も食べて頂戴」

 シンジの提案に対し、すぐさま賛同の意志を見せるヒカリ。

 レイはそんな2人に対し、最初ヒカリの方に顔を向けた後、続いてシンジの方に向き直る。

 あくまでも自然で、穏やかなシンジの表情は、心が段々と温かくなっていくような感じを受ける。

 レイはシンジの方を向いたまま、先程と同じようにこっくりとうなずいた。
 

「よし、決まりだ」

 シンジはそう言うと先程途中だったお弁当の取り分けを再開し、

 3分の1を移し替えた所で今度はそれをヒカリへと渡す。

 受け取ったヒカリもシンジに倣ってお弁当を取り分け、全てが終了した所でそれをレイへと渡す。

「はい。綾波さん」

 無言で受け取るレイに対し、シンジはやさしく注意を促す事にした。

「レイ、こういう時は 『ありがとうございます』 って言うんだよ」

 レイは一旦シンジの表情を伺った後、ヒカリの方に向き直って、やや小さめの声では有ったが、

 はっきりと御礼の言葉を口にした。
 

ありがとうございます

「別にそんなに畏まることはないわよ。ねえ綾波さん、私の事はヒカリって呼び捨てで良いから、
 私もあなたの事をレイって呼んで良いかしら?」

「反対する理由は無いわ」

 まるで他人事のようなレイの物言いに苦笑を浮かべるシンジだが、

 ヒカリの方は何と言って良いのかわからなくなってしまい、シンジの方を見る。

 振られたシンジの方はというと、当然レイの言葉の意味はわかっていたので、

 翻訳した内容をヒカリに伝えてやる。
 

問題無いって事だよ。そうだ、試しに2人ともお互いの事を呼んでみたらどうだ?」

「え、でも」

「別段恥ずかしがるような事じゃない。まずはヒカリの方からやってみてくれないか」

「うん・・・ じゃ行くわよ。 レイ」

「・・・ヒカリ」

「よろしくね」

「よ、よろしく」

 どうやら初めてのエール交換は無事終了したようで、

 ほっと胸をなで下ろすシンジは、急にお腹が空いてくるのを感じていた。
 

「さて、それじゃそろそろ頂くとするか」

「待って!」

「どうした?」

 出鼻をくじかれずっこけそうになったシンジが、ヒカリにストップをかけた理由を尋ねる。

「あや・・ レイのお箸が無いのよ」

「あ、そうか・・・ うーん。よし、売店から割り箸を取ってくるよ」
 

 市立である第一中には学食は存在しないのだが、都合の良いことに(本当にその通りだな)

 売店ではパンなどとならんで、パック入りの焼きそばやスパゲティを売っているので、

 当然それを食べるための割り箸が置いてあるのだ。
 

「え、でも」

「悩んでいるよりその方が早い」

 そう言うやいなや階段を駆け下りていくシンジ。

 その余りの素早さに後に残されたヒカリとレイは、しばらくの間ポカンとしていたが、

 やがてどちらからともなく顔を見合わせると、何故かヒカリはクスクスと笑い始め、

 それを見ていたレイも理由はわからないながらも、何となくおかしい気分になっていき、

 ヒカリと同様、こちらも笑い始めてしまう。

 結局、シンジが戻ってくる迄それは続き、

 彼がレイに割り箸を差し出した時には、2人はすっかり打ち解けていた。
 

「何だ? 何かおかしな事でもあったのか?」

「何でも無いわよ。ね、レイ」

「そう・・ 何でもないわ、お兄ちゃん」

「変なやつらだな・・・ ほらレイ」

ありがとう。お兄ちゃん」

 シンジが差し出した割り箸をそう言って受け取るレイと、それを微笑ましく見つめるヒカリ。

 それからほんの少し後、晴れやかな青空の広がる第一中の屋上に3人の元気な声が響き渡る。

「「「いただきま〜す」」」
 
 

 第三新東京市立第一中学校2年A組  学級委員長 洞木ヒカリ。

 同じく              2年A組 出席番号2番 綾波レイ。

 文字通り、箸が転げてもおかしい年齢の2人の少女であった。
 
 
 
 
 

