天界より遣わされし２番目の使者を、自分の 「妹」 として接する事を決心した
魔界より遣わされし３人目の少年は、それを確定させるべく、具体的行動を開始した。
第１１話 シンジ 論戦
ジオフロントへと繋がるヘリ用の昇降口は、
普段２２層からなる隔壁によって封鎖されているのだが、
シンジを乗せたＶＴＯＬがゆっくりと降下していくに従って、それらが次々と開いていく。
眼下に広がるその光景は仲々荘厳な物があるのだが、
あいにく考え事をしているシンジには何の感慨も湧いてはこない。
彼がリツコの所へ向かおうとしているのは、レイの事を話すためなのだが、
今現在シンジの脳裏に有るのはレイの事ではなく、実は自分の事であった。
自分が 『急いでいるので足を用意してくれ』 と言うと、
人目も気にせずすぐさまＶＴＯＬが派遣されるという現実は、
彼自身のレーゾンデートルが自分で考えているよりもはるかに重要な、
ＶＩＰと言っても良い人物として重要視されている事を物語っている。
通常兵器が全く役に立たない 「使徒」 を倒す事の出来る唯一の存在エヴァ、
そして現時点においてこの世で只一人、その 「使徒」 と戦い、これを倒した人物。
以前から薄々感じ始めてはいたのだが、
自分はこれ迄、 「碇シンジ」 という単なる一介の中学生にしかすぎなかったのが、
ここネルフにおいては、既に 「サードチルドレン」 という世界を救う英雄に祭り上げられている。
今回の出来事では、はっきりとそれを確認する結果となり、
今後は自分の言動、行動に対しては、より一層の注意が必要となる事を、
シンジは自身の胸にしっかりと刻みつけていった。
ＶＴＯＬはジオフロントの中でも割と郊外の方に着陸する事になった。
建物の屋上に設置されたヘリポートに直接降りられれば簡単なのだろうが、
なにしろＶＴＯＬの場合はヘリの３〜４倍、１０数トンの重量があるため、
そこに着陸するのは不可能なので、このような事になったのである。
そこには既に電動カートが待機していて、シンジが来るのを今や遅しと待ちかまえており、
本来２人乗り用のそれには運転席に１人だけ、やはり黒スーツの男が腰掛けている。
全く色気が無いったらありゃしない。
やっばりこういう時は蛍光色系のポロシャツに、ホットパンツを身につけた２０歳前後の女の子、
これが定番だろうに、それに当然ホットパンツからは健康的な太股が覗いていなくてはならない。
（コラ！ イイ加減にしろよ。このオヤジ）
ＶＴＯＬから降りたシンジは、（内心はともかく）いつも通り無表情で電動カートに乗り込むと、
先程の反省を踏まえ、黒スーツに対して行き先をはっきりと告げる事にした。
「リツコの研究室に１番近い本部入り口迄送ってくれ」
「わかりました」
簡潔に答えると電動カートを発進させる黒スーツ。
使命感に燃えているこの男が、今回のシンジのリツコ訪問の目的がわかったら、
いったいどう思ったであろうか？
ともあれ本部入口までカートで送ってもらったシンジは、黒スーツに礼を言ってカートを降りた後、
早足でリツコの研究室へと向かって行った。
リツコの研究室前に到着したシンジは、それを知らせるために呼び鈴を押す。
キンコン
「はい」
「僕だ」
「シンジ様ですね、どうぞ開いてます」
シュッ
圧縮空気音に伴って開いたドアから素早く体を室内へと滑り込ませたシンジの目に、
いつも通り白衣を纏ったリツコの姿が飛び込んで来る。
「早かったですね、近くにいらしたんですか？」
自分が予想していたよりも結構早くシンジが到着したので、
笑顔を振り向けながら何気ない調子でリツコがシンジに尋ねる。
「いや、そうじゃない。ＶＴＯＬで送ってもらった」
「ＶＴＯＬで、ですか！？」
自分の質問に対し、苦笑を交えながら返されたシンジの答えにリツコは驚く。
確かに現時点で唯一エヴァを駆り使徒と戦った存在である、
