問題無い・補足編 アスカ 降臨
 
 



第T章 − 恐怖公






 その日のお嬢様は・・・・ やはり怒っていらっしゃいました。

 しかし別段それは珍しい事ではありません。

 いやそれどころか、彼女の場合はむしろ怒っていない日を探す方が難しい程なのです。

 お嬢様と接する際は、周りに居る下々の者ばかりでなく、

 魔界において彼女と同等、もしくはそれ以上の地位にある者達ですら、

 せいぜいそのご勘気を被らないように、まるで腫れ物にでも触るかのように相対しているのです。
 

 むっつりとして押し黙り、目的や、理由がある訳でもないのですが、

 ただただじっと1点のみを注視し続けるお嬢様。

 お嬢様の事を良く知らない者が今の彼女を見れば、『何となく不機嫌なのかな』

 といった程度にしか感じる事は無く、『それ程たいした状態ではない』 と思う事でしょう。

 何しろお嬢様が普段怒っている時のその怒りの凄まじさは、周囲より彼女に対して、

恐怖公」 と言うありがたくないあだ名を戴かせる事になる程のものなのですが、

 それと比較して、いえ比較にならない程静かな今の状態こそが実に危険な兆候なのです。

 私としましても、なるべくこういった状態のお嬢様の側には近づきたくはないものなのですが、

 そうしないと記録を、ひいては仕事を進める事が出来ないので、

 私は我が身の危険を省みずあえて火中の栗を拾いに行く事にしました。
 

「お嬢様!・・・   お嬢様!!・・・   お嬢様!!!

「何よ、ペネム。うるさいわね」

 初めは私の言葉を無視していたお嬢様だったのですが、

 さすがにこう何度も名前を呼ばれる事にはカンに触れたのでしょう、

 それ迄彼方に向けていた視線をようやく私の方へと転じてくれたのですが、

 それはこの私の身体を射抜くかのような尖鋭さを持っており、

 私は人間で言う所の 「寿命が縮む」 と言った感覚を味わったのでした。

「申し訳ございません。ですが、ベーゼ様から至急来て欲しいとの連絡がございまして」

「ベーゼが?! ふーん。しょうがないわね、じゃ行ってくるから、後お願いね」

「かしこまりました」
 

 ほーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ

 今の状態からして、必ずや一悶着が起きるものと覚悟していたのですが・・・

 まずは我が身の安全が図られた事に安堵の念を覚え、

 お嬢様が出て行かれた後、1人大きな溜息をつく私でございます。

 とはいえ皆さん、決して誤解はなされませんように、

 お嬢様は本当は、それはそれは素晴らしいお方でして、

 殊にその美しさは万人、いえ魔界はおろか天界・人界、そして神すらも認める程なのです。
 

 内に秘めた情熱を如実に顕わしたかのような燃えさかる赤毛は、実に艶やかに彼女を彩っており、

 まるで紡ぎたての絹糸を思わせるような清楚なその素肌と相まって、

 これ以上ない程に見事なコントラストを描きだしております。

 また、洗練されておりながらも、しっかりとしたメリハリの効いた麗しいマスク、

 どこをとっても1点として非の打ち所のない完璧なプロポーション。

 魔界随一の名門貴族の淑女にふさわしい高雅な気品とプライド。

 彼女を褒め称える美辞麗句はこれでもまだほんの触りの部分だけであり、

 元々書記という仕事を生業(なりわい)としていた私でも、その全てを記する事は不可能なのですが、

 有る程度迄ならばそれを著す事は出来るのです。

 しかし大変残念な事に、今私からの命を受けて、「人間の読みうる文」 にこれを書き記している、

業師」 とかいうヒゲオヤヂには、私の億分の1の文章構成力も、

 兆分の1の表現力も備わっていないようで、どうやらこれ以上の事を期待するのは、

 この男にとって、「酷」 のようですので、不満かとも思いますが、皆さんどうか許してやって下さい。

 その代わり、という訳でもないのですが、彼女の美しさを如実に著している、

 1つのエピソードがありますので、それをこの場で紹介させて頂きたいと思います。
 
 
 
 
 

 今更言う迄もありませんが、彼女は魔界の住人であります。

 従って本来であれば天界に顔を出す事は、どうあがいても不可能な筈なのです。

 しかし、唯一彼女だけは天界を訪れる資格を有しており、

 それも自らが望んで天界へと赴くのではなく、天界の方から彼女を招待している。

 と言う構図になっているのです。

 天界の住人達さえ惑わすそのさまは、まさに罪作りな美しさなのかもしれませんが、

 イシュタールとも、アプロディーテとも呼ばれていた彼女こそが、

 美と愛の 「女神」 と謳われるのにふさわしい存在だと言えるでしょう。
 
 

 さてさて、一通りお嬢様の事をお話しさせて頂きましたが、

 それでは今度は、何故彼女が怒っていらしたのか・・・ その事についてお話しさせて頂きます。

 結論から申してしまいますと、お嬢様にとって無二の親友とも言える女性と、

 自分の夫、つまりお嬢様の旦那様が2人とも揃って行方知れずになってしまったからなのですが、

 そのうち旦那様に関する詳しい経緯につきましては、また後ほど述べさして貰う事として、

 まずは、お嬢様の親友の女性の事について語らせていただきます。
 

 お嬢様の美しさが桁外れに際だっているのは前の方で述べさせて貰った通りなのですが、

 逆にその美しさがマイナスに作用した点が1点ございました。

 それは、『彼女と並び立つ女性が居ない』 という事でして、

 そのためにお嬢様は孤高の存在へと相成ってしまったのです。

 お嬢様の美しさに憧れる者達の数は相当なもので、

 彼女の周りはそれらによって常に十重二十重に囲まれていたのですが、

 その実、『心を許せる友』 には長い事巡り会う事が出来なかったのです。

 孤独に打ちひしがれるようなヤワな精神とは懸け離れているお嬢様ですが、

 やはりかなり長い期間に渡ってそういった状態が続いていたという事で、

 さすがの彼女も寂しさというものを感じるようになって行ったのです。

 そんなお嬢様の前に、『あの女性』 が現れたのは、あるいは必然だったのかもしれません。
 

 さてそれでは、『あの女性』 とはいったい何者なのでしょうか?

 その事につきましては次のページで語らせて頂く事として、

 お嬢様に関する事は、ひとまずここで区切りを入れる事に致しましょう。

 それではまた、ページを捲って下さい。
 
 



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