「美味しい!」

 もしかしたらレイにとっては生まれて初めてかもしれないお弁当に口をつけた直後、

 本当にごく自然な様子でその言葉は紡ぎ出されてきた。

「ね、レイ、今度は私の方を食べてみて」

 どうやら最初レイが箸をつけたのはシンジの方のお弁当だったらしく、

 期待と、そしてシンジのお弁当に対するちょっとした嫉妬と共に、

 ヒカリはレイに対し、今度は自分の方を味見して貰えるように依頼する。
 

「美味しい!」

 ヒカリのお弁当を口にした後、先程のシンジの場合と同様ごく自然に、

 しかし本心からの言葉である事が誰にでもわかる感嘆の台詞が語られる。

 レイのつぶやいた言葉は、当然調理した者の自尊心を満足させるものであり、

 その証拠という訳でもないのだが、ヒカリは、何故かレイではなく、

 シンジに向けて会心とも言える笑みを浮かべてみせる。

 苦笑、という訳ではないが、何となく曖昧な笑みを浮かべるシンジ。

 この場合、どっちの方が?・・・ などと野暮な事は言ってはいけない。

 レイは今、本当に幸福な気持ちでいっぱいなのだから。
 

「レイ」

「何? お兄ちゃん」

「お弁当の事なんだが、もし良かったら明日からお前の分も作ってこようか?」

 どうやらレイはシンジとヒカリの弁当をいたく気に入ったようであり、

 その様子からシンジは自分の分と合わせて、レイの分もお弁当も作る事を提案する。

 これ迄の流れからすると、レイは喜んでその提案を受け入れるものと思われたが、

 それを阻止する者が、まさかすぐそばに存在しているとはさすがのシンジも気づかなかった。
 

「ちょっと待って碇さん」

「どうしたヒカリ?」

「でもそれって、あの・・ミサトさんて人にお願いしなくちゃならないんでしょ。
 やっぱり、気を遣うんじゃないの?」

問題無い

 まさか 『シンジ自身がお弁当を作っている』 などとは思いもよらなかったヒカリは、

 シンジの保護者で人は良さそうなミサトであっても、やはり他人にあたる彼女に、

 シンジの分のみならず、レイの分迄も弁当の作成を依頼するのは、

 いくらシンジでも心苦しいのではないかと思って声をかけたのだが、

 逆にシンジの方もヒカリが 『シンジのお弁当はミサトが作っている』 と思っている。

 などとは夢にも思わなかったので、残念な事にヒカリの真意がシンジに伝わる事はなく、

 せっかくの彼女の申し出もあっさりと否定されてしまう。
 

「でも・・・ やっぱりミサトさんも忙しいでしょうし、結構手間もかかると思うんです。
 それより・・・ あの・・・」

 さすがにここまで来ると、シンジの方もヒカリが勘違いをしている事がわかってきた。

『あのミサトが弁当を作るだと・・・』

 元々ミサトに料理など出来ない事をわかっていたシンジは、

悪かったわね

 思わず笑い出しそうになってしまったが、

 ヒカリがまだ何か言いたげだったので、何とかこらえると、続きを話すよう彼女を促す。
 

「それで・・・?」

「私、姉妹が2人いてね、名前はコダマとノゾミ。いつもお弁当私が作ってるんだけど・・・」

「大変だな」

「だから、こう見えても私、以外と料理うまかったりするんだ。
 だから私、いつもお弁当の材料余っちゃうの・・・ だから・・・」

 委員長として、いつもはきはきとクラスをしっかり纏めている彼女にしては、

 いかにも歯切れの悪いセリフが続くが、これはいた仕方無いだろう。
 

『俺のメシを作ってくれ』

 男性の口から出たならばプロポーズの言葉ともなりかねない、

 それの逆のパターンに近い事を彼女は言おうとしているのであり、

 もしレイがダシとしてこの場にいなかったのならば、おそらく語られる筈の無い言葉なのだ。

 ここら辺がヒカリの限界だな、そうシンジは判断すると彼女に対して助け船を出す事にした。
 

「そうだな。せっかくヒカリがそこ迄言ってくれるんなら・・・
 どうだレイ、明日っから彼女に弁当を作ってもらったら」

「・・・ヒカリのお弁当は美味しい・・・」

「と言うわけだ。ついでと言っては何だが、僕の分も頼んで良いかな?」

 相変わらずのレイの物言いに、シンジはまたも苦笑を浮かべながら後を引き取ると、

 自分の分も含めてヒカリに弁当の製作を依頼する。

 さすが、ここら辺は彼女の心理を良く読んでいるといえよう。
 

「喜んで!」

 自分の思惑がまんまと図に当たったヒカリは、すかさず即答する。

「ありがとうヒカリ、それじゃレイ、2人でちゃんとヒカリにお願いしよう」

「こういう時、どうすれば良いのかわからないわ」

「こういう時は 『お願いします』 って言うんだよ。 ”心”をこめてね」

「心・・・」

「そう、心」
 

 漠然とした感じながらもそれ迄とは違い、レイはシンジの言いたい事が、

 ほんの少しづつではあったが、わかり始めてきているような気がしていた。

「じゃ、一緒に言おう、いいかいレイ?」

 シンジの言葉にレイはこくりとうなずくと、ついで彼につられるようにヒカリの方に向き直る。

「「お願いします」」

「まかせなさい!」

 ヒカリはわざとおどけて偉そうに胸を張ってみせるが、やがて耐えられなくなったのか、

 誰とはなしに笑い声が漏れて出てきてしまう。
 

「ところで碇さんは好き嫌いありますか?」

問題無い

「レイは」

「肉、嫌いだから」
 

 碇兄妹の料理長に就任したヒカリは、さっそく大切なお客様の嗜好の把握に努めだす。

 どうやらシンジの方は彼の言葉通り問題無いみたいだが、レイの方は肉類が苦手らしい。

 さてどんなメニューにするか? 大変かもしれないが逆にそれだけやりがいを感じるヒカリ。
 

 一方のシンジの方はと見ると、以前第二新東京市にいた際に1人暮らしをしていた彼は、

 自分の身の回りの事は全て自分で実施していたのだが、

 それはあくまで彼の裁量内で、自由に動かせる時間が有ったからこそ出来た事であり、

 ここ第三新東京市では、ネルフに所属する事によって、

 それはかなり制限を加えられる事となっていたため、

 ヒカリの提案は彼にとってまさに渡りに船だったのである。
 

 さて、最後のレイはというと・・・

「・・・ヒカリのお弁当は美味しい・・・」

 はいはい。
 
 

 第三使徒と第四使徒の襲来する合間。

 第三新東京市立第一中学校の屋上では、何とも微笑ましい”日常”が繰り広げられていた。
 
 
 
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者は、これ迄自分の”手を引いて”きた男と決別し、

 魔界より遣わされし3人目の少年と、今後”手を携えて”歩んで行く事となる。
 
 

                                                         
 
 

 日々行われる訓練で、ミサトにはまたまだ及ばないながらも急速にその力を伸張させるシンジ。

 それはネルフ内部において、彼の存在感が着々と拡大していくのと全く比例していた。

 ついには冬月でさえも己の視界の内にしっかりととりこんでしまう。

 次回 問題無い  第14話 シンジ 台頭

 さ〜て、この次も サービスしちゃうわよ