天界より遣わされし２番目の使者は、一中において孤立した立場にあったのだが、
魔界より遣わされし３人目の少年と、今後新たなる関係を構築していく事となる。
第９話 シンジ 登校
第三新東京市立第一中学校へと向かう坂道を、シンジがやや早足で登っている。
こちらに来て既に１０日以上も経過し、
周りも含めてようやくある程度の落ち着きを感じられるようになったシンジは、
月曜日の今日、初めて一中へと登校する事にしたのである。
転校手続きそのものは既に先週のうちに完了しており、
シンジにその気さえあれば週の半ばからでも、登校する事は可能だったのだが、
自分の身の回り整理やエヴァの訓練などを考えた場合、中途半端な状況で初登校するよりも、
有る程度区切りをつけてからの方が良いという風にシンジは判断したのだ。
幸いというか偶然というか、本日はエヴァの訓練も休みとなっていたため、
その意味からも週明け初日の初登校というのは都合が良かったのである。
シンジの早足の原因であるが決して転校初日から遅刻しそう・・・ という訳では決してない。
彼と同じように一中へと向かう生徒の数がそれ程多くないのも、
時間的にまだまだ余裕がある為だし、
それを裏付けるかのように彼らの歩調は実にゆったりとしている。
何より、シンジ自身が口にトーストを銜えたうえで、
「あ〜〜遅刻、遅刻〜。初日から遅刻じゃ、かなりやばいって感じだよね〜」
と叫んでいないのが証拠といえよう。
勿論出会い頭に異性のちょっとキュートな女の子と衝突する事も無かったし、
ましてやパンツを覗き見るなど、そんな事が起こる筈も無かった。
彼が早足なのは単に彼自身の癖とまではいかないが、それに近いものだった。
小学校の高学年から中学入学後も、児童・生徒会の役員として、
様々な事柄を処理してきた彼に自然と身に付いた物であるらしい。
「即断即決」 かつ 「正確無比」、
ともすれば相反しがちなこの二つのテーマを彼が両立させる事が可能だったのは、
そこに至る以前、情報を出来る限り最大限漏らさず収集する。
この情報収集能力に秀でている事が、バックボーンとして彼を大きく支えていたためである。
何人もの生徒達を追い越して、一中へとどんどん近づいていくシンジ。
追い越された生徒達は、当然ながらシンジの後ろ姿しか確認する事が出来ず、
野郎はともかく、女生徒達はこの類い希な美少年の存在を知るのが遅れる結果になってしまい、
その事に後から気づいた者達は、己の注意力の無さを嘆く事となった。
「君が碇シンジ君かね？」
「はい。よろしくお願いします」
シンジが引き合わされた担任だという教諭は、もうあと何年かで定年になろうか、
という程の容貌を持った背の低い男性だった。
「話は聞いていますよ。これから頑張ってください。
じゃ授業が始まるまでもうしばらく時間が有りますから、
どこかそこら辺で適当に休んでいて下さい」
老教諭はそう言い終えると、自分の目の前に置かれたお茶を啜り始めた。
シンジは瞬間 『大丈夫か、この先生？』 と思いかけたが、机の上をよくよく見てみてると、
既に授業の準備は全て整っており、あとはそれを持ち出すだけで良いみたいである。
ここらへんは年の功であろうか。
ともかくシンジは手近にあった椅子を引き寄せそれに腰を下ろすと、
時間迄そのままの態勢で過ごす事にした。
この時彼の脳裏に有ったのは、同じエヴァのパイロットであり、
自分の 「妹」 と同義の存在である、綾波レイの事だけだった。
始業前のこの時間というのは、学校の中でお昼休みを凌ぐ最も騒がしい、
そして元気溢れる時間と言えるのではないだろうか。
まして今日は月曜日であり、家族サービスなどで疲れ切った両親を初めとする大人達を尻目に、