つまり人類における希望の象徴とも言えるシンジは、ＶＩＰとして扱っても構わないと思うが、
それにしても状況というものがある。
第３使徒が襲来してからある程度の日数が経ち、
ようやく町も落ち着きを見せ始めているこの時期に、ＶＴＯＬを街中に降ろすなど・・・
使徒襲来等、どうしても必要な場合は仕方が無いが、それ以外の場合においては、
いたずらに人々の不安を煽るだけになりかねず、決して良い結果を産むとは言えないだろう。
『保安部にきつく申し渡さないと』
顔をしかめながらそんな事をリツコが考えていると、
その表情から彼女の胸中を察したのだろう、シンジはリツコをなだめにかかった。
「リツコ」
「何でしょう？ シンジ様」
「今回の事は僕の認識が甘かったから起こったんだ。そう恐い顔をするな」
「そんな、私は別に・・・」
自分の胸中を見透かされた事に気づき、リツコは頬を赤らめてしまう。
そんなリツコにシンジは優しげな視線を送ったまま、
自分の立場を再認識した事を彼女に告げた。
「自分が思っていたよりも僕の立場というのは相当重要だという事に今回は気づかされたよ、
これからはもう少し自身の言動や行動に注意しなければならないな」
「シンジ様・・」
「ま、そういう事だ。それより相談の件なんだが」
「はい。でもこのままでは何ですから、どこかお掛けください」
リツコに促されたシンジは、手近にあった椅子を引き寄せそこに腰を下ろすと、
リツコも腰掛けるのをほんの少し待った。
「レイの事なんだが、色々心配をかけたと思うがようやく決心がついたんで、
まずリツコに話しておこうと思ってな」
「ありがとうございます」
そう言いながらリツコはゴクリと唾を飲み込んでいた。
シンジの事だから決してレイをあだおろそかに扱う事はないと思うが、
それでも一抹の不安を消し去る事は出来ないようで、
次に語られるシンジの言葉を、息をひそめて待ち受けていた。
「率直に言おう。レイは正式に僕の妹にする」
「妹・・ ですか？」
「そうだ。前にリツコが言っていただろう、彼女は母さんの遺伝子を持っていると。
となるとやはり同じ遺伝子を持っている僕の姉か妹とするのが妥当な線だろう」
「でもまさか”姉”というのは全くピンと来ないし、
やっぱり”妹”とするのが一番しっくり来ると思うんだ」
「・・・・・・・・・・」
レイを自らの妹とするというシンジに対して、リツコは返す言葉を持たなかった。
これはシンジの回答がリツコの予想をはるかに上回っていたためである。
”人”として、あるいわ”仲間”としては認めてもらえるかもしれないと思っていたが、
まさかこれ程とは・・・
「リツコ？ おいリツコ！」
「あ、はい」
「どうした。やはり不満なのか？」
「いえ、全然そんな事はありません。失礼かとは思いますが、
まさかシンジ様がそこ迄レイの事を考えてくれているとは思わなかったものですから」
シンジからの問いかけに対し、リツコは率直に自分の考えを述べるが、
その一方で、ある一つの懸案に思い至り、その事をシンジに喚起しようと再び口を開く。
「でもシンジ様、レイを妹にするといっても、具体的にはいったいどうなされるおつもりなのですか」
「リツコが心配している事はわかるよ。父さんの事だろう？」
「ええ、その通りです。司令が素直にレイをシンジ様の妹として認めるとは到底思えません」
確かにリツコの言う通りであろう。
レイが成人したあかつきには、ユイに代わって自分の妻とするという、
壮大なヒカル源氏計画がその根底にあったため、
これ迄ゲンドウはレイが第三者と接触する事を極力回避してきたのだ。
本当ならセントラルドグマの奥深く、誰にも干渉されない場所で１人悦に入りたかったのだが、
ファーストチルドレンであるレイの場合はそうもいかず、
