「シンジ・・・素敵。」
旋律の最後。
第四弦のGが、豊かな低音の余韻を部屋に満たす中。
潤んだ瞳のアスカが僕の膝にもたれかかった。
左の膝で、チェロ。
右の膝で、アスカ。
両脇を占めるのは、僕の一番大切な宝物と、その次に大切な宝物。
・・・どっちが一番かって?
聞くだけ野暮って言うんじゃないかな、そういうの。
「アンタ、また上手くなったわね?」
僕の右足を左腕で抱え込み、しなやかに身体を反らせて、彼女が僕の顔を見上げる。
膝頭に押し潰されたその胸からは、柔らかい温もりがじんわりと伝わってきて。
『アスカだって、また大きくなったね?』
なんて言ってみたいけど、この幸せな空気を壊したくは無いしね。
「ありがと。アスカがこうやって聞いてくれるからだよ。」
これはホント。
アスカに伝えたい気持ち。
伝えたいって願いが、求めるべき音を僕に見せてくれるんだ。
第二楽章の最初のフレーズ、聴いてくれた?
きみの姿が見え無くなる度に、僕はあんなに切なくなるんだよ?
「ありがと。それ、お世辞じゃないって信じられるわ。」
彼女は静かに立ち上がり、優しく僕の頬に手を添えた。
青い瞳に僕がいる。
僕はそのまま、長い睫毛に隠されて・・・
「・・・駄目だよ、アスカ。今日は父さんも家にいるから。」
アスカが寂しさを感じないように、彼女の腰を抱き寄せる手にホントの気持ちを込めながら、僕は彼女の唇を拒んだ。
「大丈夫よ、どうせ書斎でお仕事してるわ。」
不満そうに再び目を開き、ちょっとだけ口を尖らせて。
アスカがまるくなったってみんな言うけど、命令の仕方が変わっただけだ、って知らないんだ。
だって、こんなアスカはあまりにも可愛いから。
「・・・んっ!?・・・ん、はあ・・・。」
・・・ほらね?僕は命令に逆らえない。
「ふふっ、強引ね。」
夢見るように瞳の焦点をぼかした、彼女の呟きに応えるように。
「まったくだ。」
皮肉っぽい低音が、僕の背後から重く響いた。
「アスカ君。泊まりに来るのを拒みはしない。しかし、そのような振る舞いは、まだ早すぎるのではないか?」
車の鍵をチャラチャラ鳴らしながら、父さんは眉を顰めた・・・と思う。
僕は凍り付いたまま、振り向く事が出来なかった。
彼女はと言えば、その瞳に僕を捕らえたまま微動だにしない。
・・・というより、父さんの顔を見れないんだよね。
凍った時間のオブジェと化した僕たちに、父さんのお説教が始まった。
「平和になって、開放的な気分に浸る気持ちも判らんではないが、君達はまだ子供だ・・・。」
落ち着きを取り戻しつつあるアスカは、ついでに茶目っ気まで呼び戻してしまったらしい。
僕の陰に隠れ、表情が父さんに見えないのを良いことに、軽く舌など出している。
・・・これはきっと、『ミスっちゃったね、てへっ。』って意味なんだろうな。
眉を顰めながらの器用なウインクは、たぶん『ごめんね、シンジ。』のサイン。
父さんの醸し出す重い雰囲気が、演出過剰な彼女の表情の前では、凄く滑稽に思えて。
「お互いを求めあうのは良い。しかし、その結果にお互いが縛られれば、前途に拡がる選択肢の幅を狭めてしまう事に・・・何を笑っているのだ?」
・・・僕の震える肩から、やがて抑制の効かない声が漏れるに至って。
僕は一年ぶりに、父さんに恐怖を覚える事となった。
「ふうっ・・・さすがに司令ね。平和ボケしてもあの迫力・・・はぁ。」
「ほんと、まいったよ・・・ん、ホース貸して。」
散々絞られた僕たちの楽園、ここはマンションのガレージ。
父さんが示した説教地獄から解放へ至る扉は、屋根の高いRV車にワックスを掛ける事だった。
いわゆる、洗車の刑。
「・・・はい。アタシに水かけるんじゃないわよ?」
「・・・うん。」
コーティング前の下地材を流しながら、生返事を返す。
「それにしても・・・アタシ、一応お客さんよね?普通、お客さんに自分の車を洗わせるぅ?」
脚立の頂点をまたいで屋根を磨いていたアスカは、いたくご不満のよう。
「仕方ないよ、あれはアスカが悪いと思う。父さん、アスカの事を真剣に心配してたんだから。」
「ううん、そんな筈無いわ。・・・きっとアタシ、アンタのパパから嫌われてるのよ。
・・・ああっ、もう家に来るなって言われたらどうしよう?」
ふふっ、しょんぼりしたアスカも可愛いや。
命が惜しいから、本人に向かっては絶対に言えないけどね?
「たしなみに欠けるとかぁ、シンジを堕落させるな、とかぁ・・・最近、ちょっとだけ自覚はしてるんだけど。
あんなにハッキリ言われちゃうと・・・へこむなぁ・・・。」
「・・・ふぅっ、これで良しっ! え・・・っと、ワックス、ワックス・・・。」
「あ〜っ!?シンジ、アタシの事心配してないっ!!
アンタ、アタシと一緒に居られなくなってもいいの!?」
「あはは、違うよ、安心してるんだ。普通、お客さんに自分の車を洗わせたりはしない、でしょ?」
「む?・・・うん。」
「だ・か・ら、アスカの事を『お客さん』とは思っていないってコト。」
「・・・やっぱり歓迎はしていないんじゃない。」
「う〜ん・・・判らない?
この車だって、アスカの為に買ったんだよ、父さんは。」
「なにそれ?・・・ますます判らないわよ。」
「そっか。あのね、夕べ、父さんと話したんだけど・・・。」
「話したんだけど?」
「・・・やっぱりいいや。後で判るよ。」
「なによ、それぇ〜? はっきり言いなさいよぉっ!!」
不満そうにジタバタするアスカ。
ああっ、あんまり暴れると脚立から落ちちゃうよ?
・・・ごめんねアスカ。
だって、父さんの楽しみを奪ったら悪いもの・・・。
そのころ。
紅茶の優しい香りが漂うリビング。
トレイの上に揃えられた、ティーサーバーと三組のティーカップ。
キッチンペーパーの上で熱を冷ましているのは、焼きたてのクッキー。
無造作に丸められたエプロンが、ソファの片隅に転がっている。
・・・テーブルの上に拡げられたのは、数冊のドライブガイド。
「むう・・・シンジめ、アスカ君はラベンダーが好きと言っておったな・・・。」
お手製のクッキーの味を、モソモソと確かめながら。
可愛い息子と『娘』の為に、一生懸命に家族旅行を企画するのは。
紛れもない、一人の父親の姿であった。
喰う寝る36さんから『Luna Blu』10万ヒット記念小説、『娘』を頂いてしまいました。(^^)/
>潤んだ瞳のアスカが僕の膝にもたれかかった。
ううっうごうぅぅぅ……
>膝頭に押し潰されたその胸からは、柔らかい温もりがじんわりと伝わってきて
はうぅぅ。(^^;;;;
アスカさん、そんなことしているから、ゲンドウパパに注意されてしまうんですよ。(^^;
僕、息子が二人いるのですが、将来やっぱり彼女を連れて来るんでしょうねぇ。
そのとき、このお話のゲンドウみたいに毅然と振るまうことができるでしょうか?
なんだか、まじめなお話になってすみません。(^^;
コメントなんだか良くわからなくなってきましたね。(汗)
と、とにかくっ!
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