休日で鋭気を満々と溜め込んだ、
受験迄まだ１年半という猶予のある生徒達の発するエネルギーというものは凄まじいものがあり、
授業が始まるまで誰もその奔流を堰き止める事は出来ない。
ここ２年Ａ組でもそれは同様であり、各個人あるいわグループごとに他愛ない、
しかし彼らや、彼女達にとっては非常に重要な話題に花が咲いていた。
「ねえねえヒカリ、知ってる？」
「え、何を？」
ヒカリと呼ばれた少女であるが、髪を後ろで２つに纏めており、
顔には青春のシンボルの一つとも言えるソバカスが、今を盛りとばかりにちりばめられている。
しかしまあそれをマイナスポイントとして差し引いたとしても、
かなりの美少女である事は間違い無いようだ。
普通の感覚からすれば、結構もてるのではないかと思われる彼女だが、
残念ながら今の所浮いた噂と言うのが聞こえてきたためしがない。
その原因の一つだが、これは彼女が性格○○という訳では決してなく、
このクラスにおいてクラス委員を努める彼女の、
ほとんど融通の利かないその生真面目な性格がネックになっているせいである。
女子はともかくとして、男子については彼女を名字や名前で呼ぶ者は全くおらず、
「委員長」 というのが彼女が男子より与えられた固有名詞として通用している程なのだ。
更にもう一つの理由であるが、このクラスにいる一人の超絶的な美少女の存在が、
ヒカリの存在感をかなり消し去っているという事があり、
原因全体から占める割合からしたら、こちらが８割強を占めている。
それだけ、かの美少女の美しさは際だっているのである。
言うまでも無いが、かの美少女とは綾波レイの事であり、彼女のアルビノの透き通るような肌と、
それとは対照的な燃えさかるブラッディアイは、まさに人のものとは思えぬ程で、
（人じゃ無いでしょ、人じゃ）
現時点における一中�癸韻糧�少女といえば、よほどの変人で無い限り、
彼女の名前を出す者が殆どであった。
その綾波レイであるが、彼女は現在窓際の席に腰掛けて頬杖をつきながら、
ぼんやりと外の情景に視線を漂わせている。
とはいっても彼女は３人目の綾波レイなので、
１部のその方面のファンの方には非常に残念であろうが、右腕を三角巾で吊っていなければ、
右目にもガーゼは当てられていない。
（だから、そう言った話しはアブネーからやめろって言っただろうが！）
前述の通り彼女は一中�癸韻糧�少女である。
ところが何故かその周囲には、同性である少女達もそうだが、
彼女に憧れている筈の男子生徒ですら、遠くから熱いまなざしを送るのみで、
彼女に近づこうとする者はいない。
勿論最初からこういう状況であった訳では決してない。
何しろこれだけの美少女なのだ。
彼女が入学してきたその日の放課後から、下駄箱、机、果てはロッカーの中に至る迄、
同級生はもとより、上級生、一説では若い教師の物迄有ったという噂もあるくらいだが、
彼らより差し出されたラブレターで溢れかえり、
それを裏付けるかのように、休み時間には彼女を一目見ようとする男子生徒達が、
学年を問わず廊下に鈴なりになった程だ。
残念な事に、彼女にはこういった事に対処する基本的な知識が欠如していたため、
受け取ったラブレターを人目のつかない校舎の影とか、
あるいわ自宅に持ち帰って１人でこっそり読むとかせず、そのまま封を切り、
声に出して読み上げなかっただけまだましであるが、教室の机の上で余人が注視する中、
堂々と目を通し、それが終わるとゴミ箱へポイ、という事をやってのけたのである。
当然の事ながら彼女は異性の迸る熱いパトスで、思い出を裏切る訳でなく
（違うだろうが、コラ）
失礼、返事を返す訳でなく、呼び出しに応じる訳でもなく、
完全に無視を決め込んでしまっていたのである。