さらに冬月先生の目が厳しかったので、仕方なく学校にまで通わせなくてはならないハメになり、
これ以上変な虫がつきそうな事については、断固として反対する事が予想されるのである。
（違うだろ！ 何を長々と嘘八百をならべたてているんだよ）
やっぱりこれは男として永遠のロマンであろうし、
生半可な事ではシンジの計画が成功する事は・・・
いやそれどころか、うまくいく可能性は殆どないと言った方が良いであろう。
おまけにゲンドウは親子丼が大好きのようだし。
（コノヤロー 開き直ったな）
しかしシンジは、そんなリツコの懸念をよそに『碇スマイル』を浮かべると、
自信たっぷりに言い切った。
「問題無い。１０年間離れて暮らしていたとはいってもやはり親子だしな、
こう見えても父さんの事は良くわかっているつもりだ」
こうまできっばりと言い切るシンジの態度は、ゲンドウの事を良く知るリツコですらも、
『実際そうなのか！』 と納得させられるだけの自信に満ち溢れている。
やっぱり自分が生涯仕えるべき主人は、今目の前にいる 「碇シンジ」 彼しかいない。
もうゲンドウとは手を切ろう。そして全てを包み隠さずシンジに話そう。
見境のない、ふしだらな女としてシンジに捨てられたとしても仕方ない。
これ以上彼に対して、隠し事を持ちたくないと感じたリツコは、
シンジにゲンドウとの関係を全てうち明ける決心をした。
「シンジ様、私の方からも是非ともシンジ様に聞いて頂きたい事があるのですが」
「何だ？」
リツコは軽く深呼吸をすると、ともすれば乱れそうになる己の心を静めるために、
例の呪文を繰り返し呟いた。
『逃げちゃダメよ！逃げちゃダメよ！逃げちゃダメよ！逃げちゃダメよ！逃げちゃダメよ！・・・・』
シンジの影響を確実に受けているリツコであった。
（コラ待て！ このＳＳでのシンジのキャラは全然違うだろうが）
意を決し、話し始めようとするリツコだが、やはりシンジの目を正面から見る勇気は無い。
彼女は視線をシンジからはずすと、いつもより小声で話し始めた。
「実は、私と司令なんですが・・・」
「それをいうならお互い様だ。いや逆に僕の方がリツコに謝らなければならないかもしれんな」
この期におよんで言い淀んだリツコの後を受け、シンジはリツコを労う言葉を口にする。
驚いたリツコは、それまで外していた視線をシンジへと戻すと、
そこに彼女を包み込むような暖かさを感じ取っていた。
「リツコ、僕はこういう男だ。これ迄も、そしてこれからもそれは変わる事はないだろう。
だが少なくとも女性を騙そうと思ったり、利用しようと思った事は１度も無い。
その事だけはわかってくれるな？」
「はい。勿論です・・」
答えるリツコの語尾は震えており、両目からは大粒の涙が今にもこぼれ落ちそうだ。
リツコはシンジの事をあらためて信頼する事にし、
彼の力になれるよう、自分も精一杯の努力をする事を自身の胸に誓った。
元々は小心者で有り、それ故に自分の手を出す事にためらいを感じていたゲンドウは、
人を信じる事ができず、いつしか人を利用する事しか考えられなくなっていたのだ。
それに対してシンジの方はどうかというと、かつてマヤがリツコに問いかけた時に、
彼女がマヤに返した言葉がシンジの本質を如実に現している。即ち、
『そうね、彼はどちらかというとトップに立って部下を使いこなすタイプの人間のように見えるけど、
いざと言う時にはキチッと自分の手で物事を処理する。出来る能力も持っているのよ。
ここら辺は、司令とはちょっと違う所かしらね』
という事である。
要するにシンジの場合は、その人間の本質を見抜き、
利用するのでは無く力を引き出す事ができる上に、
いざとなったら自分自身が動く事も出来るのである。
ここがゲンドウとシンジとの大きな違いと言えよう。
「であればもう何も問題無い。この話はここ迄だ」
「はい。わかりました。ですがシンジ様、
