「muuuu muuuu muuuuu...」
キッチンで夕食の準備を続けるシンジ。にぎやかな食卓の予感に、気分良くハミングをしている。
カヲルが泊まりに来ると、夕食時の賑やかさ・・・というか、騒がしさは通常の数倍に達する。
騒ぎの原因は何なのか? 鈍感シンジは未だにこの疑問を解消できずにいたが、出張によるミサトの不在を痕跡もなく埋め尽くすであろうカヲルの来訪に、浮き立つ気持ちを隠そうともしなかった。
「シンジィ、さっきからウンウン唸ってるけど、どこか痛いトコでもあンの?」
リビングのアスカが、気遣わしげな声をかけて。
「mu?」
ハミングを止め、少しだけ不満そうな顔で振り返るシンジ。その顔には、『心外だ』と極太明朝体で書かれている。ちなみにフォントサイズは170だ・・・ホントに少しだけか?
「ふふ、シンジくんは歌っていたんだよ、アスカちゃん。」
優美な動作でトランプを繰っていたカヲルが、苦笑混じりに説明する。
「あれが?低い声でウンウンくり返していただけじゃない。」
「・・・アスカ、鈍感。」
キングのカードにサングラスの落書きをしていたレイが、ボソリとつぶやく。
手元のカードに描かれたヒゲメガネに思うところがあったのか、はたまた別の理由か?
口元にはニヤリ笑い。
「なぁんですってェ!?」
レイの一言に逆上するアスカを、カヲルがなだめ・・・
「まあまあ、彼女の言うことなんて気にする必用はないさ。・・・キミに思いやりと優しさが足りないのは、いわば、デフォルトだろう?」
「むっきーっ!!」
・・・なだめてないかも。
「ごめんなさい。僕が悪かったです。もうイヂワル言いません。」
「よろしい。・・・で、シンジはナニを歌っていたのよ?」
巨大な紅葉を頬に貼りつけ、愉快な角度に首を捻ったカヲル。史上再弱の使徒、健在である。
「カノンだよ、パッヘルベルの。シンジくんはチェロを弾くから、きっとチェロパートだけを歌ったんだね。」
弁舌爽やかに解説しながら、首の位置を必死に修正するカヲル。勢い余ってもげたりもしたが、それを見つめるアスカは落ち着いたもの。・・・慣れ、である。
「カノン?ああ、映画を撮るからって練習させられたわね?」
「・・・アスカ、それを言っては駄目。」
露骨に眉を顰めるレイ。散々はしたない格好をさせられたアレを、どうやら無かったことにしたいらしい。
「いいじゃん、べつに。アタシだって見られたんだし・・・なるほど、確かにカノンだわ。」
キッチンに目を向けるアスカ。別に良いんならもっと見せて欲しいモノだ。
微かに開いたドアの奥では、レンジの火を停めたシンジが、作品を慎重に盛りつけている。
息を潜め、ウサギのように口を尖らせて集中する様が、なんとなく可愛らしくて、自然と笑みをこぼすアスカ。
傍らで漏れた吐息に振り返ると、幸せそうに微笑みながらシンジを見守る、それはそれは優しいレイの眼差し。
「レイ・・・アンタ、綺麗ね。」
思わず呟いて、顔を薄紅に染めるアスカ。
「なにを言うのよ・・・」
アスカと同じ色に染まった頬を隠すように立ち上がって、レイはシンジを手伝いに去って行った。
やがて、料理の載った皿を抱えて、シンジがリビングにやってきた。
「muuuu muuuu...ねえ、そろそろテーブルについてよ。ご飯にしよう?」
「シンジくんの歌も良い物だねぇ・・・」
「や、やめてよカヲルくん・・・」
カヲルの言葉に照れるシンジ。嬉しそうにはにかむ笑顔・・・満更でもないようだ。
さっきよりは幾分控えめな声で、でも相変わらずハミングをしながら、キッチンに戻っていく。
「muuu muuu muuu muuu muuu...」
入れ替わりに現れたのは、サラダボウルを運んできたレイ。幸せそうな笑みを絶やさぬまま、シンジとは異なるメロディを歌っている。
「むむ・・・やるわね?レイ。」
「うん・・・それはヴィオラのパートだね?」
少しだけ目を細め、肯定の意を示すレイ。
サラダボウルとハミングだけを残してキッチンへ戻る彼女を見送って、アスカとカヲルは暫し見つめ合った。
・・・が、すぐに互いの視線を逸らし、何事か考え始める。
アスカの心に去来するのは、ささやかな疎外感。
雛鳥よろしく食事を待つだけの安楽な現状は、愛する少年が与えてくれる至福の一つなのだが・・・
『な〜んか、ツマンナイのよね?』
悩む心とは裏腹に、身体は咳払いをしてみたり、んっ、んっ・・・と喉の具合を確かめたり。
見ると、カヲルも落ち着きを無くして、ん〜〜・・・などと唸っている。
『ナニ真似してんのよっ!?』
八つ当たり気味の不快感も、はやる気持ちを抑えはしない。
・・・muuu,muuuu,ahh...♪
やがて、キッチンからこぼれる楽しげなハミング・・・ポリフォニーだ。
『スカしたアンタも、我慢できないんでしょ?』
アスカとカヲル、無言で交わした視線に自分と同じ色を認め・・・
「・・・シンジ〜、アタシも手伝うっ!」
「シンジくん、僕にも手伝わせておくれよ・・・」
意を決したように、二人はキッチンに駆け込んで行った。
数分後・・・
「la,lalala,lalala,lalalalalalala...」
小振りのお鍋を抱えるアスカ。
「hum,huhuhum,huhuhum...」
カヲルは、両手一杯のお皿と共に現れ・・・
「「muuu muuu muuu ...」」
最後に、炊飯器を抱きしめたレイと、ペットボトルを提げたシンジがやってきて・・・
『la,lulula,lulala...』
テーブルを囲む四人。
『muuu muuu muuu ...』
美味しそうな料理のあげる、暖かな湯気の向こうには。
『huhuhum.huhuhum,lulalala...』
愛おしい、仲間たちの笑顔。
『huhuhum,huhuhum,huhuhulalulalala...』
空気が震えて、体温が伝わる。
互いを求め合うように。
与え合うように。
そして・・・支え合うように・・・
『lalalalalu...la,la......』
やがて、最後の音が静かに消えた。
キスの余韻に浸るようなその日の夕食は、とても静かな物だったけど。
少年たちの満ち足りた笑顔は。
賑やかな食卓と同じように暖かだった。
−−数日後−−
「今度はコレをやろうよ!!」
『昭和・浪曲全集』という一枚のDVDを握りしめて、アスカが叫んだのは。
・・・また、べつのお話。
なおのコメント(^ー^)/
こちらまで楽しげで美しい歌声が聞こえてきそうです。
学生の頃、サークルで合唱部の真似事をしてたときがあります。
シンジ君達とは違い、合唱でしたけど、他のメンバーと「声」がシンクロしたときの快感といったら!(笑)
でも、そのサークルって、バンド活動が主だったはずなんですけど……。(汗)