無論これらの事は周囲との軋轢を招かずにはいられず、
ついには上級生達の中に、彼女を待ち伏せして乱暴を働こうとする者が出てきたのである。
幸いにも、これは綾波をガードしている１人の黒スーツの手によって未遂に終わるのだが、
この事件以降、彼女を取り巻く男性陣は１人減り、２人減り最終的には、
彼女に近づこうとする者は絶滅するものと思われたのだが、
どこの世界でも、いつの時代でもめげない男はいるもので、
そういった連中は、現在でも無駄な努力にせっせせっせと精を出しているのであった。
そんな一握りの男達を除けば、残りの大多数の連中は彼女を遠巻きに眺めるだけで、
文字通り高値の花にため息をつくしかなかった。
一方同性達の反発は異性のそれ以上に凄かった。
『何よ！ ちょっと可愛いからってお高くとまっちゃって』
綾波本人にはそんな意識など毛程の先も無かったのだが、
彼女達の目から見たら、そのようにしか映らなかった。
嫉妬心、あるいわふられた男の子達に対する同情心が相まって、
完全に彼女を敵対視する風潮が出来上がってしまったのである。
例の上級生の事件が有ったため、直接的な手出しこそ出来なくなったものの、
以後無形の嫌がらせに近い現象が続く事になるのだが、
綾波自身そういった事に対して無頓着だった為、全然気にはならなかったし、
またそれが彼女達には気に入らないという、悪循環の繰り返しであった。
とはいえ先程から何度も述べているが、
綾波レイが一中ではダントツ�癸韻糧�少女である事は動かしがたい事実でもあり、
今もそんな彼女をファインダー越しに捉えている１人の少年がいる。
脱色し損ねたのかと思えるような、どちらかというと栗色に近い髪にチタンフレームのメガネ、
このクラスの出席番号１番を手にしている彼の名は、相田ケンスケと言う。
彼自身は綾波レイの事を 「可愛いな」 とは思っているものの、
彼から見た彼女の存在は先に述べた連中とは違い、「貴重な資金源」 といった所である。
実際彼の販売する彼女の生写真は、残りの大多数の連中を中心に、
かなりの売り上げを記録していたのだが、さすがに２年生になるとそれも減少傾向を示しており、
このままではいずれ業績不振に陥る事は避けて通れそうになかった。
『何とか新たな資金源を確保したい』
とりあえず今日を生き抜くためにレイのデータをディスクに保存しながら、
ケンスケはそんな事を考えていた。
「今日、このクラスにまた転校生が来るんだって！」
「ふーん」
ヒカリはやや興奮気味のクラスメートとは対照的に、
さして興味は無いというような感じで、適当に返事を返す。
ここ第三新東京市には現在、あちらこちらに建設ラッシュが発生しているのだが、
それは近い将来に現在の第二新東京市より、
首都機能が移転してくる事が既に決定しているためで、
当然人口もかなりのハイペースで増え続けていたのだ。
このクラスにおいても、毎月３、４名づつの割合で生徒数が増加しており、
今や転校生といっても、特に物珍しくは無くなっていたのである。
「どんな子かな〜 今度こそ格好良い男の子だったらいいな〜」
「あのね〜」
まだ見ぬ転校生に思いを馳せて、思春期特有の甘い幻想に浸る少女。
それに比べてこのヒカリと呼ばれた少女の方は、男性に興味が無いのか、
それとも先程も述べた通りやはり現実的なのか、今一つ盛り上がりに欠けるようである。
実際これ迄いた何人かの男子の転校生は残念ながら全員 「ハズレ」 だったのだ。
これは決して彼女達の審美眼が非常に厳かったという訳では無く、
いやそれどころか、むしろ甘い部類に入っていたにもかかわらず、
どういう訳か彼女達を満足させる事の出来る転校生は存在しなかったのである。