レイの事については具体的にいったいどうなさるおつもりなのですか？」
「簡単だ。父さんはレイ本人を見ているわけでは決してなく、
レイを通して１０年前にいなくなった母さんを見ているのに過ぎないんだ。
だったら本物の母さんが戻ってくれば、レイに執着する事もないだろう」
レイをシンジの妹とするための方法について、懸念を示すリツコに対し、
苦もない事だとあっさり答えるシンジ。
確かにシンジの言う通りなのかもしれないが、
個人的にはやっぱりヒカル源氏計画の方が、既にトウのたったユイさんに比べたら・・
「簡単なんですよ、人を滅ぼすのは」
・・比べ物になりませんな。おまけにヒカル源氏計画は倫理的にも問題があるし、
それによく考えたらユイさんは１０年前から年をとっていないんだから、
実質的な年齢はリツコやミサトよりも若いんでしたね。失礼しました〜。
「それはそうかもしれませんが・・ どうやってユイさんを元に戻すおつもりなのですか？」
「無論今すぐには無理だ。だが決してむずかしい事ではない。
初号機のパイロット、というより、唯一初号機と意志を通じる事の出来る僕にはわかるんだ」
シンジの提案に、一応は納得する様子を見せながらも、これ迄１６回それに挑んで、
ことごとく失敗した事を良く知っているリツコの頭からは、やはり疑念が消え去る事は無い。
それに対して、何らかの方策を示すのかと思われたシンジの返事だったが、
具体的な事については一切言及されなかった。
しかしながら彼が最後に話した台詞は問答無用の説得力を持っている。
こんな風に言われてしまったら、あのゲンドウといえど二の句を継ぐ事は出来ないだろう。
それに対してさすがリツコはＥ計画の責任者と言うべきか、
あるいわ１０年前サルベージに失敗した母の無念を晴らすべくか、
シンジが提唱する新たなるサルベージ計画の全容をなるべく把握しようと、
再度彼に対しての質問を実施する事にした。
「シンジ様、出来ればユイさんを掬い出す具体的方法を教えていただけませんでしょうか？
実際にその方法が有効か否か、私なりに検証してみたいのですが」
「リツコ、お前はまだ知らない方がいい。何故なら何かあったとしても僕の所でストップするからだ」
「シンジ様！」
「お前を危険に晒すつもりはないんだよ、リツコ」
残念ながらシンジは苦しみを自分１人で背負い込むつもりなのであろうか、
精一杯シンジに配慮を尽くしたつもりのリツコにさえ、それを分け与えようとはしなかった。
そんなシンジの気持ちを汲み取りつつも、リツコは最後にもう１つだけ質問をする事にした。
「シンジ様、せめてこれだけは教えて下さい。
シンジ様は先程 「今すぐには無理だ」 とおっしゃいました。
では可能になるのはいつの事なのですか」
「リツコ・・・・・・ わかった。具体的にいつ頃、と時期を明示するのは難しい。
わかっているのは使徒を全て殲滅したらそれが可能になるという事だけだ」
「使徒を・・ 全て・・ ですか？」
「そうだ、僕が倒した使徒はまだ１体。だからまだまだ先になる事は間違いない。
しかしそれでも、全く先の見えない霧の中をあてどなく彷徨うよりは、
ゴールとなる灯火が見えていた方がはりあいが出るだろう」
シンジは決して嘘を言う人間ではない。リツコには確信があった。
使徒を全て屠った後にユイが確実に戻ってくるとあれば、ゲンドウも考えを変えるだろう。
彼が言うのならば間違いない。ただ問題はゲンドウがそれを信じるかどうかだが。
シンジとゲンドウの関係は世間一般的に見れば、
『ゲンドウがシンジを捨てた』 と見るのが妥当な線であるが、
リツコがこれ迄見てきた２人の関係は、決してそんな事はなく、むしろ
『ゲンドウがシンジから逃げ出した』 と映るのである。
そんなゲンドウがはたしてシンジの言い分を信じてくれるのか？