ヒカリ自身、勿論期待感が無かった訳ではないが、何しろこれ迄がこれ迄だっただけに、
この次こそはと夢見るよりも、現実を冷静に直視する傾向の強い彼女は、
今度の転校生についても平静に受け流すしかなかったのである。
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
日本全国どこの学校でも共通の始業を知らせるチャイムが鳴り響く。
残念ながらお喋りタイムもここ迄のようで、ヒカリはクラスメートに対し席に戻るよう促す事にした。
「ほら、もう時間よ席に戻って」
「うん、わかった。じゃまた後でね〜」
そう言って自分の席へと戻っていくクラスメート。
騒がしかった教室内も段々と静けさを取り戻していく。
他のクラスはともかく、ここ２年Ａ組では彼女がしっかりとクラスを取り仕切っているせいで、
ここら辺はキッチリとしており、学級崩壊などという事は遠い世界の出来事であった。
ガラッ
「きりーつ」
戸が開くと同時にヒカリの元気な声が教室中に響き渡る。
これ迄何百回、いや小学校の頃から数えるともう千数百回に渡って実施してきた事である。
気負いも澱みも全く感じられない、
まさに彼女はクラス委員をするために生まれてきたのかもしれない。
たとえ本人が望んでいなかったとしても。
「礼」
入ってきたのはこのクラスの担任を務めている老教諭である。
ヒカリは彼が教壇に立ったのを確認して声をかけたのであるが、
それ以前に少し違和感を感じていた。
いつもならキチンと戸を閉めて入ってくるこの教師が、
今日はどういう訳か戸を開きっぱなしのままで、教壇の方へと向かってきたのである。
『まさかぼけちゃったんじゃ』 などと、
先程のクラスメートとの会話をど忘れしてしまったヒカリは、失礼な事を考えていた。
「着席」
全員の頭が元に戻る、まさに絶妙のタイミングで３度ヒカリの声が教室にコダマする。
全員が席に着いたのを見届けた老教諭は、いつもならこの後出席を取り始めるのであるが、
当然今日はその前にやる事がある。
「えー今日は皆さんに新しいお友達を紹介したいと思います。 君、入ってきなさい」
教室内に１歩踏み込んだ所で１礼し、後ろ手に戸を閉める。
彼がその面を上げた次の瞬間、教室中に黄色い悲鳴が響き渡った。
ざわめきが収まらない中、彼はスタスタと教壇に登ると、老教諭の隣にすっくと胸を張って立つ。
正面から彼を目撃する事となった少女達の口からは、また新たな囁きが漏れ始める。
背はそれ程高くなく、パッと見、華奢で頼り無さげに見えるがそれが返って母性本能をくすぐる。
年頃の少女達にとって初めての 「アタリ」 の転校生である。
但し、彼女達はまだ知らないのだ。
目の前の美少年が実は、羊の皮を被った”狼” どころか ”悪魔” である事を。
シンジの姿を見かけた時、ヒカリはちょっとポーッとしてしまっていた。
今朝クラスメートとの話題の中に出てきた転校生、それがこんな美少年だなんて、
教壇へ向かっていく彼の動き、そしてキリッとした態度。
この名前も知らぬ少年は自分の目を惹きつけて離さない、離れられない魅力を携えている。
いったい何故？ 理由などわかる筈もなく、騒ぎ立てるクラスメート達とは対照的に、
彼女は静かに、次の瞬間彼の口から語られるであろう言葉を心待ちにしていたのだが・・・・
「では碇君、自己紹介を」
教室の中は相変わらず喧噪が続いており、シンジを促す老教諭の声も聞き取りにくい、
騒ぎは収まるどころか一層激しさを増していく、さてどうするかとシンジが考え始めるより早く、
遂に堪忍袋の緒が切れたヒカリは立ち上がると、反乱軍を鎮圧する号令を、
今迄の彼女からは想像出来ないヒステリックな声で教室中に鳴り響かせた。