その外見と無口によって何とかトップとしての威厳を保っているものの、
実際は小心者であるあの男の狭量さが気にかかるリツコであった。
「さてと、それじゃ父さんの所に許可を貰いに行きたいんだが、電話を貸して貰えるかな？」
「あ、はい。どうぞ」
だが、そんなリツコの心配をよそに、シンジはまるで普通の家庭の子が、
親に小遣いをせびるかのような簡単な調子でそう言うと、
内線用の電話を受け取り、ついでゲンドウの番号を彼女に尋ねる。
「父さんの番号を教えてくれないか？ 今日はいるんだろ？」
「はい。××××です」
ガチャ
リツコの教えてくれた番号に従い、内線をプッシュするシンジ。
２回程コールした後、受話器の上がる音に続いて、ゲンドウの例によって低い声が聞こえてきた。
「私だ！」
「僕だ！」
「・・・・・シンジか、いったい何のようだ？」
「レイの事について話したい事があるんだけど、僕のパスではその部屋には入れないんで、
部屋の前についたらそちらからドアを開けて欲しいんだ」
シンジの言葉を聞き怪訝な表情をするリツコ。
確かにシンジの言う通り、司令であるゲンドウの部屋に入室可能なパスを所持しているのは、
リツコやミサトを初めとする部長職以上の者と、
その人物の護衛にあたる保安部の人間とに限定されている。
この事は以前シンジに説明しており、そのため現在彼はゲンドウと交渉しているのだが、
しかしわざわざ交渉を行うまでもなく、自分がシンジを同伴していけば、
何の問題もなくゲンドウの司令室に行ける筈なのだが、彼には何か別の考えがあるのだろうか？
「レイの事・・ だと」
「ああ」
「何だ。言ってみろ」
「重要な事だ。電話では話せない。そちらについたら教える」
皮肉たっぷりに以前ゲンドウが自分に話した言葉を返すシンジ。
まさに典型的な似たもの親子と言えるのではないだろうか。
「わかった。私は忙しい。来るなら早くしろ」
「すぐにお伺いしますよ。碇司令」
ガチャン
とてつもなく楽しそうなシンジの最後の台詞に続いて、
乱暴に叩きつけられる受話器の音が耳に飛び込んでくる。
それでも尚、シンジの顔から人をからかうとき特有のあの悪魔的な笑みが消える事はなかった。
「ありがとう。じゃちょっと行って来るよ」
リツコに電話を返しながら、そういって部屋を出て行こうとするシンジ。
しかしやはりこのままシンジを１人でゲンドウの元に行かせる事に抵抗があったリツコは、
自らも帯同してくれるよう、彼に懇願する事にした。
「シンジ様、私も一緒に連れていって下さい」
「気持ちはありがたいが、駄目だ」
「シンジ様！」
「まだ矢面に立つ必要は無い。それに父さんを説得するのは全然簡単だしね」
そう言って、先程ゲンドウと話していた時とは全く違う笑みをリツコに向けるシンジ。
その笑みに魅了されたのか、リツコはこの場はおとなしく引き下がる事にした。
「わかりました。ですが必要になったらいつでも呼んで下さいね、すぐ駆けつけますから」
「その時はよろしく頼む。じゃこれで失礼するよ」
「お気をつけて」
シュツ
そういってシンジを見送った後、リツコはしばらくの間そのドアをじっと見続けていた。
「僕だ」
「入りたまえ」
シュッ
「失礼するよ」
司令室の前に来て声を出したシンジに返事を返したのは、ゲンドウではなく冬月だった。
それと同時にドアが自動で開いていき、シンジはまるで、
自分がこの部屋の主よりも上位者であるかのような言葉を発して室内へと入っていった。
「こうして正面から向かい合うのは初めてだね。父さん」
「・・・・・・・・」
司令室へ入ったシンジはいきなりつかつかとゲンドウの机の前迄移動したかと思うと、
そこに両手をついてゲンドウを正面からねめつけ、例の『碇スマイル』を浮かべる。
そんなシンジの刺すような視線に対してゲンドウは、
肘を机の上について、合わせた両手を口の前に持ってくる、