「ちょっとみんな静かにして！」
ちょっと見、おとなしそうな少女の口から、
これ迄聞いた事が無いような大声が響きわたり、一瞬教室の中がシンと静まりかえる。
シンジもあっけに取られてこの立ち上がった少女を見つめていたのだが、
それと同時にこの少女に対しての興味が急に湧いてくる。
髪は後ろで２つに纏めてあり、眉は中央から左右に向かって跳ね上がっている。
どんぐり、と言っては失礼かもしれないが、ぱっちりとした目と、意志の強そうな締まった唇。
そばかすはまあご愛嬌だが仲々の美少女である。
何故かはわからぬがこの少女もまた、自分にとって非常に有意をもたらす女性である。
それを予兆したシンジは、それまでとは違う熱い視線を彼女に向けて送る事にした。
それに対してヒカリの方だが、
彼女はこれ迄何度となく騒乱状態に陥りそうなクラスを沈静化してきたのである。
時にはそれの原因になりそうな生徒に対して声を荒げる事もあったのだが、
今回のようにクラス全体に対しヒステリックに喚き散らした事は１度も無かったのである。
そのため叫んだ次の瞬間には、恥ずかしさに身も世も無いといった感じで、
体全体が固まってしまっていた。
周りから来る自分を突き刺す視線が痛い、
だがそんな中、彼女は正面から来る一対の視線だけは他のそれとは違うような気がして、
恐る恐る教壇の方を向くと、途端にシンジの視線に射すくめられてしまった。
シンジは、そばかすの少女と視線が交錯したのを確認した後、
例の『碇スマイル』を浮かべる。
同時に少女の方では、自分を縛り付けていた目に見えぬ鎖が消滅していくのに代わり、
今度は男性の力強い腕に抱き締められていく、そんな感覚を味わっていた。
少女の体はどんどんと熱くなっていくのに、力は反対にどんどん抜けていき、
遂に彼女は椅子へとゆっくりと腰を下ろす。
それまで彼女の胸の奥に巣くっていた１人の少年の姿が序々に薄らいでいき、
それと入れ替わるようにシンジの姿が刻々とインプリンティングされていく、
彼女自身全く自覚していなかったが、それは着実に彼女の心を塗り替えていた。
碇
シ
ン
ジ
ヒカリの活躍により、ようやく教室が静かになったのを見届けたシンジは、
黒板に自分の名前を大きく書き連ねた。
その字体からは、澱みも歪みも全く見受けられず、
自信に満ち溢れた 「男」 というものが匂ってくるようである。
それと相反するように、その後シンジは、
その甘やかなボーイソプラノを響かせて、自己紹介を行った。
「初めまして、この度仕事の都合で第二新東京からやって来ました。
碇 シンジと言います。よろしくお願いします。」
まさに美少年のイメージにピッタリの美声ではあったのだが、
例によってその調子からは抑揚は全く感じられなかった。とは言っても、
それ以前のシンジのマスクとボイスの前に、それがマイナスポイントとなる事は全く無く、
教室の殆どの女の子達が彼の事をうっとりと見つめていた。
それとは逆に男子生徒達は、
シンジに見とれている女の子達を見やった後、彼の事を憎々しげに睨み付ける。
そのため、あの鉄仮面少女綾波レイでさえも、
シンジの事を嬉しそうに見つめている事に気づく者はいなかった。
『確かに美少年ではある。悔しいがそれは認めよう。
しかしこんなクラスの女子生徒の殆どが見とれるような、
いわゆる絶世の美少年とはとても思えない。
この碇 シンジという少年はいったい何者なんだ？』
相田ケンスケはそんな事を考えていたのだが、彼の心の内を見透かしたのだろうか、
ふいにシンジが目線を合わせてきた。
先程のヒカリと同様、その視線に射すくめられてしまうケンスケ。
いやケンスケばかりでなく、シンジを敵対視していた男子生徒達も、
何故かシンジと視線を交わすと、急速に戦意が喪失してしていくのを感じていた。
『こいつに逆らってはいけない』
例え人間であろうとも、動物の１種である事は間違いない。
その動物の持つ本能が、彼らに対して警鐘を鳴らしていた。
「さて碇君。君の席なんだが、このクラスはまだまだ生徒が増えていく事が予想されていてね、
そのため、ある程度人数が揃った所でちゃんとした席決めを実施する事になっていて、
それまでは各自それぞれ、どこに腰掛けても構わない事になっているんだ。」
「はい」
「だから君も、どこでも良いから開いている席に腰掛けたまえ」
「わかりました」
そう言ってシンジはスタスタと開いている席の１つへと向かう。
因みにこのクラスは横５列、それに縦７列、計３５人分の机と椅子が配置されているのだが、
シンジを含めてもまだクラスの総人数は２３人しかおらず、３分の１が空席のままなのである。
その中で彼が腰を下ろしたのは、真ん中の列の前から３番目の席である。
本当は前から４番目に座りたかったのだが、
あいにくそこには先客がいたので、やむなくそこを選んだのである。
クラスのほぼ中心に位置する場所をごく自然に選択したシンジ。
ここらへんはこの少年の特性が無意識のうちに反映されていると言えよう。
その他のメンバーだが、ヒカリは廊下側から２列目の１番前の席で、
シンジと同様に彼女の性格がこの配置から伺える。
クラスを纏めなくてはならない委員長という立場として当然１番前の席で、
さりとて教師と真っ正面から相対する事となる真ん中の列は恥ずかしい。
という事で１列ずれたのである。
あとレイは窓際の後ろから２番目で、ケンスケは廊下から２列目の前から５番目だが、
この２人の場合は特に理由は無い。
まあ強いて言えば、レイはできれば外が見える位置の方が良い。というのはあるが。
「それでは授業を始めますが、その前に出席を取ります。 相田君」
「はい」
シンジが席に着いたのを確認した老教諭は、今後更に生徒が増える事を予想して、
あらかじめ鉛筆で書かれた出席簿をいつもの通り読み上げていった。
「綾波さん」
「はい」
「碇君」
「はい」
「碇 シンジ」 彼の名前が新たに記されたのはやはり”３人目”であった。
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
「きりーつ」
どうやら１時限目の授業は終了したようだ。
それと同時に、シンジは立ち上がると、前の方へと歩いていく。
シンジの事を質問責めにしようとする子や、自分をＰＲしようとする子達は、
シンジの机めがけて集合しようとしていたのだがそのタイミングを逸してしまう。
いったいシンジは、どこへ何をしに行こうというのか？ 少女達がその動きを目で追っていくと、
シンジはヒカリの机の前迄来ると立ち止まり、ヒカリに声をかけた。
「君の名前を教えてくれないか？」
「え！？ あの」
「名前を教えて欲しいんだ！」
ヒカリは突如自分にかけられた言葉に驚き、うろたえてしまう。
どうしてこの少年は自分の名前なんかを知りたがっているのだろう？ もしかして・・・
そこ迄思いかけたとき、少女の背中から凄まじい殺気が押し寄せてきた。
嫉妬による敵意に満ちた視線を浴びた少女は、この場は迅速に対処した方が適切だと判断し、
シンジの質問に素早く簡潔に答える事にした。
「ヒカリ、洞木ヒカリです」
「ヒカリか、いい名前だ」
そう言うとヒカリに対し『碇スマイル』を浮かべるシンジ。
ヒカリの賢明な判断に対し、シンジが取った行動は火に油を注ぐ物だった。
益々膨れ上がる少女達の殺気。
だが当のヒカリは『碇スマイル』に魅せられ、一瞬にしてそれを忘れてしまった。