これまた例の『ゲンドウポーズ』で対抗しようとするがその内心は、
『サングラスしてて良かった』 と思うのが精一杯であったらしい。
そんな２人の様子を、傍観者よろしく眺めていた冬月の心に浮かんだのは、
『これではどっちが親がわからんな』 というものであった。
このままでは司令として、親としての沽券にかかわるとゲンドウも思ったのだろうか、
ゲンドウはシンジの訪問の意味を誘い出そうと、なけなしの勇気を振り絞り声を発した。
「私は忙しいんだ。用件を早く言え」
見た所全く何もしていなかったくせに、そんな事をのたまう父親をシンジは鼻で笑うと、
それまで父親を正面から見据えていた視線を左側へと移動させる。そこには・・・
ご丁寧にもまだ駒が盤上に残ったままの将棋盤が置いて有るではないか。
しかもその配置からして珍しくゲンドウの方がかなり優勢な状況であったらしい。
この状況では自分が何を言ったとしても言い訳にしかならないと判断したゲンドウは、
冬月に釈明してもらえるよう、アイコンタクトを試みるが、
今度は逆にサングラスが邪魔になって通じないようである。
一方冬月の方はと言うと、長年のつきあいからゲンドウが何を言いたいのかについては、
とっくに思い至っていたが、このまま勝負を続けた場合自分の敗戦が必死な状況であったため、
知らんぷりを決めつける事にした。
ほんの少ししてから、ゲンドウは冬月からの援護は期待できないものと判断し、
泣く泣く勝負をあきらめる事にした。
「誤解するな、あれは冬月が１人でやっていたにすぎん」
『おのれシンジめ、私が冬月先生に勝てる事など滅多にないのに、
お前のせいで、お前のせいで』
それを聞いて冬月はホッと溜息をもらすとゲンドウのフォローに回る。
「その通りだよシンジ君。碇はこう見えて結構忙しいんでな、用件はなるべく手短に頼むよ」
そんな冬月をゲンドウは憎々しげに睨み付けるが、
冬月からすれば自分の思惑通り、といった所である。
自分とゲンドウのどちらが言い訳を言ったとしても、
シンジに対しては同じ意味しか持たないのだが、勝負という観点から見ると、
自分から言ったのでは敗者の戯言として片づけられてしまう所だが、
限りなく勝者に近いゲンドウの方から言いだしたのならば、真実としての重みを持つ。
冬月は勝負をうやむやに出来た事に対し、深い満足感を覚えるのであった。
（あのな〜 お前）
無論シンジにはこの２人の事などお見通しだったのだが、
とりあえず突っ込みは無しにして、話を前に進める事にした。
「単刀直入に言うよ。父さん、レイを僕の妹として、正式に戸籍を作成して欲しいんだ」
「・・・・・・馬鹿な事を言うな。私に戸籍を偽造しろとでも言うのか、そんな事出来る訳がなかろう」
「ＭＡＧＩを使えば簡単だろ」
「イイ加減にしろ。例えそうであったとしても、何故レイをお前の妹にしなければならんのだ？」
最初ゲンドウはシンジが何を言っているのか理解出来なかったため、反応が少し遅れたのだが、
ファーストチルドレンとして、この後様々な事象に役立ってもらわなくてはならないレイに、
これ以上他人との複雑な関係を構築され、自分の思い通りの人形から、
普通の人間のように情感を持ってもらうわけにはいかないと判断し、
シンジの提案を即座に却下しようとする。
『当たり前だ。レイにはあと何年かしたら私の妻になってもらうんだからな、
これ以上余計な虫を近づける訳にはいかん』
（もうその話題からは離れろ）
「理由は一つしかないだろう、僕もレイも同じ母親から産まれているからだよ」
「何だと！ ・・・・・何を馬鹿な事を言っている。そんな事があるわけないだろう」
そうイイながらゲンドウは思わず『ゲンドウポーズ』を解いてしまい、
慌てて元に戻し、シンジの意見を否定にかかるのだが、
そのうろたえぶりはシンジと冬月、２人の目には明らかであった。
『レイにこだわり過ぎだな、碇』
「父さん、今更隠す必要は無いよ。僕はこの事を母さんから直接聞いたんだから」
ガタン
シンジのこの言葉に至ってついに耐えきれず、ゲンドウは椅子から立ち上がってしまう。
これではシンジの言い分を完全に認めたのと同じ筈なのだが、
あきらめの悪いゲンドウは尚も食い下がりを見せようとする。
「悪ふざけもそこ迄にするんだな。母さんは１０年前に・・」
「エヴァ初号機に取り込まれたんだろう」
「？！・・・・・・」
勝負に行った最強のカードである筈のスペードのエースを、
ジョーカーによってあっさり切り替えされたゲンドウには、既に手の打ちようが無く、
彼に残された道はおとなしくこの場を降りるしかなかったのだが、
しかしせめて敗因を確認しない事には納得できないのか、
ゲンドウは最後の力を振り絞って、シンジにその事を尋ねる事にした。
「何故お前がその事を知っている？」
「何だ、父さんの方こそ覚えていないのかい？
母さんがいなくなった時、僕も父さん達と一緒にそれを見ていたじゃないか」
「確かあの時、副司令・・ いや冬月先生はこう言いましたよね？
『碇、ここは託児所じゃない。今日は大事な日だぞ』って」
ゲンドウと冬月、２人揃って 「あっ」 という顔をしている。
どうやら２人ともシンジの言うようにあの場にシンジが居合わせた事はすっかり忘れていたらしい。
老いらくの恋、と言っては冬月先生に失礼かもしれないが、若い頃から学問一筋で、
女性との関わりがほとんど無かった彼にとってオアシス的存在だった女性。
人に好かれるのは苦手だが、疎まれるのは慣れている、
殆どの人間が自分の第一印象を”嫌な男”と判断する中、唯一自分の事を、
『あの人はとても可愛い人なんですよ。みんな知らないだけです』 と言ってくれた最愛の妻。
かように碇ユイの存在は、この２人にとって大きなものであったため、
あの事故があった際、現場に居た 『オマケ』 の存在を忘れてしまったとしても無理ないだろう。
その 『オマケ』 が今や、ゲンドウと冬月、この２人の男達に取って変わって、
主役の座に登り詰めようとしている。
１０年前最初の、そして結果的に最後となるシンクロテストにユイが臨んだ際、
彼女は息子であるシンジに対し、『明るい未来を見せておきたい』 と考えたのだが、
テストは失敗し、皮肉な事にその後のシンジの人生に暗い影を残す事になってしまう。
だが逆にそれをバネとし、逆境から這い上がってきた、
碇シンジという突然現れた明日のスターが放つ輝きの前に、２人は語る言葉を全て失っていた。
監督・脚本・演出・主演、１人４役をなんなくこなし続けるシンジだが、
フィナーレの時はもう、すぐそこ迄近づきつつあった。
「父さんエヴァとシンクロする。という事がどういう事だかわかるかい？」
「・・・・・・・・・・・・」
シンジの問いかけに対しゲンドウは答える術を持たなかった。
これは、現在エヴァとシンクロ可能なのが、全世界でもシンジを含めて３人しかいないので、
彼ら以外に実際のシンクロがどういうものなのか、
『チルドレン』 ではないゲンドウにわかる筈も無かったのと、
先程のショックから完全には立ち直っていなかったからなのだ。
「一言で言うとそうだな・・・ 精神の同調とでも言うか、１人の体に僕と母さん、２人の心があって、
それがシンクロ率が上がるに連れて、その間の壁が消え去っていく。そんな感じなんだ」
「その時に僕は母さんから聞いたのさ、僕とレイは同じ母さんの遺伝子を持っているって」
ここが勝負所と読んだのか、はたまたゲンドウが今だ立ち直っていないと判断したのか、
シンジはかさにかかってゲンドウを追い詰めにかかるのだが、
腐っても鯛、ゲンドウは自身に残された唯一の希望であるレイを、
決してシンジに渡してなるものかと、もう１度気持ちを奮い立たせた。