そのさまはまさに悪魔に魅入られた生け贄のそれに他ならなかった。
「とりあえず、さっきの礼を言いに来たんだ。ありがとう」
「あ、いえ、委員長として当然の事をしたまでですから」
「成る程、ヒカリは委員長なのか。それでは１つお願いしても良いかな？」
平然と初対面の筈の自分を 「ヒカリ」 と呼び捨てにする少年。
しかし彼女はそれをごく自然の事として、受け入れていた。
「何かしら？ 私に出来る事だったら良いんだけど」
「昼休みにでもこの学校の中を案内して欲しいのだが」
「それくらいだったら、喜んで」
「じゃ、後で頼む」
シンジはそう言うとスタスタと自分の目の前からいなくなってしまう。
幸福感に酔っていたヒカリだが、次の瞬間再び襲ってきた、
しかも先程よりも強烈な殺気にハッと我に返り、その身を竦ませてしまう。
後ろを振り向くのが怖い。でもそうしなければこの恐怖からは逃れられない。
ヒカリは決心すると一気にそれを実行しようとしたのだが、
その寸前に左斜め後方から再びシンジの声が聞こえてきた。
「同じクラスだな。これからよろしく頼むレイ」
シンジに声をかけられたレイは、先程のヒカリとは対照的に、全く落ち着いた様子で、
それまで校庭を泳がせていた視線をゆっくりと戻してくる。
初めて会った時からずうっと感じていた不思議な思い。この少年はいったい何者なんだろう？
ケージ、葛城一尉の家、そして学校。出会う度に感じるこの感覚。
碇司令の息子・・・・・・・・・・・・・でもそれだけじゃない。
彼が言った。私は仲間だと・・・でもそれだけじゃない。
同じクラス・・・・・・・・・・・・・・・・・でもそれだけじゃない。
いくら考えても答えは出てこない。けれどいくつかはわかる事が有る。それは、
この少年といると・・・・・・・・・・・・安心出来る。
この少年といると・・・・・・・・・・・・懐かしい。
この少年といると・・・・・・・・・・・・嬉しい。
レイはシンジを見上げ微笑みながら返事を返した。
「よろしく碇君」
あの綾波が・・・笑っている。
「魔性の微笑み」 とでも言うのだろうか？
人々は見てはいけない者を見てしまった事に戦慄し、
先程のヒカリの時とはこれまた対照的に、それまで燃え上がっていた少女達の嫉妬の炎は、
この綾波の微笑みにより、一気に絶対零度迄下げられてしまう。
その反面、ヒカリはこれで火炙りの刑から解放される事となった。
シンジはさすがに場の雰囲気というものをしっかりと読んでいた。
ヒカリに対しては当面”委員長”というスタンスで接していけば問題無いだろう。
だが、レイに対してはどうか？
単に挨拶だからといってレイに声をかけたのはうかつだったかと自省しながら、
シンジは今後レイと自分との関係をどういうふうに位置づけるのか、
リツコと相談する必要があると判断していた。
２時限目、３時限目の終了ごとに、自分の机の周りには女生徒達が人垣を作り、
マシンガンのごとく質問を繰り出してくる。
曰く、
「誕生日は？」
「血液型は？」
「身長、体重は？」
といったオーソドックスな物から、
「好きな女の子タイプは？」
「今、つき合ってる娘いる？」
「私なんてどう？」
という思春期特有の質問まで千差万別、とはいっても、殆どはこの手の事に集中していたが。
シンジはこれらの質問に対し、一つ一つ丁寧に応対していたが、
その一方で彼は、自分に対してちょっと変わった意識を向けている３人。
即ち、綾波レイ、相田ケンスケそして洞木ヒカリの事をそれとなく観察していて、
特に自分をチラッチラッと時折振り返っては様子を伺っているヒカリを見るにつけ、
ＨＲ時に感じた 『自分にとって非常に有意をもたらす女性』 という予兆が、
確信に変わっていくのを感じていた。