「それがどうした。仮にお前の言うことが事実だったとしても、」
レイにはこの先まだまだやってもらわなくてはならない事が山とあるのだ。
子供の駄々につきあっている暇は無い」
しかしシンジは、そんなゲンドウの反撃にも全く隙を見せず、
ジョーカーによって手に入れた権利を決して手放そうとはしなかった。
「話は最後迄聞きなよ、僕がその時聞いたのはレイの事だけじゃない。
母さんを確実にサルベージ出来る方法、それも教えてもらってきたのさ」
「「なんだと（って）・・・・」」
手持ちの札を全て切り終える事に成功したシンジの顔に『碇スマイル』が浮かぶ。
ネルフの�癸院↓癸欧呂修譴鬚燭席鯀海畔垢�流す事しか出来なかった。
だがやはり、ユイへの思いが尋常でないゲンドウは次の瞬間には立ち直ると、
シンジに対し詰問を実施する。
『人類補完計画？ サードインパクト？ そんな事はどうでも良い。俺には、俺には・・・』
碇ゲンドウにとっての ”絆” とは・・・・・・ 他に何も無かったのかもしれない。
「シンジ、方法を教えろ！」
「レイの事が先だ！」
「貴様、ユイはお前にとっても実の母親だろうが！！」
「勿論だよ。そしてレイは実の妹だ！！」
今にも掴みかからんばかりの、いわゆる骨肉の争いの様相を呈してきた２人に対し、
とりあえずは第三者の立場であった冬月は、このままでは埒が開かないと判断し、
２人の間に割って入る。
「落ち着け、碇！ シンジ君、君の言い分もわかるが、どうだろう、
ここは息子である君が父親の顔を立ててやってはくれまいか？」
言いながら冬月は 『もう少しマシな説得の方法はないのか』 と歯噛みしていた。
若い頃から人とのつきあいがそれ程得意な方ではなかった自分。
これ迄父親らしい事を何一つしてこなかったゲンドウに対し、
その顔を立ててくれといっても、普通に考えれば聞いてくれる筈がないのだ。
だが冬月のそんな懸念に対し、シンジの口から出てきた言葉は全く予想外のものだった。
「副司令、それに父さん。どうやら僕の言い方が悪かったようだ。
母さんをサルベージする事は現時点では不可能なんだ」
「何だと。お前はさっき・・・」
「まあ待て碇、ここは私にまかせろ。どういう事なんだねシンジ君」
激高する一歩手前といった感じのゲンドウを冬月は制し、シンジに事の子細を確認しようとする。
促されたシンジは、２人に良くわかるようにと、ゆっくりとユイの意志を語り始めた。
「母さん自身が戻る気になれば、すぐにでもこちらの世界に戻って来る事は可能なんだ。
尤も、今はもう肉体が無いのでそれを用意してやる必要があるんだが、
けれども母さんはあえて戻ろうとはしなかったんだ」
「どうしてだね、何か理由があるのか？」
「使徒を全て倒し、人類の滅亡をを未然に防ぐ。
そしてそのためにはエヴァが必要だったからですよ。冬月先生」
冬月にはもう言葉は無かった。
かつての教え子は世界を救うため、最愛の息子からも離れた孤高の道を選んだのだ。
彼女の事を誇りに思いながら、そんな彼女の連れ合いだった男に目線を移す。
そこには１０年間全く無駄な努力を続けて来た男が、力尽きがっくりと椅子に腰を下ろしている。
その様は一気に年を取ったようで、さっきまでの面影は最早どこにも見られなかった。
天界より遣わされし２番目の使者を、自らの 「妹」 とするための交渉の中で、
魔界より遣わされし３人目の少年は、母の意志をゲンドウに明かす事となった。
追いつめられたゲンドウは、自分の息子に向けて引き金を引こうとする。
響きわたる銃声、そしてリツコの悲鳴。やはり人類には滅亡の道しか残されていないのか？
シンジからの提案に対し、レイは初めて己自らの判断というものをやってのける。
次回 問題無い 第１２話 シンジ 相談
さ〜て、この次も サービスしちゃうわよ