「・・・・と、大体こんな所だけど。これで良かったかしら？」
「問題無い」
とりあえず今日は初日という事で、弁当を持参しなかったシンジは、
学食でお昼を済ませた後、１時限目の終了時に頼んでいた通り、
昼休みを利用してヒカリに学校の中を案内してもらっていた。
クラスメート達の羨望と嫉妬の入り交じった視線を背中に受けつつも、
ヒカリは１人優越感に浸り、次から次へとシンジを案内して廻っていたのだが、
どうやらそれもここ迄のようである。
ヒカリは一つ残念そうにため息をつくと、学校の探検を打ち切る事をシンジへと告げた。
「じゃ、もうそろそろお昼休みも終わりになるし、教室に戻りましょうか」
「そうだな。ところでヒカリ」
「何？ 碇君」
「お礼といっては何だが、放課後ちょっとつき合ってくれないか？」
「え？！」
ヒカリは思わずドキッとしてしまう。
シンジの言い分から、『これは単にお礼のつもりなのよ』 と必死に自分に言い聞かせるのだが、
それでも異性の相手から面と向かって 「つき合ってくれ」 と言われたのは、
産まれて初めての経験であり、自然動悸が激しくなっていく事を抑える事は出来なかった。
教室に戻ってきたシンジの視線だが、無意識のうちに綾波レイに引き寄せられていた。
相変わらず１人でぼんやりと窓の外を眺めている。
苦笑を浮かべながら視線を外し、ざっと教室の中を見渡してみると、
そのレイの事を何人かの男子生徒が真剣に見つめている事に気づく。
１時限目の終了時にレイの事について、リツコと相談する事を考えていたシンジだが、
そればかりではなく、このクラス内においても誰か相談出来る人物を用意する必要がある。
シンジはそう判断すると自分の後について教室に入ろうとしていたヒカリの方を振り返る。
「な、何？ 碇君」
「いや問題無い。それより放課後、良いね？」
「ええ、こちらこそ」
急に振り返ったかと思うとシンジに見つめられる形となったヒカリは、
多少うろたえながらも返事を返す。
それを確認したシンジは、この少女に対して感じていた確信を更に深めていった。
「ごめんなさい碇君、待たせちゃって」
「問題無い。それよりこの店でのヒカリのお奨めを聞きたいのだが？」
「ええと、それはね」
放課後２人は、とあるお菓子屋で待ち合わせする事にしていたのだが、
ヒカリには委員長として片づけなければならないクラスの雑務が有り、
それを全てこなした後に、シンジより少し遅れて待ち合わせ場所に到着したところである。
別に２人一緒に学校を出ても良かったのだが、ヒカリの事を慮ったシンジが、
わざと別々に校門を出て、適当な所で待ち合わせをする事で話を纏めたのである。
シンジはともかく、ヒカリは学校帰りに寄り道し、
異性の、しかも同い年の少年と２人仲良くお菓子のショーウィンドーを覗く、
などという事は当然初めての経験であり、何ともいえない甘酸っぱさを感じていた。
（いや〜青春だ）
「じゃこれを３つもらおう」
「ありがとうございます」
３つ？
シンジはヒカリのお奨めだというケーキを、ヒカリと自分と更にもう１人分頼んだみたいだが、
雰囲気に酔っていたヒカリにはその事について全く頭が回っていかなかった。
天界より遣わされし２番目の使者を、自分にとってどういう位置づけにすれば良いのか、
魔界より遣わされし３人目の少年は、今後判断を迫られる事となった。
レイの事について質問をするシンジ。ヒカリは２人の関係を危惧しながらも正直に答える。
そんなヒカリを、シンジはあっという間に手の内に取り込む事に成功する。
そしてシンジは綾波レイを己の妹とする事を決心し、まずはリツコと連絡を取る。
次回 問題無い 第１０話 シンジ 検討
さ〜て、この次も サービスしちゃうわよ